人の優しさを罪にする共謀罪(4)
共謀罪の先にあるもの 一人ひとりの内心へと土足で踏み込んでくる
共謀罪の「過去」であり「未来」は治安維持法です。もし共謀罪が成立したあとどうなるかは、治安維持法を知ると予測がつきます。
ここでは二つのことを紹介したい。
一つは哲学者、真下信一(906-1985)さんの経験です。学生時代、1度だけ講演を聞いたことがあります。本はたくさん読みました。『思想の現代的条件』(岩波新書)『時代に生きる思想』(新日本新書)『理性とヒューマニズム』(国民文庫)などがあります。
真下さんは1937年に治安維持法違反で検挙されました。そのときの取り調べについて次のようにお書きになっています。
〔特高警察が〕そのうちこんなことを言い出した、「おまえはよく同志社の学生を連れて、大学のそばのエルムという喫茶店へ行っとった」。言われると、たしかにエルムという喫茶店へよく行っていました。エルムというのは北海道の楡の木ですね。エルムという喫茶店の名は今でもあちこちによく見かけます。「エルムに行っとった」と言うから、「よく行った」と言うと、「なぜエルムに行ったか」と言うんです。変なこときくなあと思いながら「学校に近いからでしょう」と言うと、いきなり、「ウソつけえ、ほんまのこと言わんかあっ!」とくるわけです。「どう考えてもそれしかない」と言ったら、刑事は「それじゃ、ほんとのこと言ってやろか」と言う。「言ってください」と言うと、「エルムという字をよく見てみろ、ELM、エンゲルス、レーニン、マルクスじゃないか!」というわけです。下衆の勘ぐりというのはまさにこのことです。実にばかげた話ですが、敵ながら驚き入った抜群の勘ぐりです。
(真下信一『君たちは人間だ』新日本出版社)
これを紹介するとみなさんお笑いになるのですが、こういう「ゲスの勘ぐり」が当たり前のようにやられ、それに基づいて罪人にしたてあげられたのです。共謀罪は、犯罪の事実がない「犯罪」です。だから、取り調べる側は「こうだったろう」「ああだったろう」といってそれが「ほんとのこと」になってしまう。恐ろしいことです。
優しさが罪になる
共謀罪は、話し合うという人間のもっとも基本的なあり方を罪とします。犯罪行為がなくても、話し合ったであろう、考えたであろうということで十分。
その行き着く先は、治安維持法にある「目的遂行のためにする行為」(第5条)によって罰するということ。「ためにする行為」とは何でもかまいません。
三木清(1897-1945)
『人生論ノート』や『哲学ノート』などで有名な哲学者、三木清は特高警察に追われていた友人(高倉テル)を一晩泊めて、着替えのシャツを渡したことが「目的遂行のためにする行為」として1945年3月28日に検挙され、豊多摩刑務所で亡くなりました。
その日は1945年9月26日。戦争が終わってから1ヶ月以上も拘留され獄中で亡くなったことも衝撃ですが、友人を泊めて着替えのシャツをあげただけで、治安維持法違反の罪に問われて獄死したのです。
友情や優しさが罪になる。それが共謀罪であり治安維持法なのです。
治安維持法違反で捕まった者は数十万人、送検された者は約7万5千人、その9割が「目的遂行のためにする行為」でした。
治安維持法にある、国体を変革する目的で結社を組織した者、または結社の役員その他指導者の任務に就いた者、結社を支援する目的で結社を組織した者または結社の役員その他指導者の任務に就いている者、結社の組織を準備する者などで検挙するためには、戦前の日本社会であっても、それなりの準備と裁判維持のための努力が必要です。
しかし、「目的遂行のためにする行為」ならなんでもいい。泊めてシャツを渡しただけで犯罪にすることができた。共謀罪もいっしょです。277と幅広く「共謀」にあたる罪を設定し、いいがかりをつけて「引っかける」。気に入らないものはみんな「タイホするぞ!」なのです。
人間は共謀する(話し合う)ことなしに生きることはできません。だから、誰でも罪に陥れられる可能性があり、政府にとって気に入らない人は逮捕し、獄につなぐことができます。こんな危ない共謀罪法案、決して通してはなりません。
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