個性は集団のなかで輝く 追悼 大岡信さん(2)
現代日本を代表する詩人、大岡信(おおおか・まこと)さんが5日、呼吸不全のためお亡くなりになりました。
大岡さんの著作を我田引水した拙文を2つ掲載させていただきます。
「個性的に生きたい」、「自分らしく生きたい」と誰もが願う。とりわけ青年層にその思いは強い。
「自分らしく生きたいから組織には属さない」という青年も少なくない。「自分らしく生きる」ことと「組織・集団に属する」ことは相反するということが、なかば常識となっているようだが、本当にそうだろうか。集団や組織を拒絶して、自分らしく生きることができるのか。
心理学者のいぬいたかしさんが「自分をみつめるために仲間から離れた人は、たいていの場合、新聞論調に非常に忠実になる、という皮肉な結果が起こるものです」(『私の中の私たち』いかだ社)といっている。今なら「テレビの論調に非常に忠実になる」ということだろう。要するに没個性へと向かっていく。
「個性とは特殊性とか仲間との目立った違いのことではないのです。その子なりの仲間とのかかわり方のことなのです」(いぬいたかし『社会主義者の心理学』新読書社)。「個性とは仲間のなかで育つ」というのが唯物論の立場だ。
詩人の大岡信さんに『うたげと孤心』(岩波同時代ライブラリー)という著作がある。「うたげ」というのは、仲間が集まることによって生みだされる力。「孤心」とは、ひたすら孤独に耐え、考える力である。この両者の緊張関係が優れた詩歌を生みだすと大岡さんは言う。
「現実には『合(あわ)す』ための場(「うたげ」のこと)のまっただ中で、いやおうなしに『孤心』に還(かえ)らざるを得ないことを痛切に自覚し、それを徹して行なった人間だけが、瞠目(どうもく)すべき作品をつくった。しかも、不思議なことに『孤心』だけにとじこもってゆくと、作品はやはり色褪(いろあ)せた。『合す』意思と『孤心に還る』意思との間に、戦闘的な緊張、そして牽引力(けんいんりょく)が働いているかぎりにおいて、作品は希有(けう)の輝きを発した」。
個人と集団の弁証法的関係が、みごとに語られている。
仲間とともに何かを作り上げていくなかで自分を見つめることが必要なのだ。集団に埋没するのでもなく、集団を拒否するのでもない。集団のなかにあって自分自身のかかわり方を定め、そのなかで切磋琢磨(せっさたくま)することが大事なのではないか。
一人ひとりが自分の持ち味を確かめあいながら、力を合わせていくこと、そのなかで個性と組織は希有の輝きを発するようになるのだろう。
(1998年)
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