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2026-05-02

平和を愛する諸国民を信頼して平和をつくる

憲法前文はおめでたいのか

高市総理は憲法前文「平和を愛する諸国民」について「おめでたい」と言い、安倍元総理は「憲法前文の”平和を愛する諸国民”は、日本人じゃのことじゃない。だからこの文は”インチキ”」とこき下ろしました。

 

 

憲法前文の該当部分を見てみましょう、

日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高(すうこう)な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。

人間は支え合って生きてきた

「人間相互の関係を支配する崇高な理想」って何でしょうか?
「支配する」は英文ではコントロール(control)です。「支配」というと強い力が働いているという感じがするのですが、人と人とのつながりのなかにある理想という意味だと思うのです。

では、人と人とのつながりのなかにある理想とは何か。それは支え合い、助け合って人間は生きてきたということではないでしょうか。

ですから、ここのところを私なりに意訳すると、「人間が支え合って生きている、という事実に裏打ちされた、人間の理想を深く自覚しよう、心にきざもう」となります。

武力による平和

そのことを前提にしたうえで、平和をどのように創るのか、とっても大胆な提起をします。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

ここが、日本国憲法が切り開いた新しい考え方の一つです。

それまでの「平和のつくり方」は、どうだったか?

今の日本の政府の考えていることと同じです。

強い武器を持って、相手に負けないような国になり、攻めさせないようにする。これが一般的な「平和のつくり方」でした。

そう、「武力による平和」です。

日本国憲法はこの「当たり前」の考え方に異議を唱えたのです。

武力っで平和は守れるのか、強い武器を持っていたら攻められないのか、戦争は起こらないのか。

1945年に終わった戦争の結末をみれば明らか。答はノーです。

満州事変から15年にわたって戦争し、最後は広島と長崎に原爆を落とされて終戦となりました。

アジアで2,000万人もの犠牲者を出し、日本も壊滅的状況。「武力で平和」はつくれなかったのです。

「武力によらない」平和のつくり方

では、「武力によらない」平和はどうやったらつくることができるのでしょう。

そうです。

「平和を愛する諸国民(peace-loving peoples of the world)の公正と信義」を信頼することから始める。

国とか政府ではなくて、世界の人びとを直接信頼し、そこから平和をつくるということです。

本当に戦争をやめたい、平和な世界をつくりたいと思うのだったら、世界の平和を愛する人びとを信頼するところから始めよう。

それぞれの国で暮らしている普通の人びとは戦争を望んでいない。

だから、そういう普通に暮らしている人びとを信頼し、その人たちに働きかけて平和をつくろうというのが憲法の考え方なんです。

安倍元総理や高市総理はこれが理解できない。だから安倍元総理は「平和を愛する諸国民って誰ですか」とうそぶいているわけです。彼は諸国民の話ではなく、各国の政府、首脳の話にすり替えています。

高市総理は「いじましい」と小馬鹿にしている。

二人は、諸国民(peoples)と政府の違いが全く分かっていません。

「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼するという日本国憲法と同じ考え方をしているのがユネスコ憲章です。

ユネスコ憲章前文には次のように書かれています。

政府の政治的及び経済的取極(とりきめ)のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。

人びとを信頼し、その知的・精神的な連帯によって平和を創る。

これが安倍元総理や高市総理が理解できない、新しい平和のつくり方なのです。

ふたみ伸吾 ほっとらいん

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