憲法のこころを聴く(1) 日本国憲法の〝こころ〟とは

主権者力を磨くために

主権者力の内容としては、さしあたりつぎの3つが考えられます。

第一に、さまざまな困難から、なにがほんとうの問題なのかをまさぐりだし、問題提起する能力。

第二に、その問題提起にそって解決のための運動、共同行動をつくりだす能力。そのなかには、相談する能力も含まれます。相談するというのは、「役割を決定して客観世界に働きかけること」だと心理学者のいぬいたかし(乾孝)さんがいいました。命令は一方的ですが、相談は相談するものどうしが、知恵と力をだしあい、それぞれの持ち味を生かし、弱点は補いあって、ものごとをすすめることができる。だから、話しあう関係、相談する言葉をもったものだけが、いつも歴史を切り開いてきたのだ、といぬいさんは言うのです(『私の中の私たち』いかだ社)。

第三に、運動をときどき総括しながら、現状の到達点と問題点、今後の方向性を見いだし、新たな問題提起をする能力。

この主権者力は、努力さえ惜しまなければだれでも身につけることができます。

「まっすぐに社会を見つめる瞳と、『なぜなんだろう?』と素直に疑問をもてる頭と、心や身体の痛みを思いやれる心」(手塚るみ子『こころにアトム』カタログハウス)があればいい。

そういう瞳と頭と心で、「主権者学」を学ぶことが、主権者力を養う土台になります。かつて君主、王様が国を治めていたとき、「帝王学」というものがありました。世の支配者がいかにあるべきかについて述べたものです。今日では、主権者である「現代の君主」は国民一人ひとり。憲法学者の杉原泰雄さんは、「帝王学」に対する「主権者学」を提唱し、憲法学習を呼びかけています。

国民主権のもとでも、真の主権者となるために、国民に厳しい学習が求められていることに変わりはないでしょう。憲法が国民主権を宣言していても、国民が憲法政治を監視し、統制しうる真の主権者、真の市民としての力量を身につけていなければ、主権者・市民の役割を果たせないからです。……学習活動を通じて、その力量を身につけたときに、はじめて、国民は名実ともに主権者となり、ひとりひとりは名実ともに市民となるのです」(『憲法の「現在」』有信堂、287~288ページ)。

この講座は、私なりに杉原さんの提起を受けとめ、主権者力を磨くための、一つのトレーニングメニューを提案してみました。

それは、日本国憲法の内容そのもの、原点としてのヒロシマ、そして憲法を生かすために乗りこえねばならないカベとしての日米安保体制を知り、20世紀の戦争と平和の歴史をふり返り、21世紀を日本にとっても変革の時代にする展望を考えることです。

21世紀を「戦争のない地球」にするために、ともに学びましょう。

力を持ち、知識が豊かにひろがっていけばいくほど、
その人間のたどるべき道は狭くなり、
やがては何ひとつ選べるものはなくなって、
ただ、しなければならないことだけをするようになるものだ。
(ル・グウィン『影とのたたかい ゲド戦記Ⅰ』岩波書店)

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