さくら咲く四月に 追悼 大岡信さん(1)

現代日本を代表する詩人、大岡信(おおおか・まこと)さんが5日、呼吸不全のためお亡くなりになりました。

大岡さんの著作を我田引水した拙文を2つ掲載させていただきます。

 

今年も美しい桜が咲いている。

この桜をつかって糸を染めることができるそうだ。私はみたことがないのだが、それは「燃えるような強さを内に秘め、はなやかでしかも深く落ち着いている色」で、「その美しさは目と心を吸いこむように感じられ」るという。

その美しい色は花びらからでなく、あの黒い皮からとれるのだ。「桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな、上気したような、えもいわれぬ色が取り出せる」。

樹木全身が桜色になろうとしているのだ。桜が美しい花びらをつけるとき、私たちは花びらだけに目を奪われがちだが、その背後に木全体が美しいピンクになろうとしている活動があり、それなしに花びらは美しく咲くことができない。

大岡信さんは「言葉の力」(『詩 ことば 人間』講談社学術文庫)というエッセイのなかでこのことを紹介しながら、言葉も同じではないかという。言葉というものは「口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界を、いやおうなしに背負ってしまう」。

大岡さんのいうとおり「いかに語るか」ということと「いかに生きているか」ということは分かちがたく結びついている。

もっと正確に、もっとわかりやすく科学的社会主義の理論を伝えたい、と思う。そのためにみずからが理論を深くつかむ努力をし、かつ話術にもたける努力が必要だろう。しかし、言葉の背後で、生き方が問われているのだ。同じような話をしていても、どこかにその人の生き方がにじみでてしまう。言葉というのはおそろしい。

このことを忘れないようにしたいと思う。桜の花をながめながら、昔読んだエッセイを思い出し、ひっぱりだしてみた。

(1994年)

2017-04-05 | Posted in エッセイNo Comments » 

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