「国土強靱化」路線で府中町は「強靱」な町となるのか? 2021年3月議会一般質問

 

「国土強靱化」と府中町の公共施設の維持保全について

※本稿は、正式な議事録に基づくものではありません。

はじめに

東日本大震災(2011年)から10年が経ちました。その後も、熊本地震(2016年)、大阪北部地震(2018年)、北海道胆振(いぶり)東部地震(同)が起きています。風水害は毎年で、2018年に当町も西日本豪雨災害に見舞われました。大雪による災害も毎年起きており、昨年12月に関越自動車道で大規模な立ち往生が発生したことは記憶に新しいところです。まさに「大災害の時代」です。

こういった自然災害に対して、強くしなやかに対応できるようにすること、国土強靱化を図ることは当然です。2013年、政府が「国土強靱化基本法」を制定して10年近く経ちましたが、強靱化はあまり進展しているようにはみえません。府中町は老朽化している公共施設をたくさん抱えているわけですが、その更新についても少しずつしか進まない。いったい、なぜなのでしょうか。

1.公共事業予算の変化

減少から増加へ

まず、日本全体の公共事業関係予算がどうなってきたのかを見ておきたいとおもいます。

1980年代は当初予算で6兆円台、補正を含めても7兆円というのが普通でした。

1990年に日米構造協議が開かれ、海部内閣がアメリカから430兆円(91年から10年間)の公共投資を迫られ、1994年の村山内閣時に630兆円に目標が引き上げられました。公共事業予算は、1991年、8.6兆円、92年には10兆円、98年、小渕内閣のときがピークで14.9兆円(当初予算は9兆円台)にまで膨れ上がり、全国で無駄なハコ物がたくさん造られました。

いわゆる小泉「構造改革」によって削減の方向に転じ、2001年度11.4兆円だった公共事業費を02年には10兆円へと1割削減し、06年には補正含め7.8兆円になったのです。第1次安倍政権、福田政権、麻生政権をへて、2011年、民主党政権(菅直人内閣)となり、補正含めて5.3兆円にまで公共事業費は減りました。

そして、東日本大震災を経た、第2次安倍政権下では当初予算6兆円、補正含め7兆円台を推移し、1980年代の水準に戻ったわけです。

大都市圏中心、ビッグプロジェクトへの偏重

国の予算規模は1980年代の水準に戻りましたが、中小自治体の公共事業予算は元には戻りませんでした。大都市圏中心、ビッグプロジェクトに公共事業予算が偏っているからです。

東京外郭環状道路(外環道)は、トンネル工事によって住宅地が陥没したことがニュースになりましたが、これ以外にも中央環状線、圏央道という環状道路を首都圏で建設中で、3つあわせて8兆円を超します。羽田、成田、関空、中部、4つの国際空港整備、北海道、九州、北陸、3つの新幹線にリニア新幹線。こういうビッグプロジェクトに多くの予算が振り向けられています。

県内でいえば広島市への一極集中で、サッカースタジアム、高速5号線、広島駅南口再整備、アストラムライン延伸など目白押しです。 このように公共事業の構造に問題がある。そのうえ、「国土強靱化」のあり方も手放しで評価することはできません。

 

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