労働運動を研究するといっても、具体的には何にも決まっていません。

自分でもいろいろ考えたのですが、芝田先生から「広島には第一学習社という教科書会社があって、そこに出版労連の組合がある。長い労働争議が続いていますが、なかなかいいたたかいをしていて、もう少しで勝てそうだから」と勧められました。

「わかりました。とりあえず連絡先を教えて下さい」というと、「いや、その必要はありません。いま、ここから電話をします」といって先生は研究室の黒電話をとった。

「これから、二見君という大学院生をいかせます。封筒貼りでも何でもやらせてください。それが私の指導方針です」といって電話を私に渡します。

「どこかの組合に行って資料をもらって、その資料で書くというのはダメです。いっしょにたたかって、そのなかで論文を書きなさい」
そう芝田先生は私に厳命しました。

指導教官の言われるままにテーマを決めるのはいやでした。しかし、解雇された高瀬均さんや小林和俊さんの話を聞き、わたしの気持ちは変わったのです。

「この争議を研究テーマにするとともに勝たせたい」

授業の合間を縫って労働組合の事務所へ通う日々が始まります。争議は19年かかって1993年に解決したのですが、わたしが関わったのは91年から。解決に向けて運動が大きく盛り上がっていく時でした。

運動が最高潮に達したのは、1993年2月18日にアステールプラザ大ホールで開かれた「人は誰も人間らしく生きたい 第一学習社闘争勝利をめざす1200人のつどい」です。ichigaku001_convert_20160617164036

 

研究者としてというよりも、「第一学習社労組を勝たせる会」事務局の一人としてこの運動に参加しました。「つどい」を成功させるために、広島市内を中心に労働組合やさまざまな団体を訪れ、役員会議などに参加して、集会への参加を訴えて歩きました。

「最高裁判決を守らないなんてことがあるのか」

「こんなことは許しちゃおけん」

訴えにいったところはどこでも、応援しようという熱い思いが返ってきます。

人を組織することは心を組織すること。そのためにはできる限り直接会って訴えることが大切だということが分かりました。組合の事務所で打ち合わせをしているとき、さまざまな行事への参加を要請するファックスが次々流れてきました。それを見て「心はファックスで送れない」と誰かが言ったことが強く印象に残っています。

「人はみな人間らしく生きたい」という呼びかけと丁寧で粘り強い組織化によって、1200人の会場はあふれ、1500人以上がつめかけました。つどいの前半は、「折り鶴」で知られるシンガーソングライター・梅原司平さんのコンサート。後半は合唱構成詞「人はみな人間らしく生きたい」。

合唱構成詞は、第一学習社労働組合の19年にわたるたたかいを組合員自身が語り、地域の仲間が歌い、証言し、それを映像とナレーションでつないでいきます。組合結成とともに始まった、会社による組合攻撃。暴力、懲戒処分、つぎつぎと出される遠隔地への配転命令と解雇。

「職場のガン」「人面獣心」とありったけの悪罵を連ねた社員連名の抗議文がつきつけられる。耐えかねて自殺未遂をはかった女性組合員。組合員のラブストーリー。最高裁判決勝利。それでも高瀬さん、小林さんを職場に戻さない会社。

悩み、苦しみながらも踏みとどまった6人の組合員が、たたかいの歴史をふりかえり、それぞれの思いを語りました。会場の参加者は、舞台とともに、怒り、泣き、笑います。どの顔も優しく、目を真っ赤に腫らしていました。

素晴らしいたたかいの解決過程に立ち会うことができて、よかったです。「勝つ」運動とはこういうものなのか、ということを肌で感じました。

修士論文は、争議解決より早く、92年の夏に提出し、修士課程を修了しました。