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Shin-Go物語(1) 8月6日に生まれて

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1963年8月6日、神奈川県中郡伊勢原町(現在は伊勢原市)で産声を上げました。

「8月6日生まれ」というとみなさん、「へえ」とか「ほう」という反応をされます。

当たり前のことですが、別に努力してこの日に生まれたわけではありません。

コウノトリが両親の元に届けてくれたのがこの日だったというだけです。

しかし、毎年自分の誕生日の朝、テレビに映し出される式典の模様に関心をもったことはもちろんです。

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(3歳かな。イヤミのシェーをしているつもり)

1927年生まれの父親は、志願して兵隊になりましたが、戦地におもむく前に敗戦を迎えました。

「必ずこの戦争は負けるから行くなと両親(わたしのおじいさんとおばあさん)から言われたがそれでも自分は行った。そういう教育を受けたからだ」と父から聞いたことがあります。

3つか4つの頃、傷痍軍人がアコーディオンを弾いて物乞いをしている姿もみたことがあります。戦争の跡がまだ残っていたのです。

1970年、大阪万博の年に伊勢原小学校に入学。

大阪万博1970年

(1970年大阪万博。はじめて新幹線に乗った)

田んぼに入ってはザリガニやヤゴを捕ったり、高学年になって自転車が買い与えられると、友だちと連れだってサイクリングにでかけ、道に迷って途方に暮れるという日々を過ごしておりました。

今ほどではありませんが当時から太っていましたので運動は苦手でした。

あと音楽もだめ。ハモニカとか全然吹けません。音楽については親はなんとかしようと思い、小学校2年生からエレクトーン教室に通わせました。

親の心子知らずといいますが、家でまったく練習せず、うまくなるはずがありません。5年生まで通って普通の人なら半年で楽々いくようなところまでしか上達しませんでした。

ただし、音楽の成績は普通ぐらいにはなったので、全く無駄というわけでもなかったのでしょう。

あと作文が苦手でした。作文の時間になるといつも「書くことがない。書くことがない」と言って原稿用紙とにらめっこ。

今、文章を書くことを仕事の一部にしているのが不思議です。

本もほとんど読みませんでしたね。機械いじりというか機械壊しをよくしていました。

Shin-Go物語(2) 民主主義を追い求めた中学・高校時代

 

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