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2021-05-03

憲法のこころを聴く(1) 日本国憲法の〝こころ〟とは

 

剣を鋤(すき)にかえ、槍(やり)を鎌にかえよう。
武器を鋳(い)とかして、
たがいにあいさつをかわすときに鳴らす
鐘にかえよう。
すべての諸国民がその剣をふりかざさず、
隣人を戦争で襲うことのないように。
われらすべてのものは、
平和の美しさのなかで、
幸福を心から味わうように
なろうではないか

(ブレゾヴァ・ヴァウリネス「ドマズリチェの勝利を歓呼する歌」)

なぜ「主権者力」なのか?

この講座のタイトルは「主権者力を磨く」です。

「主権者力」とはいったい何か?

そもそも「主権」っていったい何なのでしょう?? 

日本国憲法の三大原理は、①国民主権、②基本的人権の尊重、③平和主義だと小学校でも中学校でも社会で習いましたよね。憲法の前文と第1条に、主権は国民に「存(そん)する」(=ある)と書かれています。

日本国憲法が公布されて10か月後の1947年8月、文部省は『あたらしい憲法のはなし』という冊子を発行。当時の中学生1年生の教科書でした。この冊子では、つぎのように説明されています。
 
こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、国民ぜんたいの考えで国を治めてゆきます。そうすると国民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。

国を治めていく力のことを「主権」といいますが、この力が国民全体にあれば、これを「主権は国民にある」といいます。

そう、国を治めていく力、それが主権(soverein power)です。そして、国民が、「主権」を行使しうる力のことを「主権者力」と私が名づけました。国の主人公として生きる力、能力のことです。

この主権者力をパワーアップすること、磨きあげることがいま大切です。

なぜなら、第一に、ワーキングプア、「派遣切り」に象徴されるように、日本社会に貧困と生活不安が広がっているからです。

13条の生命・自由・幸福追求権、25条の人間らしく生きる権利、27条の人間らしく働く権利が奪われている。これらの権利を奪いかえし、人間らしく生き、働く社会をつくらなくてはなりません。

第二に、「集団的自衛権」を認めることによって9条を空洞化させる解釈改憲、「海賊対処派兵法」のように新たな法律をつくる「立法改憲」、自衛隊を強化し、米軍と一体になって行動する「なし崩し改憲」が進められようとしているからです。

小泉内閣や安倍内閣のもとで進められてきた「明文改憲」の動きは、私たちの運動の前進、「主権者力」の向上によって、大きく後退しています。このことに十分確信をもちつつ、これらの「壊憲」攻撃をうち破る力を身につけなければなりません。

2008年12月5日に亡くなられた加藤周一さんは、その前年の11月に開かれた「九条の会」第2回全国交流集会で、安倍政権崩壊後の状況をふまえ、つぎのように提起しています。

権力側で改憲を望む人は、いきなり改憲ではなくて、むしろ解釈改憲の伝統をそれこそ生かしながら、だんだんに九条の内容を空虚にして、事実上ないのと同じようなところに追い込んでいくという手をとるでしょう。……おそらくこれからは長丁場になるでしょう。それに抵抗するには、やはり九条を守るというだけではなくて、九条を生かす必要があるのだということを強調する必要が出てくるのではないかと思います。(「報告集」10ページ)

油断してはいけないが、あせる必要はまったくありません。ぼやき、あせっているのは改憲派の方です。私たち自身の力、「主権者力」を身につけ、長丁場にわたる改憲攻撃を日々のくらしの問題と結びあわせて、たたかうことが求められているのです。

民俗学者の宮本常一さんは、まったく別の状況のもとでですが、かつてつぎのように語ったそうです。

結局、自立と連帯をすすめることのできる真に自主的で文化性を獲得した活動家や指導者を沢山生みだす運動でないといかん。運動というものはその主張に真価があるのだから、目標を具体的でしっかりしたものに限定して、そしてねばりづよく持続して追求する。
(村崎修二編著『花猿誕生』清風堂書店)

なんか、私たちのためのメッセージのように聞こえますね。

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