内部被曝がもたらすもの――日本国憲法の原点 ヒロシマ(3)

後障害と内部被曝

時間がたってから起こる病気、障害、そして死。人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許さない。これが原爆被害の核心なのです。急性障害がほぼ終わったころから現れた「原爆後障害(こうしょうがい)」(あるいは晩発性障害)。ケロイドに始まり、白内障、白血病、ガン…。

後障害の事実は分かっていましたが、その発症のメカニズムはまだ十分解明されたとはいえません。しかし近年、その重大な手がかりをえることができました。それは劣化ウラン弾です。1991年にアメリカが湾岸戦争で初めて使用しました。劣化ウラン弾による被害の実態は、核被害を検討し直すきっかけとなったのです。

 劣化ウラン弾(DU)は、戦車に穴をあけて中に侵入する“鋼鉄を貫く矢”です。中に侵入し内部ではね回って、内部を破壊し燃やしてしまう砲弾(徹甲焼夷弾)です。金属劣化ウランが非常に重いことに目をつけ、普通の矢が動物などに突き刺さるように、戦車に穴をあけて内部に侵入させることを目的として、劣化ウラン弾が開発されたのです。金属劣化ウランは物質中最も密度が大きいものの1つです。劣化ウランの密度は19g/cm3、鉄の密度の2.4倍もあります。……標的にぶつかった時にウランは高温になり、自らの酸化物の微粉末になると同時に、侵入した内部を燃やし尽くします。(矢ヶ崎克馬「劣化ウラン弾と内部被曝」『月刊保団連』2004年、№827)

アルファ線の飛ぶ距離はわずか0.1㎜。貫通力は弱く、紙一枚で止めることができます。体外からの影響はほとんどありません。

しかし、それが鼻や口から体内に取り込まれると「DNAは破壊され、細胞組織に異変が起こる。細胞毒性からいえば、地球上にこれ以上強力な毒性はない」と医師の丸屋博さんは言います(1)

湾岸戦争以降、イラクでは白血病、がん、とりわけ肺がんと乳がんが急増し、奇形児もたくさん生まれています。被爆直後の広島でもたくさんの奇形児が生まれ、闇(やみ)から闇へ葬(ほうむ)られました(2)
内部被曝が後障害をもたらす原因として有力視されています。じりじりとからだを蝕(むしば)む内部被曝。

自らも広島で被爆した医師、肥田舜太郎さんは、「ピカに遭(お)うとらんのじゃ」と訴える男性が、被爆者と同じように死んでいくさまをみて、そのなぞを追い続けてきました。そして、肥田さんのたどりついた結論が「内部被曝」だったのです。

 爆発と同時に放射された放射線分子は塵(ちり)や埃(ほこり)に付着して広範な地域に飛散し、地上に降下する。一部は発生した水滴に混じり、いわゆる「黒い雨」となって降下し、雨滴に触れたものに放射能障害を与える。また、空中、水中に浮遊し、食物の表面に付着した放射性物質は呼吸、飲水、食事を通じて体内に摂取されて肺と胃から血液に運ばれ、全身のどこかの組織に沈着し、アルファ線、ベータ線などを長時間、放射し続ける。そのため、体細胞が傷つけられて慢性の疾病をゆっくり進行させ、また、生殖細胞が傷つけられて子孫に遺伝障害を残した。

このような被ばくを内部被曝といい、これまで、アメリカの被ばく米兵と復員軍人局の補償をめぐる論争のなかで、また広島・長崎の原爆被ばく者と厚生省の認定をめぐる論争(被爆者の疾病が放射線起因であるか否か)のなかで、その人体に対する有害性をめぐって争われてきた課題である。
(肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』ちくま新書、75-76ページ)

放射性物質は体内に取り込まれるとアルファ線、ベータ線を放ち、これが内部被曝(ひばく)(体内被曝)を引き起こすのです。原爆では、放射性物質が黒い雨や粉塵(ふんじん)に混じって鼻や口から体内に入り、爆心地から遠いところで被爆した人や、爆発後に市内に入った人にも核被害をもたらしたのです。

被爆から60年以上たっても放射線を放出

 内部被曝を裏づける証拠がついに

今年(2009年)6月26日、NHKのニュースで内部被曝の影響が確認されたという研究が報道されました。私は見はぐっていて、YouTubeであとから見ました(今はもうないようです。2018年8月6日追記)。

 

新聞はだいぶ遅れて8月7日、共同通信が次のようなニュースを配信。「中国新聞」は夕刊で扱ったので広島でもあまり知られていません。
もっと話題になっていいのですが、なぜかその後もほとんど記事になっていないようです。

体内「死の灰」今も放射線 長崎大が撮影 内部被曝裏付け

長崎原爆で死亡した被爆者の体内に取り込まれた放射性降下物が、被爆から60年以上たっても放射線を放出している様子を、長崎大の七条和子助教らの研究グループが初めて撮影した。放射線を体の外側に浴びる外部被爆と別に、粉じんなど「死の灰」による内部被曝を裏付ける“証拠”という。

内部被曝の実態は研究が進んでおらず、七条助教は「病理学の見地から内部被曝の事実を証明することができた。今後、健康への影響を解明するきっかけになるかもしれない」と話している。

七条助教らは、爆心地から0.5~1キロの距離で被爆、急性症状で1945年末までに亡くなった20代~70代の被爆者7人の解剖標本を約3年間にわたり研究。

放射性物質が分解されるときに出るアルファ線が、被爆者の肺や腎臓、骨などの細胞核付近から放出され、黒い線を描いている様子の撮影に成功した。アルファ線の跡の長さなどから、長崎原爆に使われたプルトニウム特有のアルファ線とほぼ確認された。

鎌田七男広島大名誉教授(放射線生物学)は「外部被爆であればプルトニウムは人体を通り抜けるので、細胞の中に取り込んでいることが内部被曝の何よりの証拠だ。広島、長崎で軽んじられてきた内部被曝の影響を目に見える形でとらえた意味のある研究だ」としている。 (共同通信)

被爆者の腎臓の細胞核付近から、2本の黒い線を描いて放射線が放出されている様子を撮影した顕微鏡写真(長崎大学提供)


1)御庄博実(丸屋博氏の詩人としてのペンネーム)・石川逸子『ぼくは小さな灰になって…』西田書店、50ページ。

2)尾長(おなが)町(広島市東区)で助産婦をされていた岡村ヒサさんは次のように証言してます。

「一番多かったのが兎唇でございました。それも口蓋裂もあって、泣くと喉の奥まで見えるんです。お乳もよう飲めないような-。 それから肢指過剰ですね。多指です。それから鎖肛。肛門のないのも多うございました」「○○さんは、赤ちゃんのおばあさんになる方が○○病院の産婦人科の看護部長をしておられました。奇形が生まれたということですぐに電話をされたらしいですが、来られたそのあくる朝赤ちゃんが逝きましたからね。あー、そうされたのかと思いましたけれどね」「もう一件の、○○さんは、そこにも耳のない子が生まれまして、可愛い女の子でございましたが、おばあちゃんが「火葬場に持ってゆくまで泣き出しはしませんかしら」と言っておられました。これは薬を使ったんだなと私は思いました」

(広島医療生協原爆被害者の会『被爆体験記・ピカに灼かれて』第13集)

 


もくじ

1.ヒロシマを知るために

2.たくさんの悲しみを抱えて生きる

3.内部被曝がもたらすもの

4.ヒロシマを伝える作品たち

5.ヒバクシャ 渾身のたたかい

6.ヒロシマのこころを聴く

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