みんなを貧乏にたたき落とすことによって手にした20億円
2003年、森永卓郎氏は、年収が300万円ぐらいまで下がるよと予言。
15年が経ちましたが、2017年のグラフ(「国民生活基礎調査の概況」から)にあるように世帯所得300万円以下は3割を超えています。
日経連(大企業の労働組合対策を担ってきた団体で経団連に吸収された)が1995年に作った「新時代の日本的経営」という方針文書どおり、正規から非正規への転換が進みました。
「1億円以上稼ぐような一部の大金持ちと、年収300万円~400万円ぐらいの世界標準給与をもらう一般サラリーマンと、年収100万円台のフリーター的な人たちの三層構造」(135ページ)に分かれていく」というのが森永さんの予想で、ほぼその通りになりました。
ゴーン社長は、ふつうの労働者の400倍、500倍の働きをしているから20億円を手にしたのではありません。自社と下請けの労働者を安くこきつかい、貧乏にたたき落とすことによって得られたものです。
1999年 「日産リバイバルプラン」 2万1千人の人員削減と工場閉鎖
2009年 リーマンショックを口実に、2万人の人員削減、下請け企業の切り捨て
正社員を削減し、大量の派遣労働者など非正規雇用労働者を開発部門の中枢にまで導入
2009年 神奈川県にある日産テクニカルセンターで技術職員3000人を一斉に契約解除
労働者や下請け企業に犠牲を転嫁して業績を回復させながら、役員報酬を引き上げてきたのです。
以下は、15年前に書いた書評です。
「年収300万円時代」!?
ニュースステーションにも登場する森永卓郎さんの『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)が売れているらしい。さっそく読んでみた。帯には「弱肉強食時代を生き抜く生活防衛術」とある。森永さんには『シンプル人生の経済設計』(中公新書ラクレ)という著書もあって、内容はほぼ同じなので時間とお金を節約したい人はこちらがおすすめ。
本書のいい点は、小泉構造改革の本当のねらいと行きつく先を見抜いているところにある。
まず、ねらいだが、日本のエリートは、アメリカのようなエリートになりたいと考えているのだという。現在、日本では「社長と平社員の賃金格差は4倍前後でしかない」がアメリカでは1000倍以上もの開きがある(日本でも、額面上の賃金の格差がそのまま収入の差ではなく、実際にはもっと格差があると思うが、しかしアメリカの比ではないだろう)。
「市場原理は想像を絶する所得格差をもたらす」のだ。だから、金持ちはますます金持ちに、庶民はますますビンボーにという「新階級社会」が構造改革によってつくりだされることになる。
「1億円以上稼ぐような一部の大金持ちと、年収300万円~400万円ぐらいの世界標準給与をもらう一般サラリーマンと、年収100万円台のフリーター的な人たちの三層構造」(135ページ)に分かれる。これは日経連が1995年に出した『新時代の日本的経営』の3つのグループに一致する。
森永さんは「自分は勝ち組になれるという幻想を捨てろ」ともいう。「勝ち組」になれるのは1%いるかどうか。「能力主義・成果主義が強化されるということは、特定のエリート階層だけが受け取る分け前を増やしてい」くことなのだ。
このように森永さんは小泉「構造改革」を鋭く批判している。
しかし、本書の問題点は、このような愚にもつかない改革、アメリカ型社会への転換が「絶対にとまらない」「後戻りはできない」ものだと考えていることだ。だから、導き出される処方箋は「シンプル人生」であり「生活防衛術」という個人的対応策になってしまう。
労働者はもっと休むべきだという提言はうなづける。しかしそれとて、個人の意識改革だけでは、ままならない。必要なのは「負け組」=圧倒的多数の労働者の連帯の力で、現状を変えることだ。
「あとがき」で森永さんは「せめて『負け組』になる人だけでも、人としての心を失わず、手をたずさえて欲しい。それが私の望みだ」と述べている。
「人としての心」のなかには不正義を見逃さず、それを変えるために「手をたずさえる」ことも当然入るのではないか。
人間らしく生きるための連帯、それが労働者のたたかいなのだが、残念ながら森永さんの視野に入っていない
(広島県労働者学習協議会機関誌「一粒の麦」2003年7月号)
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