2011年6月25日(土) 陸前高田へ

●チーム広島@自治労連

本日、6月25日、広島自治労連の東日本大震災ボランティア・特設チーム広島@自治労連が陸前高田へ向かいます。

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13時53分に東京到着。東北新幹線やまびこ265号は14時08分発。
仙台を過ぎ、古川に到着。一関まであと30分ほど。車窓から見えるのは美しい田園風景。新幹線が通っているのは内陸部だから、見る限りでは震災の影響は感じられない。明日、ボクは何を知るのだろうか。

●一関到着

17時9分、定刻通り一関に到着。時計は17時45分だねえ。

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うしろの像は大槻三賢人。一関出身の江戸から明治にかけて大きな功績を残した大槻家の玄沢(おじいさん)、磐渓(玄沢の二男)、文彦(盤渓の三男)を大槻三賢人と称している。

おお、大槻文彦は一関出身だったのか。

「明治8年、29歳の若さで文部省から辞書の編さんを命じられ、16年の歳月をかけて、わが国最初の辞書「言海」を完成させた」。大正元年、66歳のときに『大言海』の編纂にとりかかり、16年、82歳で永眠する昭和三年まで、「彼の生活のすべてがこの仕事に向けられた」。

すごい学者なんです。以前、高田宏『言葉の海へ』(岩波同時代ライブラリー)を読んで、学問にうちこむその人生の軌跡に感動しました。こんなところで出会うとは…。

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チーム自治労連の宿泊先は陸前高田の矢作温泉元湯、鈴木旅館。すぐ近くまで津波が来ているのですが、この旅館は奇跡的に津波による被災を免れました。

夜8時半、鈴木旅館に到着。本部で簡単な説明を受け、チーム自治労連が滞在している大広間へ。

6月26日(日) ボランティア初日

●陸前高田ボランティアセンター

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広島の仲間に第一報を送ります。

「陸前高田は雨気温は涼しいです。今日と明日はボランティアセンターでスコップやバールなどを貸し出す仕事です」

するとなんということでしょう。ヒロシマ労連、小林事務局長から「楽そうな仕事だね。まあ気をつけてね」という返事が。

このメールがボクの心に火をつけました。

機材貸し出し、鎌研ぎ、水汲み、パンク修理…。ガシガシとやっていったのです。そのことが悲劇を…。しかし、このときにはまったく気づいていません。

陸前高田ボランティアセンターは社会福祉協議会が運営。チーム自治労連が資材の貸出を請け負っているのです。

●鈴木オート?

「機材貸し出しが一段落すると一輪車のパンク修理。泊まっている宿舎にちなんで鈴木オート」とメールを送りました。

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もちろん、「三丁目の夕日」がらみの洒落です。すると、ぶらざあ栗栖から「一輪車はオートじゃない」と直球の物言いがつきます。そりゃそうだけど…。

そして「あれっ!あんた自転車のパンクも直せんのじゃなかった?」とおまけ付き。直せまっせ。

ただ、めんどくさいから自転車屋さんへもってゆくだけのことです。

●思い出の品

ボランティアから帰ってきた人が、思い出にかかわるものを持ってきます。アルバムがありましたが、3ヶ月も浸かっていたので粒子が流れてしまっていました。広田町は半島で両側から津波が襲ってきました。

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(泥の中から出てきた礼服)

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(幸せそうな二人は元気でしょうか…)

●水汲み
ボランティアセンターで使う水を気仙川から汲むこともチーム自治労連の大変な仕事。この水で道具を洗ったり、トイレの水として使ったりします。この日、水汲みは三回行きました。

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●心強い味方
地元のボランティア、日野さん。

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「地図の説明できます」とある。
「できます」とすぐ読んだら、「お兄さんはお酒飲むとこが好きだろう」と(笑)。日野さんは島根出身なんだそうです。

日野さんに鎌の研ぎ方も教えてもらいました。3つめ以降はだいぶ上手に研げるようになったのです。

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●腰抜けとなる
「16時45分、1日めの仕事終了。「楽そうな仕事」と思えるかもしれませんが、総歩数、15157歩。朝1時間歩いているときと変わりません。そして、前線へ向かう仲間を支える大切なバックヤードなのです」

翌朝、浜崎さんからメールが来ました。
「お疲れ様です 風呂入って夕食中かな? 決して「楽そう」なんて思ってないよ 普通の環境じゃないしくたびれるよね そういえばお風呂の湯の出具合等どんな? 明日に備えて夜更かししないようにね」

宿に戻り、風呂に入って、大部屋に行って座りました。腰と足の付け根に激痛が…。
人生初めて、ぎっくり腰に。「腰抜け」とはこういうことかと。
6月27日(月) ボランティア2日目

●痛みが軽くなる
翌朝、メール発信。
「昨日、宿に戻り風呂から出て、大部屋でくつろいでいると、足の付け根と腰に激痛。立ち上がることができません。昨日の作業は最後の一撃。この2か月痩せるために毎朝1時間歩いていて、こちらにくる2日前ぐらいに足の付け根が痛かったのです。

今まで腰痛とは無縁だったのに(涙)。昨日、木下団長がマッサージしてくれました。彼は腰痛で、マッサージ上手い今朝起きてみるとだいぶ痛み引きました仕事出来そうです」

「今、ボランティアセンターに向かっています。写真に赤茶色の物が写っていますが汽車の鉄橋です。川の途中でなくなっています津波にやられたのでしょう。だいぶ山側なんですが…。(7時50分)」

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●半人前??????
ボランティアの人が「はんにんまえ」を貸してくれという。
「何ですかそれは?」と聞くと、向こうも?。「半人前は半人前です」「この人半人前知らないんだって」…??
土嚢袋の口を広げ、支えるものなんだとさ。一人前じゃないが(人じゃないし)半人前の役を果たすということらしい。
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(陸前高田にはなかった「半人前」)

「今日は平日だし、暇だろうと思いましたが、そうでもありません。貸し出しボランティアの人数も削減され、2人体制。9時から10時30分ぐらいまでひっきりなし。いま一息ついています。

山がガスでけぶり、のどかな光景が眼前に広がっています。すぐそこが被災地とは思えません」(11時10分)。

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広島自治労連ボランティアチーム、団長の木下克己さん。

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センターの駐車場整理が一段落すると、一輪車などを配送。被災地が広範囲なため、4箇所で3時間半もかかり、2時過ぎに昼食。頑張ってます(14時20分)

●給水台めげる

2時40分過ぎ、木下団長が給水タンクをチェックすると台の足がめげているのを発見。台が水の重さに耐えられなかったらしい。見ると会議テーブルで、こりゃいかん。

慌てて水を抜き、給水タンクを下ろしました。なんと会議・作業用のテーブル。こりゃ無理でしょう。右のはがっちり作ってある。

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●被災地域へ
2日め最後の仕事は、ボランティアの人たちが使った一輪車とかスコップを取りに行くこと。
初めて被災地域に入りました。瓦礫の山と水に浸かった土地。テレビや写真では伝わらない被害の広範さ、ひどさに言葉を失いました。

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(道路の先がない。広田地区)

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防波堤も崩れ、舟が打ち上げられていました。3ヶ所取りにいくのに2時間もかかったのです。陸前高田は広いでえ。

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(瓦礫は積み上げるだけ。これをどうやって処理するのか。資源とゴミ、有害物質が入り交じっている)

朝7時半に鈴木旅館を出て、ボランティアセンターで5時15分に終了。この日の労働時間は約10時間でした。

6月28日(火)ボランティア3日目

「本当に大変じゃね 腰痛の具合はどうですか? 大石委員長が「酒頼まれた」とのこと。買ってましたよ。引き続きがんばってね」(浜崎)
昨夜、大石委員長と電話したとき「とにかく広島の酒持ってきてね」とおねがいしたのです。

広島へのメール 「腰痛が悪くならないように、今日も軽作業にしていただきました。チーム自治労連のお世話係り。部屋の掃除、ご飯作り、買い物。ご飯は朝だけ作ります。昼は弁当だけでは味気ないのでサラダを作りました。

「復興の役に立っているようですね」(小林和俊)

「こういうのは、作りました。とはいわない、草切って並べたといいます」栗栖

6月29日(水) ボランティア4日目

「用水路のヘドロかきに従事している木下団長、手袋を突き抜け、何かが刺さり出血」

6月30日(木) 帰路

6時35分、高田ドライビングスクール前から一関行きのバスに乗りました。昼前に東京に着きます
腰痛もなんとかやり過ごしました。後方支援でしたが、やりきった4日間。人との出会いが最大の財産です。

自治労連の仲間だということと陸前高田にボランティアにきたということだけですぐに打ちとけられて、仲よくなれます。労働組合のよさを再確認できました。

送り出してくれた自治労連とヒロシマ労連の仲間に感謝します。評議員会があるにも関わらず、「行っていいよ」と言ってくれた上司、小林さん、ありがとう

「任務完了、ご苦労様でした。評議員会も何とかできました。疲れを取ってください」(小林和俊)

ありがとうございます。本当に行って良かったです

「連日報告ありがとうね。《つながり》、これは普遍のテーマだよね。 支援する人、受ける人どちらもが深く感じてるよね。 う~ん、何か書きたくなるね。

今後の生き方に大きな影響を与える経験だと思います 無駄にしないように 2日開催「脱原発集会」の報告も期待してます。

ちなみに昨日、母親大会実行委員会があり、広島参加者は目標の半分近く。

《地域母親》はすごいよ!! まぁ我々は仕事しながらだから…と慰めつつ。 では無事の帰りを祈ってるよ」

娘からのメールに涙。

「テレビでボランティアの数が減ってるって言ってた。うちも父さんみたいにボランティアに行ける大人になりたいって思いました。お疲れさま。ゆっくり休んでね!」