「限定」であっても「小型」であっても核兵器は許されない 2019年平和行進到着式でのあいさつ

8月3日、国民平和大行進 東京~広島コースは今日8月3日府中町に到着しました。府中町原水協を代表しての私の挨拶です。

みなさんお疲れ様でした。府中町議会議員をしております、二見伸吾と申します。府中町原水協を代表してあいさつさせていただきます。

核兵器禁止条約が国連で採択されて2年が経ちます。現在、70カ国が署名し、24カ国が批准まで完了しました。条約発効には50カ国以上の批准が必要です。

日本では400以上の自治体の議会が禁止条約への日本の参加を求める意見書を採択しています。府中町議会も昨年3月、「日本政府に核兵器禁止条約の批准を求める 意見書」を議員全員が提案者となり、原案通り採択いたしました。(拍手)

 

さて、みなさん

安倍総理は「核兵器保有国から協力を得る努力を粘り強く続けながら、橋渡し役として進めていくことが重要だ」と言って核兵器禁止条約を否定し、実際には橋渡しもなにもしない。

唯一の戦争被爆国でありながら、核兵器を容認する立場であります。核兵器による被害がさほどでもないという印象を諸外国に与え、核兵器を使うことへのハードルを下げている。まことに許しがたいことです。

みなさん

先月29日、米軍が戦闘中の限定的な核兵器使用を想定した新指針をまとめていたと「中国新聞」は伝えました。核爆発後の放射線環境下で地上戦をどう継続するかなど、核兵器の使用を具体的に検討する内容です。

すでにトランプ米政権は、昨年2月発表の「中期的な核戦略の指針となる核戦略見直し(NPR)」で、爆発力を抑えた小型核兵器の開発を打ち出しています。「核兵器の限定使用」「小型核兵器」の持つ意味は何でしょうか。「限定」だから「小型」だからと、被害が小さいかのように思わせて、核兵器を使うことです。

長田新(おさだあらた)さんが編集した『原爆の子』という子どもたちの手記集があります。長田さんの序のあと、一番目に佐藤朋之さん(被爆当時4歳で書いたのは小学校4年生)の手記が載っていますが、府中町が出てきますので紹介します。

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おとうちゃんは、きんろうほうしにいって、かえってきました。そしてぼくらのいるところを、さがしておりました。それをきいて、大きいお姉ちゃんは、おとうさんの手をひいて、ぼくのいるぼうくうごうにつれてきました。

おとうちゃんは、こしから上をやけどをしていました。それをみた大きい姉ちゃんも、よその人も、みんなびっくりしました。よそのおじちゃんが、おとうちゃんのからだに、あぶらをぬってくださいました。ぼくはこころのなかで、ありかとうとおもいました。

それからずっと、ふちゅう(府中)の山ににげました。山のおてらがこわれたところに、かやをはって、ねていました。長くここでくらしていました。すると、よその人も、いえにかえりだしたので、ぼくたちも家にかえりました。

かえってみると、ガラスはこわれ、たんすはたおれ、ほとけもたおれ、しょうじはやぶけ、かわらはこわれ、かべはおちているのでした。それをみんなでなおして、おとうちゃんをねかせました。

六十日ぐらいして、よなかにおとうちゃんが、おばあさんに、いもをくいたいといいました。おばあちゃんは、はいといって、いもをにました。

「おとうちゃん、いもができました」といって、おとうちゃんをみると、もうこえがでません。ぼくがおとうちゃんのからだにさわってみると、つめたくなって、もうしんでいました。

おとうちゃん、おかあちゃん、さようなら。

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みなさん

「限定」であっても「小型」であっても核兵器を使えば、こういうことがまた起きる。

放射能による被害は何十年も経って突如あらわれもする。

核兵器は使わせず、なくすしかありません。

5月6日から始まった平和行進もあと1日。明日は、ここ府中町慰霊碑前から平和公園まで、私も歩きます。

あと1日、そして核兵器のなくなる日まで歩き続けましょう。

本日はお疲れ様でした。

 


(激励の挨拶をして下さった佐藤信治町長、左は中村武弘議長)

 

(和歌山-広島コース、通し行進者、山口逸郎さん 87歳)

 

 

 

 

 

(府中町役場 緑色の看板に「非核宣言の町」とある)

 

 

 

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