(写真提供:国立極地研究所)
友人、里中俊大さんが第60次南極観測隊の一員として南極へ行きます。そんな夢を持っていたことをこれまで全く知りませんでした。
その彼から「日本国憲法と南極条約は繋がりがあるのですが、もし良い読み物がありましたら紹介を」というメッセがきました。
そういえば、井上ひさしさんが、そんなことを言っていたなあと思い出し、検索したら、講演録が見つかりました。2007年11月21日、所沢で開かれた「成功させる会」主催の 井上ひさし講演です。
日本国憲法と南極条約について述べられている部分を引用します。
1957年から2年間、皆さんご存知のように国際地球観測年というのがありました。戦後初めて各国の科学者たちが力をあわせて南極を探検しようと、国際地球観測年という2年間を決めました。日本はようやく独立しまして、国際的な集まりに初めて科学の分野で参加することになりました。私たち年をとったものは、「宗谷」という南極探検船を良く覚えているのですが、つまり覚えているというのは、やっと日本もオリンピックやその他国際的な催しに一人前として参加できたという感動がありまして、よく覚えているのです。そのときに実は国際地球観測年が壊れそうになったことがあるのです。
それは、ソ連とアメリカが互いに相手の出方を疑ったことによるのです。ソ連側は、アメリカは国際地球観測年にかこつけて、南極に観測基地と同時に軍事基地を作ってしまうのではないかと疑い、アメリカもソ連を疑ったのです。ソ連はああいうわけの分らない国なので、国際地球観測年にかこつけて軍事基地を作るのではないか。これだけなら良かったのです。そこにイギリスが入ってきて、いや、もともと南極はイギリスの探検家が最初に発見したところなので、これはイギリスの領土だ、と言い出したのです。
そのようなことでこの観測年が壊れそうになったときに、やはり日本も国際社会に復帰して気合が入っていたとみえて、ちょっと待って欲しい、と。せっかく初めてわれわれ科学者たちが力をあわせて探検船を出してやろうとしているのに、いろいろな事情で壊れては困る。私たちは日本国憲法というのを持っているのだけれど、ここには“あらゆる諸国民がお互いを信頼し”という前文にあるそこを示したのです。だから疑うのは止めましょうと、騙されてもいいからお互い相手を信じたらどうですか、ということを珍しく言い出しましてね。それで半年ぐらいしていろいろな交渉が行われて、実際に南極観測というのが始まったわけです。
そのときにアメリカとソ連とイギリスが、日本に感心するのですね。感心して、その信頼した約束を法律にしようと、法的にそこを日本が言い出したようにしようというので、有名な「南極条約」(1961年6月効力発生)というのを作るのです。
「南極条約」は本当に短い国際法です。
南極はどこの領土でもない。これは人類のための領土である。あらゆる人々の国である。というのが一つと、ここには軍事基地は絶対に誰も作ってはいけない、と。しかし、科学観測はみんなで競争しようではないか。こういう内容を参加した7ヶ国がお互いに認め合って、署名して、国会も批准して、「南極条約」というものが発足するのです。
これが始まりで、いろいろな国際条約が結ばれていくわけです。(以下省略)