「戦争の放棄」か「戦争の廃棄」か ―― やがて来る日に 憲法讃歌
山ノ木竹志「やがて来る日に―憲法讃歌」が載っているメーデーパンフ2023
1.やがてくる日に あなたをもとめて
あなたのために たちあがったのだと
やがてくる日に 歴史は きっと
わたしたちの名を 刻むだろう
おゝ 人間の権利よ 自由よ
おゝ 憲法よ 憲法 輝け!
2.やがてくる日に あなたをまもって
あなたのために たたかったのだと
やがてくる日に 世界は きっと
わたしたちの歌 うたうだろう
おゝ 戦争の廃棄と 平和を
おゝ 憲法よ 憲法 とどろけ!
おゝ 人間の自由よ 平和よ
おゝ 憲法よ 憲法 わが憲法よ!
日本のうたごえ全国協議会の事務局長だった小澤久さんから次のようなメールが来ました。作詞者が故人となってしまったので、あなた(二見)の考えを聞かせて欲しいとのことです。
「やがて来る日に」の歌詞で「戦争の廃棄」となっている意味がよくわからないのです。うたを聞いたときや、歌った時に「ん、これ『放棄』間違い?」という違和感が拭えないのです。
リュウ(たかだりゅうじ)ちゃんは、「新江(義雄=山ノ木竹志)さんが草案にはそうなっている」と語っていたとしか語ってくれなくて。たとえ草案にそういう言葉があったとしても現憲法では「放棄」となっていて、定着してます。
あえて「廃棄」とうたう意味がよくわからないのです。
さて、どうなんでしょうか。この問題提起をうけ、考えてみました。
CDブック『山ノ木竹志・歌つづり 歌わずにはいられない』から
CDブックの「やがて来る日」の解説(山ノ木竹志執筆)は次のようになってます。
1989年、中東湾岸危機のもとで自衛隊海外派兵が声高に叫ばれ始めた。
この年の5月、憲法フェスティバル「がんばれ!憲法 5・3《愛と平和》トーク&コンサート」を開いた。1月7日、先の天皇が逝去した折りもおり、仲間内で梅原司平さんを呼んでディナーショーを企画していて、その日、「歌舞音曲の類(たぐ)い」あい成らぬとの御触れがマスコミを通して執拗に流される中で、心震えつつも引くに引けぬ思いで断行した。
怖かった。「危ない」と思った。“自粛”という名の思想統制・人権抑制がまかりとおったら、この国はお陀仏だ。その危機意識をバネに開いたのが、「トーク&コンサート」だったのだ。
私は1947年に憲法とともに生まれ、その陽射しのもとで生きてきた。–オイ!、わが愛しきケンポーよ、負けるな、がんばれ!
3年後の1992年。「国際貢献」と「平和維持」の美名を使って自衛隊=日本国軍を海外に派遣。他国の紛争に介入し、人間・民族・国民に銃口を向ける悪巧みを知ったとき、「戦後45年、軍隊が一人も人を殺さなかった国=日本」の礎(いしずえ)である憲法が岐路に立たされていると痛切に感じた。
「夫や子を戦場には送らない」「違憲の法案は廃案に」と全国各地でお母さんたちや働く人たちがデモ行進している姿に接したとき、私になにがてきるのか煩悶(はんもん)した。6月9日、PKO法案が自公民の多数で強行採決された日、詞を書き換えた。そして、たかださんに手渡した。
93年元旦、私は年賀状にこう書き留めた。
「改憲」を問う国民投票-。
やがてくる日に、心して準備する、
いま一年。(略)
簡素に生き暮らしたい、また一年。この年冒頭、突然の死が我が友・雅美を襲い、彼女は風になり、私は嵐に巻き込まれた。
仕事の合間をぬっての集中制作=第一学習社争議支援2・18大集会「人はみな人間らしく生きたい」。そのまま身をよじって、‘93憲法集会へ。この時、新たに立ち上がった歌が「♪やがてくる日に-憲法讚歌」だった。
「広島民報」に掲載された元の原稿には続きがあります。
詞にある「わたしたちの歌」とは憲法第九条のこと。「戦争の廃棄」は憲法草案の原語から採った。
当時、憲法集会は講演会で、というのが定番だったが、この年、集会にオムニバス劇が取り入れられ、94年からは今につづく「ケンポー・ミュージカル」が、寅さん映画よろしく、くんずほぐれつで上演されることになる。そのつどいのフィナーレに歌われているのが、この歌だ。
今年も5月3日、フラワーフェステイバルの最中に、県民文化センターでこの歌が高らかに歌われる。
私の思いとしては、この歌は、時限立法ならぬ「時限立歌」。心して歌いたい。
ここに、たかださんが言った「憲法草案」のことが出てきます。
GHQ草案とその翻訳
GHQ民政局内で書き上げられた憲法草案(GHQ草案)は1946年2月12日に完成し、マッカーサーの承認を経て、翌13日、日本政府に提示されました。日本政府は、22日の閣議においてGHQ草案の事実上の受け入れを決定し、26日の閣議においてGHQ草案に沿った新しい憲法草案を起草することになります。
GHQ草案は、日本国憲法の原型といえるでしょう。そうであるがゆえに「押しつけ憲法」という言いがかりがずっと続いているわけです。
そのことはさておき、GHQ草案とその日本語訳はどうだったのか。
草案では9条ではなく、8条です。
CHAPTER II Renunciation of War
Article VIII. War as a sovereign right of nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.
第二章 戦争ノ廃棄第八条 国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス 他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ
草案では、abolish(廃止)、renounce(廃棄)と「捨てる」という言葉が2回使われていますが、日本国憲法はrenounceひとつです。
Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
英文では、草案も憲法も同じrenounceで、日本国政府が、草案のときは「廃棄」と訳し、日本国憲法では「抛棄(=放棄)*1)」としました。
ですから放棄も廃棄も同じなんです。GHQの意図ではなく、日本政府がrenounceの訳として「放棄」の選んだ。なせ「廃棄」としたものを「放棄」に変えたのか。その理由は分かりません。
*1)1956年に、当用漢字表にない漢字を含んで構成されている漢語について、同音の別の漢字に書き換えることになり、抛棄は放棄に。他に妨碍(→妨害)、崩潰(→崩壊)などもこの時に変更された。
なぜ「放棄」ではなく「廃棄」を選んだのか
しかし、山ノ木竹志はなぜ、日本国憲法にある「放棄」ではなく、「廃棄」としたのか。それには理由があると思うのです。
山ノ木さんは「放棄」でなく、あえて「廃棄」を選んだ。そうでなければ憲法と同じ「放棄」にしたはずです。
二つの言葉に共通している「棄」は、「棄てる=捨てる」です。かなり意味は重複しているからこそ、日本政府は「廃棄」を「放棄」に変えることができた。
しかし、両者は全く同じかというとそうではない。
手元の辞書(『明鏡国語辞典』)をみると、「放棄」は、「ものごとを見限って捨てること」という語釈がついています。そして、「自分の役割、権利、資格などを捨てて行使しないこと」という説明がありました*2)。「相続の権利を放棄する」と言った使い方をしますよね。権利はあるんだけど「捨てる」という意味です。日本は軍隊をもつ権利があるんだけど「捨てる」。なんか未練がましいですよね(笑)。
*2)旺文社の漢和辞典には「投げ捨てる」「放り投げる」ともある。
一方、「廃棄」には「不要なものとして捨てること」とあります。日本国民が、軍隊は不要なものだと考えて(判断して)捨てるのです。
山ノ木さんが「廃棄」という言葉を選んだのは、「やがて来る日に」日本の民衆(「わたしたち」)が、自覚的に「戦争の廃棄」を選ぶことを想定し、展望していたのではないか。
以上のように考えたのは、山ノ木さんの最後の日本語詞「花はどこへいった」の創作にたちあった経験からです。
CDブックに次のように私は書きました。
山ノ木さんの日本語詞はその心に忠実に、しかもやさしい言葉で表現している。
はじめ、「いつになったら分かるのだろうか」(When will they ever learn?)としていたサビを、「気づく」というより自覚のニュアンスの高い言葉に最終盤で変えた。その思いをくみ取ってほしい。
「分かる」ではなく「気づく」。「放棄」ではなく「廃棄」。
人間の主体的能動性、一人ひとりの人間が、自覚して現実社会に働きかけることをどこまでも信じた山ノ木さんだからこそ「廃棄」という言葉を選んだのではないか。これが私の結論です。
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