旅ごころ、人ごころ 村崎修二(猿舞座)
1992年だったかと記憶している。
若い友人3人と一緒に愛媛県の松山沖の離島へ行ったことがある。メンバーは、フォークソングや太鼓グループの活動にも強い関心があり、ボクはときどき彼らとお付き合いしていた。
さいはてのさすらいのサル廻しというスタンスで、復活した猿回しを、その身の軽さを生かして、どんなところへでも出かけてゆき活動するスタイルを模索していた頃だ。睦月島(むつきじま)という小さな島だった。松山から船に乗って渡った。
島の小さな港に着くと小学生たちが出迎えてくれて、公演の前に、体育館で近所のおじいちゃん、おばあちゃんたちの参加の中で、歓迎の一輪車乗りの集団演技を披露してくれたり、まるで運動会か、村祭りのような賑やかさ。小さな島では、めったにない行事になった。
猿回しの公演では、二見さんや他の若者も太鼓をたたいたりギターを弾いて唄ったりして一緒に盛り上げて交流してくれた。
次の島への渡航もあって午前中でお別れすることに。急いで船に乗り込んで一服しているとまもなく出航。すると見送りに来た子どもたちが港から「ありがとうございました。おじさん、また来てね」と手を振って送ってくれた。
こちらも応えて「また来るよ。元気デネ!」と返す。それが長く長く続く。船が大きく旋回して港がズンズン離れて小さくなってゆく。それでもまだ子どもたちは必死に手を振っている。しばらくたち見えなくなったので3人の青年をつれてだって船室に戻る。
突然、そのなかの一人がオンオンと泣き出した。大きな図体をした青年がへたり込んだまま泣いている。
「どうしたの?二見くん!」と冷やかし気味にボクが言うと彼は「今まで何度か旅をしたことがありますが、こんなに感動したことはありません」という。
人との出逢い、そして交歓、別れ……。旅のドラマを芸能活動で体験した青年のまっすぐな感想だったと思う。
ボクはこののち、いくつかの機会に、このときのことを話したり、人に伝えたりしている。
二見伸吾という人は、おそらくこれ以後も次々に、この心の体験を太く豊かに実践していったに違いない。
村崎修二 (猿舞座主宰)
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