府中町役場敷地内「親水施設」について 2023年9月議会 一般質問

以下の原稿は、府中町議会の公式記録ではありません。また、年号については西暦に統一しています。

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1.猛暑を緩和するために

涼しさを感じられる町づくり

猛暑が毎年続き、今年の夏(7~8月)は、日本全国の平均気温が1898年の統計開始以来最高となりました。

また、国連のグテーレス事務総長が、今年7月、記者会見を開き、「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰の時代が到来した」と警告しました。猛暑が日本だけでなく、地球的規模で起きているということです。世界各地で猛暑の影響で熱中症になる人が増え、干ばつ、山火事、洪水などの自然災害も増えています。

地球温暖化、沸騰化は、二酸化炭素など温室効果ガスの増加によってもたらされたものです。この温室効果ガスを着実に減らすことが求められており、当町も今年3月、温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」の実現を目指すことを宣言しました(「府中町ゼロカーボンシティー宣言」)。

温暖化、沸騰化に対して温室効果ガスの削減を進める取組を進めることは待ったなしです。しかし、この取組によって沸騰化を抑え、かつてのような夏に戻るためには長い時間がかかります。

病気の治療にたとえると病気の原因を取り除き、根本から治す「原因療法」が「温室効果ガスの削減」です。それに対して、病気の原因を取り除くわけではないが、痛みなどの症状を和らげる治療法を「対症療法」といいます。

温室効果ガスの削減という「原因療法」とともに「対症療法」として、「暑さをしのぐ環境づくり」「涼しさを感じられる町づくり」を進めることが求められているのではないでしょうか。

その方法として、第1に、日陰をつくる樹木、東屋、パーゴラ――藤棚・ぶどう棚のような格子状の棚のことですが――を町内に増やしていくことです。日向と日陰は、気温はほぼ同じですが、路面温度に差があり、炎天下では20度くらい違うこともあるそうです。

(東屋)

 


(パーゴラ)

第2に、町内の公共施設にミストシャワーを設置することです。

全国の自治体が熱中症対策として、公園や学校などの公共施設に設置することが広がっています。

ミストと呼ばれる微細な水の粒を噴き出し、人工的な霧を発生させる装置です。水が液体から気体に変わる際、周辺から熱を奪う気化熱を利用して、周辺の気温を下げることができます。視覚的にも涼しげな印象を与える効果もあり、夏の暑さ対策として活用されています。

(ミストシャワー)

第3に、水と親しむ空間をつくることです。

毎年、夏の時期になると、小さな子どもたちが水遊びをする光景がニュースなどで映し出されます。「じゃぶじゃぶ池」と呼ばれ、「オムツを使わなくなった就学前の子どもが、遊びながら水に親しめる無料の施設」で、東京都内に多くあるようです。千代田区5か所、中央区4か所、新宿区4か所、文京区4か所、荒川区5か所、港区9か所、足立区17か所、杉並区33か所など、じゃぶじゃぶ池がない区はありません。県内でも福山市や尾道市などいくつかの自治体にあり、人気のスポットとなっています。


(あすたむらんど徳島のじゃぶじゃぶ池)

 

 

近くて遠い水辺

府中町に水辺は確かにあります。
 まず、「みくまり峡森林公園」があり、自然の渓谷を生かした緑豊かな憩いの場となっています。草摺(くさずり)の滝や石ころび池など、小さなお子さんでも川遊びが楽しめる、天然の「じゃぶじゃぶ池」です。

河川も、府中大川、榎川、八幡川が町内を流れています。

しかし、町民のみなさんの日常的な生活、日々の暮らしのなかで、みくまり峡や河川はどのような関係でしょうか。

みくまり峡は確かに近いけれども、買い物帰りにちょっと寄ってみる場所ではなく、子どもたちだけで行ける場所でもない。休日に大人と一緒に行くところだと思うのです。

河川はどうでしょう。榎川や八幡川は、カタカナの「コ」の字を横にした三面コンクリートのところが多く、容易に水に近づくことができません。府中大川も河川敷は狭く、やはり水に近づけない。河原もなく川辺で夕涼みをしたり花火をやる場所は残念ながらありません。府中町の水辺は「近くて遠い」のです。

(三面コンクリの八幡川)

 

親水施設をつくる

河川については、改修して水辺に近づけるようにするということも考えられますが、町内を流れる府中大川、榎川、八幡川はいずれも天井川であり、すぐ近くに家も建ち並んでいることから、そういう改修は難しいのではと思います。

ですから、この「近くて遠い」状況をなんとかするためには、人工的に補うこと、先ほど述べた「水と親しむ空間」をつくり出すことが必要です。
そう考えていたところ、実は役場敷地内の八幡川近くに「親水施設」があることを、ごく最近知り、驚きました。

この「親水施設」は、「せせらぎの聞こえる」、涼しさを感じることのできる施設としてつくられたようですが、長年使用されていません。事業費は約4,000万円だと伺いました。大変もったいないことだと思います。

(かつては滝のように水が流れていた役場敷地内「親水施設」)

 

施設ができた経緯について教えて下さい。

町民生活部長 1992年度に宮の町ポンプ場が完成した翌年度の93年度に、「宮の町ポンプ場場内整備工事」として、役場庁舎とポンプ場の全体修景を考慮した水路や滝、植栽、遊歩道、ベンチの設置等の施設整備を行ったもので、93年度末に完成しました。

名称について調べたところ、財産台帳に登録されていませんが、整備時の設計書や議会説明では、「語らい広場、語らいの道、せせらぎ川、せせらぎ水路」、修繕時には、「せせらぎ川、せせらぎの滝、宮の町ポンプ場親水公園」と呼ばれていました。

また、完成後、1994年5月号広報ふちゅうの表紙で、「役場庁舎の駐車場横に、『せせらぎ』の聞こえる緑の公園ができました」と紹介しています。

当時の議会等では、「限られたスペースの中でコンパクトに造作し、庁舎に来られた人々に潤いのある町としてのイメージを与えるものとし、メインシンボルとして滝、せせらぎ水路を配置する」「宮の町ポンプ場は、国庫補助事業で工事完了済。場内整備についてもポンプ場の用地ということで整備している。国の指導もあり、イメージアップとか多目的に利用できるものをと指導されている」との答弁を行っています。

二見議員 なぜ現在は使用されていないのですか。いつから使用していないのでしょうか。

町民生活部長 「なぜ現在、使用されていないのか。いつから使用していないのか」については、確定的な記録がないため、関係職員への聞き取りや予算執行記録、担当者メモなどを参考に、停止時期や理由を推測しました。

停止時期は、施設の水道料金を負担していた下水道課の資料ならびに歳出差引簿から、2007年度末に給水栓を閉めて、水の流れを止めた可能性が高いです。

停止理由は、水を循環させて稼働する施設でしたが、何らかの原因により、均一に滝から水が落ちてこない現象が生じるとともに、水を受ける滝つぼ部の漏水のため、水の循環が正常に機能せず、使用水量が年々増加していったものと推測されます。

漏水対策として、滝つぼ部と流水路の石張をすべて剥ぎ取り、シート等を敷いたうえで再度施工するなどの検討も行ったようですが、根本的な解決策にはならず、これ以上の調査や修繕には多額の費用や時間がかかることが想定され、一旦停止し、現在に至っているものと考えます。

二見議員 今後どのようにするつもりなのか。このまま放置しておくのでしょうか。

町民生活部長 今のところ、どうするのかは決まっていません。なお、宮の町ポンプ場は、1993年に供用開始し、現在まで約30年経過していますので、今後、耐震化、改築等の必要がありますので、それに合わせて、考えていきたいと思います。

 

 

《2回目》

二見議員 親水施設をどうするのか。現時点では未定で、宮の町ポンプ場の耐震化、改築と合わせて考えていきたいという答弁でした。

この親水施設が宮の町ポンプ場整備の一環として、また、「庁舎に来られた人々に潤いのある町としてのイメージを与えるもの」として、今からちょうど30年前の1993年に整備されたわけです。

それが2007年頃、漏水などの理由により水の循環が出来なくなり、15年近く停止したまま今日に至っている。

大変、残念でなりません。

2.府中町の過去と未来

古代からオアシス都市だった

「潤いのある町」で思い起こすのは、当町の将来像として掲げられた「ひとがきらめき まちが輝く オアシス都市 あきふちゅう」です。

オアシス(Oasis)とは、中央アジアの砂漠地帯で、地下水が地表に湧き出る場所のことで、そこに都市が形成されました。このオアシス都市を結び、東アジア・西アジア・南アジア間を最短距離で結ぶ交通路がオアシス・ロード、いわゆるシルク・ロードです。

(中国甘粛省敦煌郊外の南5kmにある砂漠中のオアシス 月牙泉)

 

町内にある「下岡田官衙遺跡(しもおかだかんがいせき)」は、古代道路、山陽道の「安芸駅家(あきのうまや)」の可能性が高いと言われています。

「駅家」は、都と地方を結ぶ駅路(えきろ)沿いに設置され、公務で旅行する役人などに馬や食事、宿泊を提供する「人馬中継施設」としての役割を担っていました。

『日本の古代道路を探す』という本には山陽道の駅家について次のように書かれています。

「特に山陽道の駅家は、念入りに整備された。なぜなら、山陽道の駅家では、太宰府で入国し、都城(とじょう)に向かう外国使節が宿泊することが想定されていたからである。当然、接待も考慮していただろう。つまり、山陽道の駅家は迎賓館でもあった」

馬や食事、宿泊を提供するためには、水が必要不可欠です。もちろん府中町には、いい水がありました。呉娑々宇山を源にみくまり峡の奥から伏流水となり、現在の石井城1丁目あたりが扇状地の端で、水が湧き出た。その代表的なものが今出川清水、出合清水だったわけです。

以前は、湧水が周辺に多くあったと言われています。しかし、農業の衰退、宅地化の進行などによって消滅ないし、水量が激減しました。

現在は、非常に残念な状況ですが、府中町の歴史を振り返ると、古代から美味しい水の湧き出る町、オアシスだったわけです。

府中町の将来像

 次に、府中町の未来、将来像から考えてみたい。

府中町第4次総合計画(以下、4次総)には、次のように書かれています。

「第3次総合計画に掲げた将来像『ひとがきらめき まちが輝く オアシス都市 あきふちゅう』を継承し、その実現に向けて、まちが賑わい活性化することで、誰もが住んでみたいと思う「魅力」があるまち、いつまでも安心で住み心地のよい「愛着」が持てるまち、府中町に暮らすことに「誇り」が持て自慢できる暮らしやすいまちを目指します」

さらに、目指す「暮らしやすいまちづくり」の視点として、

①住んでよかった、住んでみたいまちとして、府中町で暮らすことに誇りが持てる『オアシス都市』を目指す。

②安心して子どもを産み、育んでいく環境が充実したまちとして、このまちに住んでみたい、住み続けたくなる『オアシス都市』を目指す。

③コンパクトなまちで自然と住宅地が近接しており、生活の利便とともに水と緑に恵まれた静かで安らぎのある『オアシス都市』を感じられるまちを目指す。

オアシスの二つの意味

先ほど述べましたように、オアシスとは「砂漠の中にある、真水(泉、河川など)が絶えず得られる土地」というのが元々の意味です。

もう一つは、そこから派生して「比喩的に、疲れをいやし、安らぎを与えてくれる場所や状態」を意味しています。

4次総の「まちづくりの視点」は、1番目、2番目が、後者の意味=「安らぎ」に繋がる内容であり、3番目は元々の意味である「水と緑に恵まれた」という点に繋がっています。

府中町のまちづくりの3つの視点はいずれも重要なものですが、オアシスの元々の意味である「水と緑に恵まれた」という点が土台に座らなければならない。現状では、これまで述べましたように町内の生活空間に水=オアシスは不足していると言わざるをえません。

日陰があって水と親しむ空間や施設を町内のあちこちにつくり、オアシスを実感できる町にしていく必要があると考えます。

「隗より始めよ」と言いますが、まず役場敷地内の「親水施設」――壊れているが、すでに「ある」わけですから、これを改修をして、早期に再稼働できるようにすべきです。

「潤いのある町」、「オアシス都市ふちゅう」のシンボルとして、また、暑い夏の対策として、子どもたち、親子連れ、町民のみなさんが憩い遊ぶ場所として、「親水施設」が活用される日が一日も早く訪れることを期待しまして、私の質問を終わります。


《参考文献》

荒川正晴『オアシス国家とキャラバン交易』山川出版社、2003年
中村太一『日本の古代道路を探す』平凡社新書、2000年
近江俊秀『古代道路の謎』祥伝社新書、2013年
舘野和己・出田和久編『日本古代の交通・流通・情報 3 遺構と技術』吉川弘文館、2016年
『安芸府中町史』第1巻、1979年
佐々木卓也「古代安芸における地方官衙の復原」『地理科学』1978 年 第29 巻
木下良「近年における古代道研究の成果と課題」『人文地理』1988年第40巻第4号

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