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2018-08-06

ヒバクシャ 渾身のたたかい――日本国憲法の原点 ヒロシマ(5)

原爆症認定裁判

今年(2009年)の8月6日、政府が原爆症認定集団訴訟の「全面解決」を決断し、被爆者側との確認書が締結されました。確認書の内容は次のとおりです。

原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書

1.1審判決を尊重し、1審で勝訴した原告については控訴せず当該判決を確定させる。熊本地裁判決(8月3日判決)について控訴しない。
このような状況変化を踏まえ、1審で勝訴した原告に係る控訴を取り下げる。
2.係争中の原告については1審判決を待つ。
3.議員立法により基金を設け、原告に係る問題の解決のために活用する。
4.厚生労働大臣と被団協・原告団・弁護団は、定期協議の場を設け、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、この定期協議の場を通じて解決を図る。
5.原告団はこれをもって集団訴訟を終結させる。
以上、確認する。

平成21年8月6日
日本原水爆被害者団体協議会
代表委員   坪井 直
事務局長   田中熙巳
内閣総理大臣
自由民主党総裁  麻生太郎

初提訴から6年がたちました。国は集団訴訟で19連敗。厚生労働省は爆心地からの距離に基づいて被爆者が浴びた放射線量を算出し、認定してきました。各地の裁判所は、「(厚労省の基準は)機械的な線引きで、被爆者の実態を反映していない」と指摘。政府はようやく解決を決断したのです。

(熊本地裁)

被団協、原告団、弁護団は、調印について次のような声明を出しました。

 

「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」の調印を終えて

2009年8月6日
日本原水爆被害者団体協議会
原爆症認定集団訴訟全国原告団
原爆症認定集団訴訟全国弁護団連絡会

1.本日、国は、熊本地裁判決について控訴を断念したうえで、一審勝訴判決にしたがい原告の原爆症認定を行うこと、原告に係る問題の解決のために基金を設けること、さらに残された問題の解決を図るために厚生労働大臣との定期協議の場を設けること等、原爆症認定集団訴訟の一括解決を決断し、「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」の調印を日本被団協と行いました。私たちは今回の麻生総理の決断を心から歓迎します。

2.1945年8月6日、9日、広島市と長崎市に、アメリカ軍が投下した原子爆弾は、広島では14万人、長崎では7万人の市民を殺戮し、二つの町を一瞬にして壊滅させました。生き残った被爆者にも、がんをはじめ様々な病気が発症し、死の恐怖に怯えながら現在まで苦しみ続けています。

しかし、国は、明らかに放射線に関連するこれらの病気について、2003年提訴当時の被爆者約27万人のうち約2200人(0.81%)しか原爆症と認定しませんでした。

戦後60年を経て、被爆者は「死ぬ前になんとしても原爆被害の残酷な実態を告発したい」との思いで、2003年4月、札幌、名古屋、長崎から原爆症認定集団訴訟を始め、鹿児島にいたるまで全国17の地方裁判所に広げました。

被爆者・原告は、裁判で自分のプライバシーをすべてさらけ出して、この60年間の病気と、生活の苦しみと、心の悩みを裁判所に訴えたのです。

裁判の中では、国が、放射線の被害について、原爆が爆発したときの直爆放射線しか見ておらず、残留放射線や放射性降下物さらに内部被爆を無視して、原爆被害を軽く、狭く、小さな被害として描こうとしていることが明らかになりました。

3.私たちは、2006年5月の大阪地裁での9名の原告全員勝訴に続き、現在まで,二つずつの東京高裁,大阪高裁判決,一つの仙台高裁判決を含む19の裁判所において連続して勝訴してきました。

日本被団協と原爆症認定集団訴訟を支援し核兵器の廃絶を願う市民は、国に対し、原爆症認定集団訴訟の早期の一括解決と、審査の方針(原爆症の認定基準)の被爆実態に見合った抜本的な改訂を求めてきました。その結果、二度にわたる認定基準の改訂を勝ち取ってきました。

そして、今回の確認書の調印により、訴訟の早期一括解決、被爆実態に見合った認定行政への転換に道筋をつけることができました。

4.バラク・オバマアメリカ大統領は、本年4月5日にプラハでの演説において、核兵器を使用した唯一の核保有国として、アメリカは行動すべき道義的な責任があるとしたうえで、「核兵器なき世界への共同行動」を呼びかけています。私たちもこの集団訴訟の成果を、核兵器の廃絶に向けた大切な財産としたいと考えています。特に、この核兵器の廃絶の流れの中で、官房長官談話において「唯一の被爆国として、原子爆弾の惨禍が再び繰り返されることのないよう、核兵器の廃絶に向けて主導的役割を果たし、恒久平和の実現を世界に訴え続けていく決意を表明」したことを高く評価します。

5.今回の成果は私たち原告団だけのものではなく、現在生存している23万余の全国の被爆者に共通のものであり、核兵器なき世界を求めて連帯してたたかっている全国の人びと、世界の人びとが共に喜び合えるものと確信します。

しかし、まだ解決しなくてはならない多くの課題が残されています。私たちはそれらを解決するため、みなさんとともに力を尽くすものです。今後ともご支援をよろしくお願いします。

一審で勝訴し、広島高裁で係争中の大江賀美子さん(広島市佐伯区、80歳)は「やっとか、という思い。国民の命を守るべき国と裁判で争い、悔しい思いをしてきた。うれしいと同時に、ほっとした」とこれまでの苦悩を振り返りました(「中国新聞」8月6日付)。

大江さんは、16歳で被爆しました。

昭和20年8月19日から、三次(みよし)高女4年生の時に救援隊として、爆心地より350メートルの本川国民学校で、救援活動を行いました。

焼かれた皮膚のウジ虫を取り、赤チンを塗る、治療をした被爆者が翌日には亡くなり、その死体の処理をする。亡くなった人が焼かれる臭いで息苦しくなりました。

私たちは、被爆者と一緒にむしろの上に寝泊まりしました。水道からチョロチョロ出ている水を飲み、その水で身体も拭きました。一週間働き続け8月25日、三次に帰りました。

帰ってすぐ、全身の倦怠感、吐き気、嘔吐、食欲不振、下痢、下血が続き、脱毛もありました。その後、昭和40年乳がん、昭和55年胃がん、平成9年5月卵巣がん。その後、本川国民学校で救護に当たった23人のうち13人が死亡しており、そのうち白血病で2人、がんで7人が亡くなっています。

(パンフレット「扉をあけて!」原爆症認定集団訴訟全国弁護団)

被害を小さく見せたかった厚労省

被爆者が求めてきたのは原爆症の認定です。

これまでも長崎原爆松谷訴訟、京都の小西裁判、東京地裁と高裁での東訴訟など、原爆症の認定を求めた裁判がありました。国は、爆心から2キロで線引きして、その内側で被爆した人で、しかも特定のがんや傷病の人しか認定してこなかったのです。それ以外は「原爆放射線によるものではない」と切り捨ててきました。投下直後から市内で救助活動をしたり肉親を探して歩き回った人(入市被爆者)は、放射線の影響がない、とすべて却下されてきたのです。

長崎の松谷英子さんは最高裁まで12年、京都の小西さんは大阪高裁まで13年もの年月をかけて裁判をたたかい、勝利しました。判決は国の認定基準に対して強く批判しました。これらの判決によって、厚労省が原爆症の認定基準そのものを事実に基づいて見直すべきでした。

しかし、「原因確率」(1)などあらたな算定方式などを持ち出し、被爆者の認定をより困難なものにしたのです。

直爆放射線量のみを考慮し、残留放射線をほとんど考慮していないため、いわゆる入市被爆者 (原爆投下当時は広島・長崎市内にはいなかったが、その後救護などの目的で入市し、残留放射線の影響を受けた被爆者等) や、遠距離被爆者 (爆心地から2km以遠で被爆した被爆者) はほとんど認定されません。

このことに対する怒りが、集団訴訟へとつながっていきました。認定制度そのものを変えようと集団で被爆者が立ち上がったのです。

声明でも述べられていますが、03年提訴当時の被爆者約27万人のうち原爆症と認定されたのはわずか2200人(0.81%)。なぜ厚生労働省は「原爆症」を認めたくなかったのでしょうか。理由は二つ考えられます。

一つは日本政府が、これまでのアメリカの核政策(核兵器を戦争に使うこと)を支持しており、アメリカは核の被害をできるだけ小さなものだと人々に思わせておきたいからです。
もう一つはお金です。原爆症として認定され、医療特別手当を受給している人の数はずっと2000人前後で推移してきました。予算に合わせて認定者を出しているといっていい。
広島での原爆訴訟で一審敗訴した厚生労働省は、高裁での「意見陳述書」(2007年2月14日)で次のように述べています。

現在、我が国における国民全体のがん対策関連予算は、年間400億円程度ですが、被爆者に対しては年間約1500億円の支出をしています。原判決の結論をすべて受け入れ、放射性起因性について明確な科学的根拠がないにもかかわらず健康管理手当の受給者約23万人全員に対して医療特別手当てを支給することになれば、被爆者援護施策のためにさらに年間3000億円近い歳出が新たに必要にとなります。しかし、それでは、原爆症認定制度自体の破綻を招くことにもなりかねません。(太字は原文のもの)

「語るに落ちる」とはこのことです。カネの問題なのです。お金は本当にないのでしょうか。そんなことはありません。いわゆる「思いやり予算」を含めた日本政府による米軍の駐留経費の負担は年間約6000億円にものぼります。生き残っている被爆者に全員(23万人)に支給しても、半分の3000億円。

アメリカ軍には「思いやり」があって被爆者には冷たい。そういう政治が続いてきたのです。

被爆者の願い

被爆者はなぜ、裁判を起こしたのでしょうか。訴状には次のようにあります。

この訴訟で原告となった被爆者らは、自らが原爆症と認定されることにより家族が差別されるかもしれないにもかかわらず、自らの身体をもって、さらに被爆体験を語ること自体が多大な苦痛を伴うにもかかわらず、自らの体験を語ることによって、原爆が如何に残酷なものかを明らかにしようとしている。

そして、わが国が戦争による原爆被害を受けた唯一の国であることや原爆被害の実状が忘れ去られようとしている今日において、自分の苦しみを国に認めさせることにより、日本政府の被爆者政策、そしてさらに日本政府の核兵器についての政策を転換させ、世界の核兵器の廃絶につなげたいという思いが、原告ら被爆者をこの原爆症認定訴訟に立ち上がらせた理由なのである。

このことは、原爆投下の際、自分たちの代わりになったかもしれないで死んでいった人々に報いることであり、戦後の自ら受けた苦しみを国に認めさせることにより、自分たちと同じ苦しみを世界中の誰にも再び味あわせることのないように願って、核兵器のない世界をつくる礎(いしずえ)となろうとする強い意志に基づくものなのである。

(広島原告団の広島地方裁判への訴状。2003年6月12日)

国、厚生労働省の姿勢といかに違うことか。

被爆者政策を変え、核政策を変え、「核兵器のない世界をつくる礎になろう」、それが「自分たちの代わりになったかもしれないで死んでいった人々に報いること」だというのです。

原爆による被害を政府に認めさせることは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらないようにする」ための手だてになります。被爆者政策のうしろにある核政策を変え、戦争も核兵器もない未来をつくる。それは日本国憲法とまっすぐに結びついています。

もし、被爆していなかったら…

提訴から6年がたち、原告306人のうち、68人が亡くなられています。

萬膳(まんぜん)ハル子さんもその一人です。萬膳さんとは、2004年11月21日の広島県母親大会でお会いしました。私は憲法の分科会の講師で、萬膳さんは訴訟団の一人としてその会場に訴えにきていたのです。その日から4ヵ月後の2005年3月30日、69歳で亡くなりました。

萬膳さんは9歳のとき爆心から2.6㎞にある自宅近くで被爆。顔の半分、喉、胸、両手、両足を灼(や)かれ、皮膚が垂れ下がりました。激痛がはしり、激しい嘔吐と下痢、歯茎からの出血、血便、血尿、脱毛、倦怠感、食欲不振が続いたのです。激痛で失神したこともあるといいます。萬膳さんにつぎつぎ病気が襲いました。

1962年、盲腸の手術をし、切り口が癒着。卵巣とラッパ管を切除。
1976年、子宮筋腫の手術を受け、子宮を摘出。
1981年、肝機能障害のため半年入院。
1984年、肝機能障害で通院治療。
1997年、帯状疱疹で入院し、肝硬変が見つかる。
1999年、肝臓がんのため入院。
2003年、食道と胃に静脈瘤。

萬膳さんは手記に次のように書いています。

年頃になって一番辛かったことは、好きな人に身体を見せられないことでした。好きな人ができても、ケロイドのために女としての幸せもあきらめ、本当に悲しくて自殺を考えたこともありました。昭和35(1960)年に結婚し妊娠しましたが、義父母の反対で中絶しました。

「広島で原爆にあったものが子どもを産んじゃいけん」と言われたのです。そのときの悔しかった気持ちは忘れることができません。

2度目、3度目に妊娠したときは流産しました。……もし、私が被爆していなかったら、子どもを産んで、その子どもも結婚し、孫ができてと想像するだけで涙が出ます。夢でした。(原爆訴訟を支援する会編『核なき世界をめざして-原爆症の認定を求める闘い』)

人間らしく死ぬことも生きることも否定

2006年8月4日に出された広島地裁判決は、萬膳ハル子さんの肝臓がんは被曝によるものだと認定しました。しかし、萬膳さんはこの判決を聞くことができなかったのです。

厚生労働省はこの判決を不服として控訴。先ほど紹介した「意見陳述書」は「原告らの大半は原爆の放射線による被曝をほとんどしておりません。そうでない一審原告らも、その申請疾病は、原爆の放射線以外に発症の原因があり、放射線との関連性を否定するのが今日における放射線学の常識」だとバッサリ。

「爆心地から700m程度を超えると初期放射能の中性子はほとんど影響がない」「ガンや心疾患は生活習慣病」などと言いたい放題です。そのうえ、自分たちの考えに合わないものは、すべて「非科学的」「自然科学の疑う余地のない常識に反する」と言って切り捨てています。

しかし「科学的」とは、結論をあらかじめ決めず、事実に基づいて検討してみる姿勢、批判的精神のことです。残念ながら、厚生労働省にその姿勢や精神はありませんでした。

集団訴訟は終結しましたが、 「まだ解決しなくてはならない多くの課題」があります。

認定を申請しながら、審査待ちの被爆者は約7600人。被爆者が訴えてきた認定基準や認定方法の抜本見直しも急がねばなりません。

 


(1)被爆者のいた地点、遮蔽物の有無などをもとに一人ひとりの被曝線量を推定し、年齢や性別を加味して、原爆放射線が疾病の原因となっている確率を示す。50%以上なら放射線起因性が「ある」、10%未満なら「ない」と判断します。国は、原爆症認定基準を見直す前の2008年3月まで、「原因確率論」を審査の最大の根拠にしてきました。


※イラスト 岡田しおり

もくじ

1.ヒロシマを知るために

2.たくさんの悲しみを抱えて生きる

3.内部被曝がもたらすもの

4.ヒロシマを伝える作品たち

5.ヒバクシャ 渾身のたたかい

6.ヒロシマのこころを聴く

ふたみ伸吾 ほっとらいん

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