中井正一の跳躍点としての尾道 ――嶽本あゆ美さんの講演を聞いて
中井正一
中井正一(1900-47)は、雑誌『世界文化』や週刊紙『土曜日』を舞台にファシズムとたたかった哲学者で、1937年治安維持法違反により検挙。
終戦直後に尾道市立図書館長となり、歴史家であり、当時参議院図書館運営委員長だった羽仁五郎の推薦で1948年国立国会図書館の初代副館長に就任します。図書館法制定に携わりました。
中井正一が演劇の主人公になる。私はたまげました。
劇団民藝の『聴衆0(ゼロ)の講演会』(2025年9月27日~10月6日、紀伊國屋サザンシアター)。
作・演出は嶽本(だけもと)あゆ美さんです。
その嶽本さんの講演が11月17日(日)、尾道市立中央図書館であると知り、参加しました。

母、千代(舞台では、樫山文枝が演じた)についてから嶽本さんの話は始まりました。
朝ドラにでもなりそうな両親の出会い。骨盤が狭く、医者に出産は無理だと言われたが、当時まだ珍しかった帝王切開によって1900年、正一を産みました。
嶽本さんは、中井の人生を4つの時期に区分します。
第1期 《起》学問と青春
第2期 《承》反ファシズム運動
第3期 《転》尾道図書館長として文化運動に取り組む
第4期 《結》国立国会図書館副館長
中井の人生は第1期から第4期までそのいずれもがドラマに満ちていますが、嶽本さんは、第3期、尾道での中井の奮闘を転換点=跳躍点と捉えています。
1937年に反戦論者として弾圧され、以後、中井は自由にものを語ることができなかった。敗戦によって自由をえた中井の「たまりにたまった思いは、せきあえぬほど口にあふれ出てきた」のです。
しかし、彼は大衆に語る言葉を持っていなかった。その難しさから聴衆はどんどん離れ、最後はゼロに。
これが中井のエッセイ「聴衆0の講演会」の前半です。
それでも中井はめげない。
外国語は使わない、大切なことは他の言葉で言い直して二度ずつ言う、身近な実例をあげて説明する。こういう「表現の秘密」を探り出して、自らの講演を立て直していったのです。
嶽本さんは、この中井のエッセイをそのままタイトルにし、中井の激動の人生を舞台にしました。
1945年の終戦から48年の国立国会図書館副館長になるまでの数年、「聴衆0の講演会」をはじめとする、尾道での悪戦苦闘が様々な収穫を中井にもたらしたのです。
だからこそ、続く国立国会図書館副館長としての大奮闘があった。
中井はなぜ、広島の村を離れ、東京へ行ったのか。
広島の農村が敵の攻撃に「焼け落ち」、それに愛想を尽かせて出ていったという説があります。
しかし、その説に与しないと嶽本さんは言います。その通りだと思いました。
尾道は跳躍点であり、中井は尾道での苦闘・奮闘をバネにして飛んだのです。


「聴衆0の講演会」についての嶽本講演の聴衆は約100人。
講演会終了後に中井正一の生家に案内していただきました。
家は建て替っていますが、庭は当時のままにしてあるそうです。


この講演会の成功が、演劇『聴衆0の講演会』の広島・尾道・岡山……という上演に繋がればいいなあ。












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