日本国憲法とわたし
もくじ
2017年7月12日、広島中央保健生協吉島ひまわり班と新日本婦人の会めだか班の共催の学習会でお話ししたときのレジュメです。
●はじめに
1.日本国憲法との出会い
(1)中学校3年生
生徒会活動に熱中していた。
肌でとらえた民主主義 ~ みんなで真剣に話しあって決め、みんなで頑張る
「伸吾ちゃんはこういうのが好きでしょう」と生徒会顧問から渡された「あたらしい憲法のはなし」
みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。だれの意見で物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。もし意見が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意見できめますか。それともおゝぜいの意見できめますか。どれがよいでしょう。ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです」(7頁)
(2)安倍晋三首相が教えてくれた日本国憲法のねうち
今から10年前 第1次安倍政権 「自分の在任中に憲法を変えたい」と発言
そこから、私の本格的な憲法学習が始まった
その成果を『いろはにこんぺいとう』という冊子に。
結論 「日本国憲法は素晴らしい。変える必要なし」
2.日本国憲法はなぜ出来たのか
日本国憲法前文「日本国民は、……政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
(1)アジアの戦争被害(=日本の戦争加害) 2000万人以上が戦死
●日本人が殺した人の数
中国 1000~2000万人/朝鮮 約20万人/台湾 約3万人/フィリピン 約111万人/ベトナム 約200万人/ビルマ(ミャンマー) 約15万人/マレーシア・シンガポール 10万人以上/インドネシア 約400万人/インド 約150万人/オーストラリア 約2.4万人/ニュージーランド 約1.2万人/連合軍捕虜 約6.5万人
●従軍慰安婦(性奴隷制)、南京大虐殺、重慶爆撃など
人殺しと人権蹂躙
▼南京大虐殺 30万人
•虐殺は、大規模なものから1人~2人の単位まで、南京周辺のあらゆる場所で行なわれ、日本兵に見つかった婦女子は片端から強姦を受けた。
•最も普通の殺し方は小銃による銃殺と銃剣による刺殺である。大勢を殺すときは、まず隊列を作らせて、手近な殺人予定地まで歩かせる。
•着き次第、まとめて機関銃で皆殺しにする。生存者がないかどうかを銃剣で刺してテストしたのち、死体を積み上げて石油をかけ、焼いてしまう。
(本多勝一『中国の村』朝日文庫・絶版)
(2)日本の戦争被害
●軍人・軍属の戦没者(1937-45年) 約230万人
戦病死140万人 その他90万人
戦病死のほとんどが餓死だった…
●市民の死者数 約80万人
東京大空襲 1945年3月10日 10万人
沖縄 1945年3月26日-6月20日 9万4千人
広島 1945年8月6日 14万人
長崎 1945年8月9日 7万4千人
(3)国連憲章と日本国憲法 共通性と違い
●共通性 戦争、武力行使の否定
▼国連憲章
前文
「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救」うことが最大の目的。
「善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないこと」が原則。
第2条3項、4項
国際紛争の平和的解決/武力による威嚇・武力の行使を「慎まなければならない」
▼日本国憲法9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●違い
日本国憲法はいっさいの例外なく武力行使を認めない
国連憲章は例外を認めてしまった
42条 非軍事的措置でだめなときは、軍事的措置をとることができる
51条 自衛権・集団的自衛権
(4)違いを生みだしたものはなにか?
国連憲章 1945年6月26日→1945年8月6日、9日 ヒロシマ・ナガサキ→日本国憲法 1946年11月3日
戦争が行きつく先を見てしまったこと。戦争の行きつく先がこういう惨状ならば、それは戦争そのものをなくす以外にないではないか、という新しい思考が誕生。
日本国憲法の第9条は、広島・長崎以後の国際政治の新たな現実を示す最初の、そして最高の表現である……その時、核爆発の余韻(よいん)はいまだ消え去らず、焼け焦げた肉体の臭気がまだ立ちこめていた。新たな時代の真の性格--核戦争という途方もない不条理と、いっさいの軍事力が核戦争の防衛としてはまったく無価値であること--が初めてその姿をみせたのが、まさにこの時であり、この場所であったのである。(ダグラス・ラミス『ラディカルな日本国憲法』晶文社)
▼憲法制定議会 幣原(しではら)喜重郎(きじゅうろう)国務大臣の答弁
次回の世界戦争は一挙にして人類を木っ端微塵に粉砕するに至ることを予想せざるを得ないであろう。
これを予想しながら我々はなお躊躇(ちゅうちょ)逡巡(しゅんじゅん)いたしておる。
わが足下には千仞(せんじん)の谷底を見下ろしながらなお既往(きおう)の行きがかりにとらわれて、思い切った方向転換を決行することができない、今後さらに大戦争の勃発(ぼっぱつ)するようなことがあっても過去と同様人類は生き残ることができそうなものであるというがごとき、虫のいいことを考えている、これこそ全く夢のような理想に子どもらしい信頼を置くものでなくてなんであろうか。
おおよそ文明の最大危機は、かかる無責任な楽観から起こるものである。これがマッカーサー元帥(げんすい)が痛論(つうろん)した趣旨であります。実際、この改正案の第9条は戦争の放棄を宣言し、わが国が全世界中もっとも徹底的な平和運動の先頭にたって指導的地位を占(し)むることを示すものであります。
今日の時勢になお国際問題を律する一つの原則として、ある範囲内の武力制裁を合法化せんとするがごときは、過去における幾多の失敗をくりかえすゆえんでありまして、もはやわが国が学ぶべきことではありませぬ。文明と戦争とは結局両立しえないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が先ず文明を全滅することになるでありましょう。
(貴族院本会議、1946年8月27日。星野安三郎『平和に生きる権利』法律文化社、43ページから。引用にあたって漢字の
表記や仮名づかいを改めた。下線は二見)枢密院での説明
次に第九〔条〕は何処(どこ)の憲法にも類例はないと思う。日本が戦争を放棄して他国もこれについて来るか否(いな)かについては余(よ)(=自分)は今日ただちにそうなるとは思わぬが、戦争放棄は正義に基づく正しい道であって日本は今日この大旗を掲げて国際社会の原野をとぼとぼと歩いてゆく。これにつき従う国があるなしにかかわらず正しい事であるからあえてこれを行うのである。 │
原子爆弾といい、またさらに将来より以上の武器も発明されるかも知れない。今日は残念ながら各国を武力政策が横行しているけれども、ここ20年30年の将来には必ず列国は戦争の放棄をしみじみと考えるに違いないと思う。その時は余はすでに墓場の中に在(あ)るであろうが余は墓場の蔭(かげ)から後をふり返って列国がこの大道につき従って来る姿を眺めて喜びとしたい。
(1946年3月20日、枢密院ニ於ケル幣原総理大臣ノ憲法草案ニ関スル説明要旨)
アジアで2千万を超す人を殺した罪と
原爆による死者と生き残った被爆者の苦しみ、悲しみが平和憲法、9条を生みだした。
3.アベ改憲とは
(1)これまで…集団的自衛権の容認によって憲法9条を骨抜きにする。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これまでの自衛隊 ~ヌエのような軍隊
①もてる軍備(自衛力)には制約がある「自衛のための必要最小限度のもの」
大陸間弾道弾、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母はダメ。
②自衛権発動には具体的な事実がいる 「わが国に対する急迫不正の侵害」
③海外派兵は許されない
④集団的自衛権は認められない
「わが国は、主権国家である以上、国際法上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、わが国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法第9条のもとで許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考えている」(1981年5月29日、質問趣意書に対する政府答弁書から。毎年発行される『防衛白書』2013年版まで掲載)
⑤交戦権はないが自衛権の行使(必要最小限度の実力行使)はできる
⑥専守防衛
⑦軍事大国にならない
⑧非核三原則を守る
⑨文民統制(シビリアン・コントロール)を確保する
「だから、憲法違反でない」と言ってきた。
9つの閂(かんぬき)
とりわけ重要なのは「専守防衛」=集団的自衛権の行使はできない。
それが外されたのが安保法制=戦争法(2015年9月19日成立)
(2)これから…「9条に3項を」(5月3日 日本会議「第19回公開憲法フォーラム」安倍首相のビデオメッセージ)
例えば、憲法9条です。
今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。
「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です。
私は、少なくとも、私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、「自衛隊が違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。
もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと、堅持していかなければなりません。
そこで、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という考え方、これは、国民的な議論に値するのだろう、と思います」
情緒に訴え、現状の追認であるかのように装う
①「自衛隊が違憲」と言われるから9条に3項目を加えるというが…
これまでのように「その批判は全くあたらない」「全く問題ではない」「《言ってる意味がよくわからない》というのが率直なところだ」「その批判は全く当たらない。レッテル貼りはやめていただきたい」と言っておけばいいのであって改憲する必要はない。
②現状を追認するだけだから何も変わらないというが…
ならばなぜわざわざ変える必要があるのか。
1項・2項と3項の重みは同じでない。 「後法は前法を破る」(後法優先の原則)
自衛隊の存在は1項2項に該当しないものとなる(9条の死文化)
しかも、今の自衛隊は以前の自衛隊(専守防衛)とは違い、戦争法によって集団的自衛権行使や他国軍への「後方支援」の権限を与えられた自衛隊。それが憲法上に位置づけられる。
③始まりとしての「3項」改憲
日本国憲法第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
なんと自衛隊は「一般行政事務」に位置づけられている
敵前逃亡 軍法会議 自衛隊員は「捕虜」になれるのか… 憲法の想定外
●まとめにかえて
安倍政権を倒せばアベ改憲はつぶれる。もうひと押し。
Aはもちろん、安倍首相。
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