1995年1月17日 そのとき私は

午前5時46分、震度7の大地震が阪神地方を襲ったとき、私は広島市内で「しんぶん赤旗」を配達中でした。バイクに乗っていましたが、揺れを感じました。震度3だったようです。

家に戻ってテレビをつけると阪神高速が倒壊しています。

 

神戸で大変なことになっているらしい。しかし、全体の状況はまったく分かりません。

出勤してまもなく、東京から連絡が入りました。「新幹線がストップして、辻岡さんがそちらに行けない」

この日は、広島県労連の春闘連鎖学習会の初日。東京から労働者教育教会の辻岡靖仁会長が講師として来広される予定でした。

このイラストは、そのときのチラシに使うためにセミプロの友人に書いてもらったものです。

飛行機を手配する努力もしていただきましたが、もちろん満席でダメ。

広島県労連に電話し、「辻岡さんは来られない。ボクでよければ代講します」と思わず言いました。

広島県労働者学習協議会の事務局長になって3年。ぼちぼち講師依頼が来るようになってはいましたが、95春闘の講師依頼はゼロでした。

1時間ぐらいたってから「二見代講で春闘学習会を実施する」という連絡が来ました。それから3時間ぐらいで必死に講義レジュメを作成し、資料をつくって、なぜかJRに乗って(バスの方が早い)この日の会場である三次(みよし)に到着し、代講をつとめました。幸いにも講演は好評だったと記憶しています。

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1995年は、地下鉄サリン事件、沖縄で米兵が少女を暴行。住専(住宅金融専門会社)が破綻し、不良債権は8兆4千億円。戦後50年のこの年は、日本社会の大きな転換点となっています。

(5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客および駅員ら13人が死亡し、約6,300人が重軽傷を負った)

(1995年10月21日、事件に抗議する県民総決起大会で発言する高校生代表の仲村清子さん=宜野湾海浜公園)

 

現在、ワーキング・プアや過労自死事件が大きな問題になっていますが、狂った労働政策の根っこになっているのが、この年発表された、日経連『「新時代」の日本的経営』です。この方針書にそって労働法制は規制緩和され、労働者の暮らしと命が広く脅かされるようになりました。

一方に不安定で低賃金の労働者を大量につくりだし、他方で死ぬほどまでに働く労働者をつくりだす。1997年から労働者の賃金は下がりだし、非正規雇用も年々増え、いまや4割台となっていますが、すべてこの方針書どおりです。

後ろ向きの転換が始まって22年、今度は前向きの転換を遂げねばなりませんね。

昨年(2016年)には、野党と市民の共闘という確かな予兆がありました。

日本共産党は2013年の参議院選挙から国政選挙、統一地方選挙で連続して躍進。15日から第27回党大会を開いています(18日まで)。

民進、自由、社民の3野党と沖縄の風の代表が党大会であいさつしました。党史上初です。

民進党代表代行の安住淳さんは、民進党と共産党のあいだには政策の隔たりがあるが、「一つひとつのテーマについて両党が真摯に話しあい、その考えを尊重しあえば、一定の幅のなかにこれらの政策を寄せあうことは可能だと私は確信しています」と述べています。

年内の解散総選挙は必至といわれています。ぜひ野党共闘で総選挙をたたかい、勝利し、安倍政権を打倒したい。

 

 

 

 

 

 

 

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