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エール 2024

地域に根ざした民主主義への熱い思い 藤木直実(大学教員)

 

「パンとともにバラを」、これは二見伸吾さんが議員になる以前から運営していたご自身のサイトの名前です。

「パン」は物質的豊かさの象徴、「バラ」は文化的豊かさの象徴。どちらが欠けても人間らしく生きることはできない。

その両立を実現するのが政治の力にほかなりません。二見さんの信念をよく表したフレーズです。

議員になってから刊行している「二三四五通信」には、二見さんが議会で行った一般質問や議案に対する討論がまとめられています。

綿密な準備と、地域に根ざした自治的な民主主義を重視する熱い思いに裏付けられた、志と格調の高い文言に感銘を受けます。

子どもも大人も誰もが暮らしやすい地域づくりと平和な未来を目指す二見さんを、ぜひとも町長に!東京からエールを送ります!!

見識、人柄ともに心から信頼できる友  島村輝(フェリス女学院大学教授)

十年ほど以前、広島にゼミ旅行を企画した折、その前からSNSで交流していた二見さんに、被爆の歴史をとどめる場所の案内を依頼しました。

二見さんはしっかりとしたご準備のうえ、行き届いたガイドをしてくださり、卒業生たちは今でも印象深くその時のことを語ります。

それから長くお付き合いをいただき、さまざまなことがらを語り合ってきました。

見識、人柄ともに心から信頼できる友である二見さんは、身近な自治体の長としてまことにふさわしい方であり、全力で推したいと思います。

長年の友人、二見伸吾さんを心より推薦します 大門正克(元早稲田大学特任教授)

この公式WEBサイトのなかに、二見さんの推薦する「私の7冊」があります。

その1冊の『労働者と農民』(小学館、1976年)の著者である中村政則さんは、私と二見さんの共通の先生です。二見さんは、中村先生のもとで学ぶために大学院の中村ゼミに入りました(注)。そこで出会って以来、私より10歳若い二見伸吾さんは、40年にわたる友人です。

二見さんが大学や大学院で学んだのは、社会の仕組みや歴史です。そのことが二見さんの町会議員のとりくみにいかんなく発揮されています。

たとえば財政の検討であり、教育・子育てや町づくり、社会保障などの一般質問では、歴史や他地域でのとりくみ、データがしっかりとふまえられ、府中町でくらす町民にとってよりよい政策の判断がされています。

二見さんの強みは、必ず歴史の観点が含まれていることです。

たとえば、そのことは、2022年6月、「持続可能な歴史民俗博物館のあり方」を質問した内容に含まれていますが、それだけでなく、ほぼすべての一般質問では歴史の広い観点がふまえられています。そのため二見さんの一般質問は大変に奥行きのあるものであり、町民の皆さんは幅広い観点から政策を考えることができるようになっていると思います。

歴史を学んできたことが、二見さんの質問や政治姿勢に反映していると思われることを2つ述べます。

ひとつは、共闘や政治での協力が大事だということです。

かつての戦争の時代だった、日中戦争からアジア太平洋戦争に至る時代では、戦争に反対する政党もありましたが、互いに批判に終始し、共闘を組むことができず、そのことが戦争を止めることのできなかった一因になり、日本とアジアでは大きな悲劇がつくりだされました。

そのことをしっかり学んだ二見さんにとって、共闘や政治的な協力を追求することは、町会議員として何よりも大切なことになっていると思われます。

もうひとつは、あの戦争の反省のうえにつくられた日本国憲法を大事にし、くらしにいかそうとしていることです。

憲法とは、政府の横暴を防ぐもの、そのことを通じて国民のくらしを守るものです。二見さんは、町民のくらしと憲法を結びつけることで、町民のくらしを守ろうとしています。

政治で協力する道を追求し、憲法をふまえた政治を実現する、これは歴史を学んだ二見さんの信条であるとともに、府中町民のくらしをよりよいものにしていく道であると私は確信しています。

歴史を含めて視野が広く、町民のくらしをしっかりと考えている二見さんがもし府中町長になったらと思うと私は大変にワクワクしてきます。

二見伸吾さんを心より推薦いたします。

(注)一橋大学の中村ゼミに参加していましたが、大学院生だったわけではありません(ふたみ)。

 

不器用な程実直で理想を高く持ち、それに突き進んでいく奴  高橋成治

二見君の学生時代の友人です。 

この記事を読み、彼らしいなと思いました。

学生時代から不器用な程実直で理想を高く持ち、それに突き進んでいく奴でした。

府中町のみなさん、出来ましたら二見君を府中町の為に働かせてみてやって下さい。

彼なら町民の皆様の為に一所懸命働く事と思います。

頑張れ!二見伸吾!

(注)ふるさと、神奈川県伊勢原市の幼なじみ。近所に住んでいたので、3歳ぐらいから60歳の今日までずっと友だちです。幼稚園、小学校、中学校が一緒でした。

 

きっとより素晴らしい府中町にしてくれる  田中全(高知県四万十市 前市長)

地方自治の基本単位は基礎自治体(市町村)です。住民のいのちやくらしを守る最前線に立ち、かつ最後の砦や防波堤になっているのは、国でも県でもなく市町村です。

住民が困った時、まず相談にかけ込むのは役場や市役所ではありませんか。ですから、市町村長の責任は極めて重大です。

巨大市に囲まれながらも自主独立を貫いている府中町は地方自治の鏡です。

ふたみ伸吾さんにはバイタリティーがあります。

また、町議会議員をつとめた貴重な経験があります。きっとより素晴らしい府中町にしてくれることでしょう。

ふたみ伸吾さんの当選を祈っています。

 

「〇月〇日、ふふふで町長になる男。」  石川康宏(神戸女学院大学名誉教授)

二見さん、おひさしぶりです。

前に会ったのは、おそらく2019年9月29日のことで、場所は大阪の法善寺横丁のあたりでした。

奈良で「うたごえ運動」の大きな催しがあり、その打ち上げもかねた懇親会でのことだったと思います。

手元には友人たちとの楽しそうな写真が残っています。

そのとき二見さんは、すでに府中の町会議員になっていました。初当選する16年までの二見さんにはとても苦しい日々がつづいていましたから、その後の様子の変化は本当に劇的でした。

その劇的に輪をかけて、今回は府中の町長選に立候補するとのことで、知らせを聞いたこちらはさらにビックリです。

しかも、選挙の応援団長には、現町長の後援会事務局長をされていた小林守さんという立派な方がすわってくださるというので、さらに、さらにビックリです。

二見さんを応援してくださる文章で、小林さんは「(現在の)佐藤町長の町政の継続」のために「政党とかは関係なしに人物で選びたい」と書かれています。

これは二見さんの8年間の議員活動が、どれほど立派なものだったかの証明にもなっているわけで、友人であるこちらの鼻も高くなってきます。

投票日は5月26日ですね。

なんとしても当選してほしいと思います。そのためのイチバンの鍵は、きっと「こんな町にしたい」「あんな町にしたい」と、できるだけ多くの府中のみなさんと一緒に「私たちの町長をつくる」取り組みを広げていくということなのでしょう。

そのあたりは、アイデアマンの二見さんのことですから、すでにいくつも構想がありますよね。

先日、政治に新しい風を吹き込んだ区長選挙の映画「〇月〇日、区長になる女。」を観てきました。

東京の杉並に岸本聡子区長を生みだしたあの選挙の記録です。

候補者の岸本さんはなかなか大変そうでしたが、でも「住んでいるわれわれこそ区政の主人公」という、市民の取り組みはとてもいきいきとしてすばらしいものでした。

ぜひ、二見さんにはこれの向こうを張って、いやこれを上まわる勢いをもって府中のみなさんと「〇月〇日、ふふふで町長になる男。」を実現し、その取り組みを全国に発信してほしいと思います。

がんばれ「ふたみ伸吾」。

府中のみなさん、応援よろしくお願いします。

 

伸吾先輩を「まちの生徒会長」に!  鈴木 哉美(前東川町議会議員)

二見伸吾さん(伸吾先輩)は、神奈川県伊勢原中学校で私の1学年先輩です。

私は結婚を機に福島県郡山市に17年暮らした後の2011年に東日本大震災・東電福島原発事故に遭い、SNS の情報により縁もゆかりも無い北海道東川町に母子自主避難しました。

その避難先の町で、避難から8年後に、なんと町議会議員を務めることになりました。町議に立候補する前年に、これまた SNS のおかげで、伸吾先輩が広島の府中町議でいることを知り、大きな励ましをいただくと同時に、私達の中学校生活は何より素晴らしかったことを確信したのです。

中学校では、伸吾先輩は生徒会本部の会計、私は1学年13クラスのうちの、イチ学級委員でした。私は、全学級委員と生徒会役員が集う中央委員会での議論が大好きでした。当時の生徒会顧問の先生曰く「うちの生徒会は全国でも5本の指に入る」とのことだったのですが、その意味が本当にわかったのは今になってからです。

私の記憶では、中学校の生活の全てを自分たちで決めていました。

校則はもちろん、今考えると「そんなの教育委員会で契約して決まっていることでしょ」と思えるようなことでも、私たちに議論させてくれていました。

「おかしいことはおかしい」と疑問の声を上げることが普通にできて、冷静に納得いくまで議論できるのが、伊勢原中学校の中央委員会だったのです。今から45年も前に中学校で民主主義を経験できたことが、私と伸吾先輩との共通の誇りであり、それぞれの町で「あの頃をめざそう」と議員活動を務めて来ました。

伸吾先輩の勉強熱心なこと、知識の広さ、それでいて一般市民の細やかな感覚と、大局的な見地とを失わない、わかりやすい一般質問が、二三四五通信(ふたみしんごつうしん)として送られて来るたび、頷き、感動しながら読みました。

私は、町議時代には、自ら「まちの学級委員」と名乗り、気軽に話ができる身近な存在であることを一番に活動してきましたが、家族の事情などにより、1期4年で退任、後任の女性議員2名を輩出し、昨年札幌市に転居しました。

このたび飛び込んで来た、町長選立候補表明の知らせには、遠く北海道からではありますが、心から応援を送ります。

府中町のみなさん、伸吾先輩を「まちの生徒会長」にしませんか。

60歳にはなりましたが(笑)、心は今もあの時の生徒会の情熱のままですから!

北海道東川町・前町議会議員/「避難の権利」を求める全国避難者の会/ドキュメンタリー映画「決断」出演

 

“見識”を持ち、“行動”をする人  オランダ在住の旧友

町長選への立候補の報せを受け、驚きと同時に「やはり」と思いました。

彼とは幼稚園からのつき合いですが、社会をより良くしたいという思いは、幼い頃からのものです。50年以上変わっていません。

政策は具体的であり、町議としてさまざまな公約を実現してきたことは、このWebページを見て貰えば分かります。

福沢諭吉は“行動”には“見識”が伴わなければならないと言っていますが、彼はまさに“見識”を持ち、“行動”をする人です。

党派を超えた支持が、そのことを実績を裏づけていると思います。

さらに前へ進み、町長になった二見伸吾が何を成し遂げるか見てみたい。伸吾がんばれ。

※この「旧友」氏は幼稚園から高校まで一緒でした。

 

流れを変える大きな第一歩に   井上明彦(弁護士) 大通在住

私が、二見伸吾さんと初めて会ったのは、毎年5月3日に開催される広島憲法集会(憲法ミュージカル)でした。体は大きいけど、威圧感を感じさせないやさしい雰囲気が印象的でした。

その後、二見さんとは、憲法集会でお会いする以外にも、色々な場面でお会いすることがありましたが、やさしい雰囲気はずっと変わりませんでした。

そんな二見さんが、私が住んでいる府中町の町議会議員の選挙に立候補し、当選された時は、正直驚きましたが、二見さんが地元の議員になってくれたことに心強さを感じました。

私は、以前から二見さんは「博覧強記」という言葉がよく当てはまる人だと思っていましたが、議員になってからの活躍を見ていると、二見さんは、その知識を、机上の空論ではなく、きちんと現実に落とし込んで、実現させていく調整力も持った希有な人だと感じています。

そんな二見さんが、この度、府中町の町長選挙に挑戦されると聞いた時には、正直またも驚いてしまいましたが、すぐに、二見さんの希有な能力が町長になってさらに発揮される場面を是非見てみたいと思うようになりました。

最近の政治は、国でも地方でも、乱暴な主張や議論がまかり通ってしまうことが増えていると感じています。

そんな危うい流れは、一刻も早く変えないと、今の若者達や、今から生まれる子ども達の将来がとんでもないことになってしまいます。そして、二見さんが町長に選ばれることが、流れを変える大きな第一歩になると確信しています。

頑張れ二見さん!!

安心して子育て、暮らしができる府中町を、愛情と熱い思いで創る人 石口俊一(弁護士)

私は、「ふふふ」の二見さんが町会議員をめざした際に応援しました。

私は府中町ではなく広島市に住む弁護士ですが、二見さんから、毎回の議会の後に、週刊誌くらいの議会報告を届けてもらいました。

その内容は、全国各地の自治体の情報を集め、検討して、議会で町に対する質問、提言ですが、その豊かさ、レベルの高さには、毎回驚かされました。

前の応援文()にも書きましたが、彼は、井上ひさしさんが言っていた「難しいことをわかりやすく話すチカラ」と「判りやすい文章やチラシをつくるチカラ」を持っています。

しかし、それだけでなく、多くの人の共感と理解を得て、難問を解決し、皆さんの要望と願いを実現していくチカラを発揮しつつあります。

一緒に保育園の日照を守る活動をしたり、憲法を活かして暮らしや環境をよりよくする運動をしてきた二見さんが、また新たな一歩を踏み出そうとしています。

外目は「ふ」とっていても、中身は「た」よりになる、「み」らいの府中町を創る二見さんを是非とも応援してください。

 

「ふふふ」の二見さんを応援します。  石口俊一

私は広島市の弁護士です。

二見さんとは、20年前、彼の子どもたちが通う広島市内の保育園の横に大きなマンション建築が計画され、保育園の日照が奪われそうになったときに出会いました。

2年がかりの裁判で、保育園の日照を守りましたが、毎週のように会って相談し、活動しました。

その後は、彼が、働く人たち(日本の90%が働いています!)の生活と権利を守る学習活動をしているのを応援しました。

さらに、日本国憲法の定める平和主義を守り、維持し、活かすための市民運動を、現在まで一緒にしています。

その中で、彼は、「難しいことをわかりやすく話すチカラ」だけでなく、「判りやすい文章やチラシをつくるチカラ」を発揮しました。

広島県内だけでなく全国に講演に出かけたり、大きな集会の案内、パンフレットの作成など、多くの人に大事なことを知らせるチカラを持っています。

その彼が、府中町の皆さんの訴えを聴き取り、その声を代弁して、府中町の皆さんの暮らし、環境などをよりよくするために踏み出しました。

熱い思いと、圧倒する迫力で、明日の府中町を創る「あああ」の二見さんを是非とも応援してください。

 

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