朝鮮半島分断の歴史(上)

 

日本共産党府中町支部で、日本共産党綱領の学習を続けています。前回、朝鮮戦争はスターリンの指令だったことや金日成がニセモノであることなど、ちょっと脱線して話しましたところ、次回は朝鮮半島の南北分断の経緯について話すようにという支部長の指示。

気軽に引き受けましたが、分からないことだらけ。書いては調べ、調べては書きの繰り返しで、久々に徹夜しました。レジュメの補足をいくつか。

(1)日本による朝鮮半島の植民地化が南北分断の前提、前史をなしている。

南北分断には日本にも大きな責任があり、そのことを日本人は自覚しなければなりません。

(2)なぜ北緯38度線で分断されたのかについて

下記のような見解もありますが、ソウルをアメリカ側にもってくるために、それより北の38度線を境界にしたというラスクの説明のほうが事実をいいあてていると思います。ソ連参戦から数日の判断ですので38度線をめぐる歴史を振り返っている余裕はなかったでしょう。

この38度線というのは、歴史的にはもともと、日本帝国主義によってもちだされてきたものです。1904年の日露戦争勃発のまえには、日本は38度線を境界に、日本とロシアが朝鮮の勢力圏を分け合うことをロシアに提起したことがあります。1945年の敗戦直前には米ソとの対決作戦を強化するために、38度線を境界として、北側を関東軍、南側を朝鮮軍〔朝鮮駐在の日本軍〕の作戦指揮下に起きます。(尹健次『きみたちと朝鮮』岩波ジュニア新書)

きみたちと朝鮮 (岩波ジュニア新書)

 

(3)金日成はニセモノだった。

レジュメにもあるように多くの民衆が期待していた金日成将軍と、1945年、ソ連から送り込まれた金日成はまったくの別人物。

萩原遼『朝鮮戦争』(文春文庫)を読んでびっくり。

(4)朝鮮戦争をしかけたのは北か南か。

朝鮮戦争は、北側が1950年6月25日、38度線を越えて南下したことによって始まりました。しかし、アメリカは状況をすべて掴みつつ、あえて北側に侵攻させたうえで反撃をしたのだ、アメリカによる陰謀だ。若い頃、このような説明を受けたと記憶しています。当時読んだ、松本清張氏の『日本の黒い霧』(文春文庫)下巻所収の「謀略朝鮮戦争」(初出は文藝春秋1960年12月号)も、I・F・ストーンの『秘史朝鮮戦争』に依拠しながら、「朝鮮戦争の本当の経過はどうなのであろうか」と問い「アメリカ軍は38度線に火を点けた」とアメリカによる謀略であると結論づけています。
新装版 日本の黒い霧 (下) (文春文庫)

若くして亡くなった朝鮮史研究者の梶村秀樹さんも「分割占領自体は、日本軍の武装解除のための便宜的分担にすぎず、まだ一時的なものにすぎないと思われていた。それを分断国家体制までもっていってしまった根因は、冷戦体制下の外力、とりわけアメリカの思惑からする介入であった」とアメリカ根因説にたっています。(『朝鮮史 その発展』講談社現代新書、1977年)

しかし、朝鮮戦争の引き金を引いたのは北朝鮮であり、その背後にいたソ連であり、スターリンでした。

私たちの信じていた、アメリカ謀略説がいかに事実でないのか。萩原さんの『朝鮮戦争』を読んで、目から鱗が落ちる思いをしました。

朝鮮戦争―金日成とマッカーサーの陰謀 (文春文庫)

 

スターリンが朝鮮半島をどのように考え、なぜ朝鮮戦争を起こしたのか。それが次回のテーマ。不破哲三さんの『スターリン秘史』第6巻がその全容を解明していますので、これに依拠して検討していきたいと思います。
スターリン秘史―巨悪の成立と展開〈6〉戦後の世界で

以下は、本日のレジュメでございます。


1.前史 日本による植民地化

1868年 明治維新
1875年 江華島事件 開国を拒む朝鮮に対してたびたび軍艦を出動して挑発。砲撃を受け、応戦し報復攻撃。朝鮮に対する本格的な侵略の出発点。前年には台湾出兵。

1895年 下関条約 日清戦争に勝った日本は、清国 に朝鮮の「独立」を認めさせ、遼東半島と 台湾および膨湖島を割譲させ、多額の賠償 金(2億両(テール))を払わせた。

(赤い部分が遼東半島)

1905年 ポーツマス講和条約 満州と朝鮮の支配をめぐって起きた日露戦争。日本は兵力と戦費が枯渇。ロシアは国内の革命運動が激しくなり、双方終戦せざるをえなくなり講和。ロシアは、ポーツマス条約で、日本の朝鮮における優越権の承認し、日本が指導・保護・監理の措置をとることを認めた。

(戦場も朝鮮半島だった日露戦争)

1906年 外交から内政まで大きな権限をもつ韓国統監府を漢城(ソウル)に置く。初代統監、伊藤博文。
1910年 「韓国併合」 韓国を日本の植民地に。「韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且ツ永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」(日韓併合条約第1条)

1945年 ポツダム宣言を受諾し、日本敗戦「カイロ宣言※の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする」(第8項目)

※カイロ宣言(1943年)「同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国から剥奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。日本国は、また、暴力及び強慾により日本国が略取した他のすべての地域から駆逐される。前記の三大国〔米中英〕は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する」(一部を抜粋)

2.朝鮮の独立と南北分断

1945年
8月8日 ソ連が対日参戦 満州、朝鮮半島、南樺太・千島列島へ。
8月10日 ソ連軍が北朝鮮、北端の都市雄基(ウンギ)に突入
8月10日~11日 アメリカの国務・陸軍・海軍調整委員会において「北緯38度線で暫定分割する」という案がつくられ、トルーマン大統領が承認。この案がソ連側     に提示され、8月16日にソ連はこれに同意した。
8月15日 日本の降伏 朝鮮は植民地支配から抜け出す。
8月17日 38度線以北の日本軍はソ連軍に、以南はアメリカ軍に降伏することが決定
8月26日 ソ連軍、平壌に入城し、軍政部を設置。

なぜ北緯38度線なのか?

「日本が降伏した1945年8月14日の会議中、(ボーンスティールと)私は夜遅くに隣の部屋にこもり、朝鮮半島の地図と取り組んだ。
緊急で、そして重圧がのし掛かる大変な任務、アメリカが占領する範囲を決めなければならない。ティックも私も半島の専門家ではなかったが、首都ソウルはアメリカ側に入れるべきだと感じた。
軍が広い範囲の占領に反対していることも知っていた。そこで、ナショナル ジオグラフィックの地図を引っ張り出し、ソウルのすぐ北にぴったりの境界線はないかと探してみた。しかし、適当な地理的境界は見つからない。代わりに目に入ったのが、緯度38度の直線だ。上司に提案してみるとすんなり通ってしまった。ソ連も同意したのには驚いたが」。
(後に国務長官となったディーン・ラスクの自伝『As I Saw It』1991年、ナショナルジオグラフィックHP、「朝鮮半島を分断する38度線の秘話」2013.08.06)

 

3.金日成とはなにものか

中国東北部では、朝鮮人の抗日武装闘争が激しくなり、金日成が抗日パルチザンを組織し、1934年には朝鮮人民革命軍を編成した。ついで、1936年抗日統一戦線として祖国光復会をつくり、朝鮮のなかにも組織を拡大した。(『高校世界史』実教出版)

1912年生まれ。本名キム・ソンジュ。父親の仕事(漢方医)の都合で、7歳で満州に渡り、中国人のなかで育つ。1931年、19歳のとき、中国共産党に入党、抗日遊撃闘争に加わる。最盛期200人ぐらいのゲリラ隊員を率いた(「中隊長」程度)。
満州時代から使っていた仮名がキム・イルソン。

金日成将軍伝説 1905年、「日本はすべての朝鮮軍を武装解除し解散させた。愛国的な軍人の多くは憤然として祖国をあとにし、北満、東満、はてはシベリアまで根拠地を移して日本軍とのたたかいを続けた。そのなかで1920年代から一人の勇敢な抗日の闘士の名が遠雷のように国内にまで聞こえてきた。金日成将軍である」「金日成将軍とは、かつて実在した抗日の闘士の一人でもあったし、また複数の闘士の集合名詞でもあった。事実と伝説とがないまぜになって作られたひとつの像であった」(萩原遼『朝鮮戦争』文春文庫)

「キム・ソンジュ青年を、シベリアから北満、東満の曠野にかけて白馬にまたがり長駆して日本軍を打ち破る伝説的英雄金日成将軍として売りだし、新生朝鮮の首班として占領行政を推進させようと考えた知恵者が平壌のソ連軍司令部にいたのだろう」(同)

「金日成主席は終始満州にふみとどまり、日本軍と十万回の戦闘をつづけ。1945年8月9日にはついに日本にたいして最終攻撃命令を下し、無敵の関東軍を撃破して祖国を解放し、民衆の歓呼のなかを凱旋した」朝鮮労働党中央委員会党歴史研究所編『金日成主席革命活動史』1983年、前掲『朝鮮戦争』より重引)

実際には、1941年、日本軍の討伐部隊に追われ、満州からソ連に逃げ込み、ソ連軍に入隊。第88特別狙撃旅団の大尉であった。1945年9月にソ連軍の船プガチョフ号に乗って元山(ウォンサン)に上陸、こっそり平壌に入った。
1945年10月14日 朝鮮解放祝賀集会 「金日成将軍の登場となった。つぎの瞬間、みなはあぜんとした。白髪の抗日の老闘士を想像していた人たちの目にうつったものは、似ても似つかぬ若造であった」「金日成の演説がはじまると人びとは『にせ者だ』『ロスケ※の手先だ』『ありゃ子どもじゃないか。なにが金日成将軍なもんか』と口ぐちにいいだしたのです。……かれがあまりに若すぎるのと、かれの朝鮮語がたどたどしかったからです」(同)」

※ロスケ……ロシア語でロシア人を意味する「ルースキー」〈русский、英: Russky〉による。

4.南北分断

1945年12月27日 米英ソ三国外相会談(モスクワ協定) 朝鮮半島地域での単一の自由国家の成立を勧告。朝鮮半島の独立がなされるまで、アメリカ・ソ連・イギリス・中国が最長5年間の信託統治すると合意。
1946年1月16日(~2月5日) 米ソ両軍司令部の予備会談を開くがまとまらず。
1946年2月8日   北朝鮮臨時人民委員会(事実上の北単独政権)。
1946年3月5日  英チャーチル首相「ソ連は鉄のカーテンを張りめぐらしている」
1947年3月12日  トルーマン・ドクトリン 当時のアメリカ合衆国大統領、ハリー・S・トルーマンによる共産主義封じ込め(Containment)政策
1947年9月22日(~27日) コミンフォルム第1回会議 ソ連共産党代表のアンドレイ=ジュダーノフが国際情勢に関する報告を行い、「二つの陣営」の対立を強調。
1948年8月15日  大韓民国政府樹立。
1949年9月9日   朝鮮民主主義人民共和国樹立。
「民主基地」路線  すぐに南北統一をするのではなく、まず北半分に強力な社会主義国家を建設し、それを革命の基地として朝鮮革命の完遂(南朝鮮革命・南北統一)をめざす。

金日成「北朝鮮人民委員会の成立は……モスクワ会議の決議をわれわれはまず北部朝鮮からその実現に着手したということに大きな意義がある」『党の政治路線および党活動の総括と決定』前掲『朝鮮戦争』より重引)

「モスクワ会議の決議のいちばんの中心点は、南北をひとつにした民主主義臨時政府をつくるというものであった。ところが金日成は、北だけでまずつくるというのである。統一の放棄であり、南北分断への重大な一歩であった」(前掲『朝鮮戦争』)
もちろん、金日成を背後から動かしていたのはスターリンである。

2018-05-05 | Posted in 読む・聞く・書く・話すNo Comments » 

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