憲法のこころを聴く(1) 日本国憲法の〝こころ〟とは

(6)平和に生きる権利

【正文】
われらは、全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

【池田訳】
わたしたちは、確認します。
世界のすべての人びとには、
恐怖や貧しさからまぬがれて、
平和に生きる権利があることを。

平和に生きる権利の三重構造

ここに憲法がうち出した二つめの新しい考えがあります。

それが「平和に生きる権利」です。難しい言い方だと「平和的生存権」。平和な社会で生きることは、人びとの権利だということ。この考え方を世界で最初に憲法に書き込んだ。

「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と書かれています(そのもとになる考えは1941年の「大西洋憲章」にあります)。

この「平和に生きる権利」というのは、戦争がなければいいということではありません。「恐怖と欠乏から免かれ」という非常に短い文が大切で人権の歴史が実は集約されているのです。

「恐怖からまぬがれる」というのは、圧政の恐怖から免れるということ。圧政というのは国民いじめのひどい政治のことです。ひどい政治の恐怖からまぬがれて自由に生きる、という「自由権」が、「恐怖からまぬがれる」という言葉の中にふくまれているのです。

この自由権は18世紀に起きたフランス革命で世界で初めて宣言されました。

そして、「欠乏からまぬがれ」るということは、貧しさからまぬがれて、豊かに生きるということです。

これはどこが一番最初に宣言したかというとドイツ、ワイマール共和国です。1917年にロシア革命がおきて、8時間労働制や社会保障など、国民が豊かに生きるための施策が行われました。このロシア革命の影響をもろに受けたのが、近くにあったドイツ。このドイツで、ロシア革命から2年後に革命がおきます。ワイマール共和国という政府ができたのです。

この共和国の憲法、ワイマール憲法が、豊かに生きる権利、今の25条にたどりつく考え方を、世界でまっ先に提起しました(「すべてのものに人間たるに値する生活を保障する」ワイマール憲法151条)。

そして、三番めにくるのが、日本国憲法が世界で最初に提起した「平和的生存権」「平和に生きる権利」です。

ですから、平和的生存権というのは、単に戦争がない状態を意味しているのではなく、「自由で豊かで平和に生きられる世の中」に生きる権利のことなのです。そして、それが日本人だけにあるなんていうケチなことは言わない。「全世界の国民」に、そういう世の中で生きる権利があるんだと宣言したのです。日本国憲法は「一国平和主義」で、日本が平和であれば、他国のことはどうでもいい、なんて悪口を言う人がいるけど、とんでもありません。

戦争は、平和を奪うだけでなく自由と豊かさも奪います。

戦前・戦中の日本がまさにそうでした。まず、自由がない。学習会には、おまわりさんが座っている。そして、「こんな世の中はダメです、変えましょう」なんて言ったら「解散」を命じられてしまうのです。「戦争中もけっこう自由があった」なんて言う人がいますが、それはお上の許す範囲内でのこと。体制に逆らわない限りでの自由であり、批判することは許されない社会でした。その証拠が「伏せ字」です。

伏せ字とは「××」というもの。マルクス主義の文献は、ほとんど伏せ字だらけ。手元にある『ドイツ史』(改造文庫)という本の一部を紹介するとつぎのような惨状です。

深淵に顛落した挙句意識を失つたプロレタリアートは、その××××××××××××××××に生ぜしめられたこと、そうして××××××××××××××××××され得るものであることを、未だ認識する能力が無かつた。

この本は第二次大戦後、『マルクス主義の源流』(徳間書店)と改題されて復刊されます。該当個所は次のとおり。

深淵に落ちたあげく意識を失ったプロレタリアートは、その窮乏が支配階級の利益のために人為的に生みだされたこと、そして支配階級の利益との闘争においてのみ除去できるものであることを、まだ認識する能力がなかった。

この程度の内容が削除するよう命じられたのです(*2)。

そして「豊かさ」も否定されました。それは政府の作ったスローガンにあらわれている。「欲しがりません。勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」「パーマネントはやめましょう」。

女性がパーマをかけることさえも否定される。日本の戦時中とは、そういう世の中だったのです。

ですから、この平和的生存権は、戦争さえなければいい、ということにはならないのです。世界じゅうの人びとが人間らしく、自由で、豊かに平和な社会に生きることが保障されなければならない、と日本国憲法は考えている。平和的生存権は三重構造なのです(*3)。

この平和的生存権について、あくまで理念的権利であり、その侵害があっても裁判であらそうような具体的権利でないという考えが学説上支配的でした。この点で、2008年4月17日に出された「イラク派兵違憲訴訟」において名古屋高裁判決が示した判断は画期的なものです。

判決は、次のように述べています。

「(平和的生存権は)単に憲法の基本的精神や理念に留まるものではない」 「裁判所に対してその保護・救済を求め、法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合がある」
 
判決の平和的生存権にかかわる部分を資料として載せます(太字は二見がつけたものです)。

資料 2008年4月17日 イラク派兵違憲判決・判決文から

本件差止請求等の根拠とされる平和的生存権について

憲法前文に「平和のうちに生存する権利」と表現される平和的生存権は,例えば,「戦争と軍備及び戦争準備によって破壊されたり侵害ないし抑制されることなく、恐怖と欠乏を免れて平和のうちに生存し、また、そのように平和な国と世界をつくり出していくことのできる核時代の自然権的本質をもつ基本的人権である。」などと定義され、控訴人らも「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」、「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」、「他国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく、自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」、信仰に基づいて平和を希求し、すべての人の幸福を追求し、そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利」などと表現を異にして主張するように、極めて多様で幅の広い権利であるということができる。

このような平和的生存権は、現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。

法規範性を有するというべき憲法前文が上記のとおり「平和のうちに生存する権利」を明言している上に、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法13条をはじめ、憲法第3章が個別的な基本的人権憲法前文が上記のとおり「平和のうちに生存する権利」を明言している上に、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法13条をはじめ、憲法第3章が個別的な基本的人を規定していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。

そして、この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。

例えば、憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして、裁判所に対し当該達意行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。

なお、「平和」が抽象的概念であることや、平和の到達点及び達成する手段・方法も多岐多様であること等を根拠に、平和的生存権の権利性や、具体的権利性の可能性を否定する見解があるが、憲法上の概念はおよそ抽象的なものであって、解釈によってそれが充填されていくものであること、例えば「自由」や「平等」ですら、その達成手段や方法は多岐多様というべきであることからすれば、ひとり平和的生存権のみ、平和概念の抽象性等のためにその法的権利性や具休的権利性の可能性が否定されなければならない理由はないというべきである。

この判決が出たとき、当時、航空自衛隊トップだった田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長は「私が(隊員の)心境を代弁すれば『そんなの関係ねぇ』という状況だ」と述べ、物議をかもしましたね(その後、彼は侵略戦争を正当化する発言をくりかえし、「辞任」しました)。


(*2)訳者の栗原佑さんは本書出版の経緯を次のように書いている。

「この訳書ははじめ1936年8月、改造文庫の一冊として出版された。それはおびただしい××にみたされ、数か所は1ページ以上も××(さる大学教授は当時これを奴隷制度のバッジと評した)で蔽われて世に出た。それから6年、1942年、この訳行はH.ハイネの《ドイツ宗教・哲学史考》やG.ブランデスの《ゲエテ》の訳書とともに、共産主義的文書宣伝活動なりとされ、訳者は治安維持法によって起訴され、6年の懲役刑に処せられた」(『マルクス主義の源流』5ページ)

(*3)星野安三郎『平和に生きる権利』(法律文化社)、星野安三郎・古関彰一『日本国憲法 平和的共存権への道』(高文研)

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