歴史の浅い「伝統文化」 

 

京都府舞鶴市で4月4日行われた大相撲春巡業で、あいさつ中に突然倒れた市長の救命措置で駆け上がった女性に、日本相撲協会側が土俵を下りるよう求めるようアナウンス。当然、非難囂々(ごうごう)です。

この問題に対して「女人禁制は伝統文化だから」とテレビなどでもまことしやかに言われています。

命より土俵を大切にするのが「伝統文化」なのでしょうか。ひょっとするとそうなのかも知れません。

しかし、その「伝統」とはいつからのものか。

「日本の伝統文化」について10年ほど前に書いたエッセイを蔵出しいたします。

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ようやく広島でも桜が咲き始めた。桜といえばなんといってもソメイヨシノ。

コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミトツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二が于武陵の「酒を勧める」を訳したこの詩からも、いっせいに咲いていっせいに散るソメイヨシノの風景が目に浮かぶ。

桜にもいろいろ種類があるが全国的に分布しているのもソメイヨシノだ。日本の桜の8割がソメイヨシノなのだという。このソメイヨシノ、実はクローン(接ぎ木、挿し木)によってしかできない。人工なのである。いつできたかというと江戸末期らしい。そして、日本全国に広がったのはなんと明治時代。桜(ソメイヨシノ)のある風景は新しい景観だったのである。佐藤俊樹さんの『桜が創った「日本」』(岩波新書)を読んでソメイヨシノの来歴を初めて知った。

わずか100年ほどのあいだに創られた風景を自然と感じ、さらに日本の伝統的な風景だといつの間にか思いこんできたことに驚いた。

自民党は(2005年)4月4日、憲法試案要綱をまとめた。ねらいはやはり9条。「自衛のために自衛軍を保持する」と明記した。戦争を「しない国」から「する国」へ変えられようとしている。そして、「天皇がわが国の歴史、伝統、文化と不可分であることは共通の理解が得られた」と「要綱」はいう。

「理解がえられた」とも思わないが、天皇制もソメイヨシノと同じではないか。明治維新によってつくりだされた絶対主義的天皇制に戦後の象徴天皇制が接ぎ木され、たかだか100年ほどのことが、いつのまにか「歴史、伝統、文化と不可分」のものだという「物語」になっている。

要綱案には聖徳太子も登場する。「和の精神をもって国の繁栄をはかり、国民統合の象徴たる天皇とともに歴史を刻んできた」と。

日本近代での「和の精神」はどういうものだったのか。

「今や日本はまさしく超非常時である。いささか非常時不感症に陥った現代日本人も、このたびの大東亜戦争によって、何人もはっきりと非常時の国民として処すべき、おのれの責任と義務とを痛感したことと思う。われらは『和を以て貴しとなす』と誡めたもうた太子のとうとい御精神を、再認識することによって、一君の下、億兆心を一つにして、大和協力をもって、いよいよ大御心を奉戴して、ひたすら新しい日本、新しい東亜の建設のために、一層努力せねばならぬとおもう」
(高神覚昇著『靖国の精神』昭和17年。新かな新漢字に改めた)

「和の精神」は侵略戦争のスローガンだったのである。

『靖国の精神』は「真珠湾であっぱれ華と散った軍神九柱」その軍神の一人、古野茂實少佐の辞世の歌を紹介し、これぞ海軍学校、江田島精神てあると称揚している。

君のため何か惜しまん若桜 散って甲斐ある命なりせば

(2005年4月執筆。広島県労働者学習協議会「一粒の麦」に掲載)

 

女人禁制が相撲の「伝統文化」でないことはこちらを参照下さい。

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