私の7冊
好きな本を1日1冊、7日間投稿。本についての説明は必要なく、表紙画像だけをアップ。その都度1人の友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いするという誘いがきました。
どうせなら自分とその本の関わりを書こうと思い、企画の趣旨とは離れましたが、まあいいかなと。
●「7日間 book cover challenge」への招待が藤木直実さんからありました。本の表紙を7日間載せ、一日ごとに誰かを誘うというもの。これは面白いチェーンメールですね。
藤木さんは、森茉莉のエッセイ『魔利のひとりごと』(筑摩書房)を紹介。
わが母上は今から60年も前、娘に案奴(アンヌ。森茉莉の妹は杏奴。杏の字は当時人名漢字になかった)というキラキラネームをつけた、もと文学少女。
そんな母の本棚から抜いた一冊、黒柳徹子『トットチャンネル』(新潮社)。
「トット…」は,『小説新潮』に82年から84年にかけて連載したもの。森茉莉は、1979年から85年にかけて『週刊新潮』に「ドッキリチャンネル」を連載していました。トットちゃんは、「ドッキリ…」を意識してタイトルをつけたのではないでしょうか。
この本のあとがきに、いま話題のテレプロンプターが登場します。
この装置の開発を命じ、世界で最初に使ったのはレーガン大統領なんだそうです。
トットちゃんは言います。「日本に、このテレプロンプターが導入されれば、恐らく、政治家の皆さんの人気は、もっと上がるでしょう、と、私は考えるのですけれども」。
さてどうなんでしょうか。
8日を8月と読み間違えるような人が総理大臣になるなんて、この本をお書きになったときには思いもしなかったでしょう。
●「7日間 book cover challenge」第二日。
ブックカバーに写っているのは南良和さんが撮影した「嫁の手」です。この嫁は当時いくつだったか?なんと21歳。「深く刻まれた無数の溝が、労働と暮らしの全背景を語る。このひび割れた手が『国』をささえてきたのである」というキャプションがついています。
『労働者と農民』は小学館「日本の歴史」シリーズ全32巻のうちの一冊として1976年に刊行されました。
『資本論』を学ぶために法政大学経済学部に行ったはずなのに、日本近代史に傾倒。歴史科学研究会の先輩に紹介されたこの本を神田神保町の古書店で見つけて購入(右側)。動かない民衆から立ち上がる民衆への転換を生き生きと描いた本書を読んで、学問の魅力にとりつかれました。
「動かない民衆から立ち上がる民衆へ」は今なお私の研究テーマ。いつか第二次世界大戦後の『労働者と農民』(民衆史)が書けたらという野望を持っています。
●「7日間 book cover challenge」第三日。
私が本の処分を進めていることを知った若い友人から、科学的社会主義関連の文献で不要なものがあれば送って欲しいというメールが来ました。
当たり前の話ですが、若い人に読んで欲しいと思えるようなものは処分するもののなかには見当たりませんでした。
残しておく本のなかに読んで欲しいものがありますが、これは上げるわけにはいきません。私も学び続けないといけないからです。
ネットで古書を探すとお手頃価格です。プレゼントすることにしました。
20世紀における日本のマルクス主義哲学を代表する一人である古在由重さん(1901-90)。
著作はさほど多くないので全てを読んで欲しいのですが、一冊を選べと言われれば、この『和魂論ノート』(岩波書店、1984年)を挙げます。
本書は1960年代後半に刊行された岩波講座『哲学』に納められた三つの論文「和魂論ノート」「試練に立つ哲学」「現代唯物論の基本問題」を収録したものです。『和魂論ノート』は、古在さん自身の「最終的な到達点で、言ってみれば遺言のようなもの」と哲学者の嶋田豊氏が評しましたが、戦後マルクス主義哲学の到達点の一つともいえます。
この本を乗り越えることなしに21世紀のマルクス主義哲学を構築することはできません。そして、乗り越えるためには、徹底的に読むこと、若い人の間で討論がなされることが求められています。
●「7日間 book cover challenge」第四日。
笠木透さんがつくった歌を初めて聴いたのは高校2年のとき。太田真季さんが歌った「わが大地のうた」です。しかし、そのときには笠木さんの詞と知っていたわけではありません。
それからしばらくして、高石ともやとナターシャセブンの107ソングブックシリーズのレコードを聴き、素敵な詞を書く人だなあと。そのとき、笠木透という詩人をはっきり意識したのです。
暴力学生の巣くう大学に入学した私は、彼らとのたたかい(といっても一方的に虐められていただけですが)に疲れ果て、3年生になった頃、運動から身を退きました。
そんなとき、この本を手にしたのですが、運動のあり方についての笠木さんの経験が書かれていて、その指摘が胸に刺さりました。
「ぼくらはいつも全身全霊で闘うやり方だった。あの太平洋戦争では生活のすべてを犠牲にし、文化など二の次、三の次とし、『ほしがりません勝つまでは』で負けた。芸術や文化はぜいたくとされ戦争に役立たないものとされ、『ぜいたくは敵だ』となって負けた。この戦争と60年安保を一緒くたに論ずるわけにはいかないが、ボクに限って言えば、同じような闘いのやり方だった」。
そう、私も同じでした。
笠木さんはベトナム歌舞団を観て、目からウロコが落ちたといいます。
「ベトナムの人たちは、闘争ではなく、戦争をやっているというのに、歌をつくったり踊ったり、まるで戦争をしているのか、生活しているのか。わけが分からない。闘いとは、生活しながら闘うことなのだ」
このくだりを読んで、私も目からウロコが落ちました。特別な「たたかい」ではなく、日々の暮らしのなかにあるたたかい。
自分に何が欠落しているのかに気づいたのです。
●「7日間 book cover challenge」第五日。
挨拶はするのも大変ですが、聞くのも大変。いや、聞く方が大変です。たいてい長い。しかも、前置きが長い。面白くない。何を言いたいのか分からない。
『挨拶はたいへんだ』(2001年、朝日文庫は2004年)は、結婚披露宴、告別式、祝辞に弔辞といった、丸谷才一さんが実際に行った挨拶が収められています。一つひとつの挨拶を読み終えると清々しい気持ちになる。
どうやったら、こんな挨拶ができるのか? 丸谷さんの域にはなかなかたどり着けないにしても、今より上手になる秘訣を教えてくれています(巻末の井上ひさしさんとの対談)。それは原稿を書くこと。
野坂昭如さんの仲人をしたときに、失言をしないために書いたのが初めてだと言います。やはり面白い挨拶は練らないといけない。
挨拶の場というのは、「みんなが持ち寄った貴重な時間のかたまり」であり、「この瞬間を二度とない、またとない時間にしようという丸谷さんの使命感がある」と井上さんは解説します。
対談では、司会がスピーチしてはいけないということも指摘されています。
「私の言いたいことは、ただいま司会者が全部おっしゃって下さいました。おめでとうございます。終りって言いたくなるような司会者もいますね」と丸谷さん。
「このごろそれが多いですよ。歌謡ショーの司会者は、歌手が歌を歌うために、きちっと盛り上げて、しかし歌を歌うことはない」と井上さんが応える。司会者は「歌ってはならない」のです。
いつかこんな挨拶原稿が書けるようになりたい。そう思いながら、挨拶や演説の原稿を書く日々です。
●「7日間 book cover challenge」第六日。
2000年からこの20年間で本屋は2万軒から1万軒へと半減しました。ネット書店やコンビニに客を奪われているうえに、売れ筋本は大型書店に偏って配本される。書店経営は困難を極めるばかりです。
『奇蹟の本屋をつくりたい』(ミシマ社、2018年)は、そんな書店受難の時代に、川の上流に向かって泳いだ記録です。札幌市内にあった売り場70坪のくすみ書房。店主はこの本の著者でもある久住邦晴さんです。
新潮文庫で売れ行きの悪い下位700点と「良い本が多いのになぜか売れない」ちくま文庫800点を集めた「なぜだ!?売れない文庫フェア」。なんと1か月足らずで全部売れたといいます。
「本屋のオヤジのおせっかい《中学生はこれを読め!》」。小学校の開放図書館(地域に開放された学校図書館)のボランティアをしている奥さんと二人で「中学生が読んで面白い本」という基準で500冊を選んだのだといいます。
この企画は札幌市内27書店の共同企画となり、それが道内、静岡、愛知、岐阜、三重、石川の書店に広がっていきました。店内での朗読会や、カフェを併設したりと創意工夫を重ねる久住さん。
しかし、近くに大型店ができ、売上げが激減します。移転をするが、それでも経営は苦しい。寄付を集めたり、「友の会」を組織したりしますが、資金繰りは苦しいままです。
奮闘努力の甲斐もなく、くすみ書店は2015年に閉店。久住さんは肺がんとなり17年に66歳でお亡くなりになりました。
今日の日本では、くすみ書房のような本屋が存続し続けることは奇跡に近いのでしょう。それでも「奇跡の本屋」を待っています。
●「7日間 book cover challenge」第七日。
中学、高校と生徒会活動が私の全てでした。
中学校では、生徒の自主性を尊重する学校づくりの一環として生徒会改革が始まっていました。クラスの代表が集まっての「中央委員会」が活発になり、文化祭など行事も変わっていきます。
よく仲間と論議し、それが改革へとまっすぐに結びつく。民主主義の素晴らしさを実感しました。
高校に入って、同じようなことをしようと思ったのですが、全くうまくいきません。『月刊・考える高校生』を愛読し、高校生文化研究会(現在は高文研)から出ている実践記録をいろいろ読みました。
そして、竹内常一『教育への構図』(高文研)にたどり着いたのです。難しくはあったけれども、生徒会をどうやったら活性化することができるのかという思いが理解を助けてくれました。
「《文化としてのからだ》の未発達」という指摘になるほどと膝を打ちました。三無主義(無気力、無感動、無責任など)と評される高校生は、「やる気」がないのではなく、それを行うだけの「わざ」「からだ」がないからではないか、と竹内さんは言います。
「仲間と呼吸を合わせていきる〈わざ〉がないから、仲間とひびきあって行動しうるしなやかな〈からだ」がないから、ひとりひとりが孤独で淋しく生活しているから、その人間関係がお互いに冷酷で残酷なものとなっているのではないか」43頁)
人の「やる気」に訴えるだけでは、生徒会活動を活発にさせることはできない。では、どうすれば…。あれこれやってみましたが、満足のいく改革はできずに高校を卒業。運動はどうやったら活性化するのか――あれから40年間考え続け、今なお私の研究テーマです。
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