私が初めて読んだ新書 『知的生産の技術』

初めて読んだ新書は梅棹忠夫(1920-2010)の『知的生産の技術』(岩波新書)です。
生徒会本部役員になった中学校3年生の春、顧問から「これを読んでおくように」と勧められたのです。新書といえば大人の読み物。自分に分かるのだろうか、ちょっと不安でしたが、ひらがなが多く、中学生でも十分理解できました。
そしてちょっと大人になったような気もして嬉しかったことを覚えています。
1969年に発刊されたこの新書は今なお現役。2020年時点で累計発行部数145万部(99刷)を突破してるのだそうです。
未来を先取り
この本のすごさは、未来を先取りした点にあります。
例えばワープロ(パソコン)です。
「知的生産のおおくのものは、けっきよくは字をかくという作業を、そのもっとも重要な要素としてふくんでいることがおおいが、それをかんがえると、日本語をタイプライターにのせるというのは、日本における知的生産の技術としては、もっともたいせつな問題であるといわなければならない」
英文(欧文)タイプライターのように手軽に文章が打てる機械。
梅棹さんは英文タイプライターを使ってローマ字で打つのですが、(カタ)カナモジ・タイプライター、「ひらがな」へと移っていきます。そして、まだまだ課題が多いと述べています。
梅棹さんは書いていませんが、やはり日本語は漢字なしでは文意が取れない。しかし、常用漢字は2,136もあり、英文タイプライターのキーは40数文字分しかありません。
だから、梅棹さんは漢字カナ交じりのタイプライターは最初から諦めているんですね。
この問題を乗り越えさせたのはワープロ専用機を含むパソコンでした。
梅棹さんが「こういうものがいる」と考えたものが形を変えて実現したわけです。カード、切り抜き、ファイリングによる整理も今日ではパソコンのフォルダにとって変わりました。
このように本書の意義は、問題の解決ではなく、問題を提起した点にあります。梅棹さんが具体的に示した技術の多くは過去のものになっていますが、その考え方は生きている。だから、出版から半世紀以上たっても現役の、ロングセラーなのでしょう。
ビジネスマンの心くすぐる 「知的生産」
この本が売れた要因の一つはタイトルにあると思います。研究するさいに使うと便利な技法についての紹介が発端でした。
「岩波書店の編集部のひとにあって、この話をしているうちに、これはなにも『研究』にかぎった問題ではなく、じつは、一般の『勉強』の方法にもつながることではないか、ということになった。なるほど、研究といっても、それをその構成要素となっている具体的な作業にまで分解してみると、けっきょくは、よむ、かく、かんがえる、などの動作に帰着するのであって、 一般の『勉強』となにもかわらない」
梅棹さんは研究者向けではなく、広く一般に向けて、本書の元になった原稿を雑誌『図書』に連載しました。
そのとき、「わたしの勉強設計」「事務の演出」「勉強の技術」などがタイトルの候補に挙がったそうです。そして決まったのが「知的生産の技術」だったのです。
この「知的生産」という言葉がいい。ビジネスマンの心をくすぐったのですね。勉強でも研究でもなく知的生産。「勉強の技術」「研究の技術」であれば、読者はもっと少なかったことでしょう。
課題の発見があってこそ
私も「知的生産」にはまりました。その手の本を10冊以上、読んだと思います。京大型カードも買い、本の感想など書き付けたりもしました。
しかし、あるとき気づいたのです。「知的生産」というが、何を生産したらいいのか? 何について書く? 知的生産(研究)は、課題をたて、それを追究し、文書として論証すること。「よむ、かく、かんがえる」ことです。
問題意識のないところに知的生産はありません。
そう、肝心な書くべきテーマが中高生の私にはなかったんですね。当たり前といえば当たり前ですが。
私がそういうことに向き合うのはずっと先のことです。
「梅棹さんから不屈の精神を学びたい ピンボケおやじ記者が行く」(日経新聞)から転載













コメントを残す