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2026-03-17

暴力とのたたかいのなかで 《不破哲三さんと私 3》

暴力とのたたかい

1980年代、全国的には学生運動はすっかり下火になっていました。

だから法政に中核派がいることは知っていましたが、そう大したことないだろうと高をくくっていたのですが、さあ大変。

ごく当たり前の学生自治会を」と運動していたら、たちまちターゲットになってしまいました。似顔絵入りの指名手配のビラがまかれ、数十人に取り囲まれて授業に行くことを阻止される、全学から追放される」対象になりました。

中核派のメンバーから廊下ですれ違うとさまざまな論議をふっかけられるわけですが、あまりの内容のなさ、低次元さから、私たちは「スコラ(暇つぶし)」と呼んでいました。彼らは私たちを挑発し、トラブルを起こすことが目的だと分かっていますので、こちらは基本的に相手にしません。

彼らは暴力を振るうことを正当化し、「暴力には良い暴力と悪い暴力があり、日共民青に振るう暴力は良い暴力だ」とうそぶいていました。

また、「暴力で革命を起こさない日共(共産党)は日和見だ」ということも言ってくるわけです。

極左日和見主義者の中傷と挑発

私の発想は、中学・高校の生徒会活動が土台になっていますので暴力で世の中を変えるなどということは論外でしたし、日本共産党も議会で多数を占めて、言論と民主主義の力で社会を変革すると主張しています。

しかし、マルクスが…、レーニンがと言われると正直よく分からない。

しっかり腹に落としておく必要があったのです。

「極左日和見主義者の中傷と挑発」という論文があると知り、手に入れて読みました。

正式名称は「極左日和見主義者の中傷と挑発――党綱領に対する対外盲従分子のデマを粉砕する――(評論員)」(以下、「中傷と挑発」)で1967年4月29日に発表されました。正式名称は長いので「429論文」とも呼ばれたようです。

リアルタイムでは赤旗はもちろん、『世界政治資料』にも載り、パンフレットもあったようです。私が読んだのは『日本共産党重要論文集 5』です*1)。『重要論文集』はB6版で、この巻は216頁ですが、「中傷と挑発」はその半分(115頁)を占めています。大変長い論文です。

私は1963年生まれですからこの頃何が起きたか知るよしもありません。西沢隆二、安西庫治一派、「長周新聞」……。人や組織、新聞の名前も分からない。長いだけでなく内容的にも読むのに骨が折れます。

武装闘争の押しつけ

この論文の背景には、「文化大革命」と連動しながら起きた日本共産党に対する中国・毛沢東一派による激しい攻撃がありました。

不破さんは次のように書いています。

「党内に手を突っ込んで毛沢東派の反党組織をつくる工作を始める、各分野のすべての訪日団が日本共産党批判の宣伝隊になる、メーデーなどで訪中する日本の各界の人々には、中国側の〝歓迎〟陣から日本の党はソ連なみの修正主義に堕落したという説が吹き込まれる、こういう常軌を逸した敵対工作が繰り広げられました。その宣伝工作の重点も、統一戦線問題にとどまらず、日本の革命路線の問題、日本の党も『鉄砲から政権が生まれる』という中国式の武装闘争路線に立つべきだ、これこそレーニンの教えであって、それをやらない日本共産党は反革命に堕落した党だという攻撃に移ってきました。/私たちは、67年4月、中国あるいは毛沢東派の名指しはしませんでしたが、武装闘争こそ唯一の革命路線だとする主張を正面から論破する論文「極左日和見主義者の中傷と挑発*2)」をもって、これらの攻撃に応えました」*3)。

日本革命と議会の問題

難儀しながら「中傷と挑発」を読んでいると、高校生の時に買い求めた『人民的議会主義』にこの論文の解説があることに気づきました。

「日本革命と議会の問題――評論員論文『極左日和見主義者の中傷と挑発』の学習のために」(以下「議会の問題」)です。「中傷と挑発」の核心部分をコンパクトに紹介しています。

「中傷と挑発」と「議会の問題」は、極左日和見主義者たちの攻撃を3点に整理して批判。

第1は反議会主義、第2は暴力革命唯一論、第3は、人民戦争論の絶対化です。

第1の反議会主義とは、議会闘争や選挙闘争をブルジョア的といって蔑視すること。

第2の暴力革命唯一論は、革命は武装闘争による暴力革命以外ありえないということ。

第3の人民戦争論とは、条件のあるところから武装闘争を開始して、農村に革命根拠地を樹立し、長期にわたる革命戦争をおこない、農村によって都市を包囲しつつ、最後に都市を奪取して全国的な勝利をかちとるという、中国革命の経験を絶対化したものです。

この3点がいかに誤っているのかを2つの論考は明らかにしているわけです。

情勢の科学的分析と革命運動

「中傷と挑発」は彼らを次のように批判します。

「極左日和見主義者たちは、今日の歴史的情勢の科学的な分析、とくに日本における解放闘争の諸条件の具体的分析をなんらおこなおうとせず、ただ、『暴力革命はプロレタリア革命の普遍的原則だ』と称して、実際には平和的手段による権力獲得の可能性をいっさい否定し、武装蜂起による権力獲得の道を日本人民の解放闘争のただ一つの道として絶対化しようとしている」*4)

歴史的情勢の分析なしに教条を振り回すことでは世の中は変えられないと言っているのです。

極左日和見主義者が「暴力革命」を絶対化し、革命運動の当面の中心任務は「暴力革命の思想的、組織的準備」にあると主張していることは、革命が数百万、数千万の労働者階級と人民自身の事業であることを否定し、革命を少数者の軍事的陰謀に帰着させる極左冒険主義の主張であることを「中傷と挑発」は徹底的にあきらかにしています*5)

たたかいのなかで鍛えられた理論

不破さんの『時代の証言』には、ソ連・中国の干渉とのたたかいを振り返り次のように述べています。

「文字通り党の存亡をかけた戦いでした。しかし、それは同時に、理論的、政治的にも、また組織的にも私たちの党を鍛えた戦いでした。自主独立の路線も、党綱領の革命路線も、ただ文章の上だけでの方針ではなく、本当の意味で全党の血肉となり、新たな飛躍を実現する条件がつくりあげられていったのでした」*6)

日本共産党の「議会の多数を得ての革命」という綱領の立場は、激しい干渉とのたたかいのなかで鍛えられ、確かなものになっていったのです。

*********

*1)『重要論文集』は9巻から『国際問題重要論文集』と名称を変えたが、名称変更前からソ連や中国との論争が中心だった。全23巻。
*2)極左日和見主義という呼称について、不破さんは次のように説明している。中国共産党の正規の機関も規律も破壊されるなかで毛沢東を中心とする一部の勢力が指導的な実権をにぎり攻撃してきたが、単純に正規の「中国共産党指導部」とみなすわけにゆかず、時の中国の指導集団を、「中国共産党の極左日和見主義・大国主義分子」と呼んだ。(不破哲三『ソ連・中国・北朝鮮――三つの覇権主義』新日本出版社、165-6頁)。
*3)『不破哲三 時代の証言』中央公論新社、75頁。
*4)『重要論文集 5』75-6頁。
*5)『人民的議会主義』263頁、『重要論文集 5』76-9頁。
*6)『不破哲三 時代の証言』77頁。

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ふたみ伸吾 ほっとらいん

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