声なき声に耳を傾け、核兵器の廃絶を


佐藤信治町長にあいさつしていただきました。


府中町原水協を代表してあいさつしました。

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みなさんお疲れ様でした。

府中町議会議員をしております、二見伸吾と申します。府中町原水協を代表してあいさついたします。

ここ府中町は爆心地からもっとも近いところで4㎞、遠いところは7㎞ぐらいでしょうか。ここ、役場のあたりが約5㎞です。当時も広島市内に通勤通学する人が多く、市内で亡くなられた方、また投下後に市内に入って被曝された方も少なくありません。町民のみなさんが作った『きのこ雲を見た町』という証言集がありますが、「あの日以来、町内に在住した被災者は数千にのぼったはず」と前書きに書かれています。府中町の当時の人口は5千人ほどですので、半数以上の人たちが被災したことになります。黒い雨も降りました。

今日も来ていらっしゃいますが、町議会議員の先輩、95歳になられる片桐隆三さんは中国電力にお勤めで8月6日は宇部にいたそうです。一週間後に広島に戻り、西広島駅から広島の街を見たとき、なにもかも焼き尽くされた広島は「原始時代の浜辺」に戻されてしまったと、お書きになっています。

7月7日、核兵器禁止条約が国連で採択されました。

みなさん、1946年1月24日に採択された、最初の国連総会決議第 一号が何だったかご存じでしょうか。「全ての核兵器および大量破壊兵器の廃絶」です。それから71年をへて、人類はようやく核兵器の廃絶に向けて具体的な条約をつくりあげました。禁止条約は核兵器全面廃絶へ進む大きな力です。この条約を生み出した世界各国の政府と市民社会の努力と共同を、さらに発展させることが重要です。圧倒的な国際世論をつくりだし、核兵器保有国とその同盟国を、包囲していくことが、「核兵器のない世界」への根本の力です。

この禁止条約の実効性について疑問の声もあります。核兵器保有国が参加していないからです。そして、なにより広島、長崎、そしてビキニで被曝した日本が、この条約に背を向けている。爆心地のある衆議院広島一区選出の岸田外務大臣は、「この交渉を推し進めると、核兵器国と非核兵器国の対立を一層深めてしまう」という珍妙な理屈で、会議そのものに参加せず、核兵器廃絶を願う被爆者と市民の怒りと失望をかっています。

日本政府がこの核兵器禁止条約を批准し、核保有国に対して、ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、被爆者をつくるな、と突きつけることができれば、条約の実効性は高まり、核兵器廃絶へ大きく前へ踏み出すことができるでしょう。

昨年お会いしましたが、城ヶ丘にお住まいの南口勝さんは、2歳年下の弟、修さんを原爆で亡くされました。広島一中(今の国泰寺高校)に通い、市役所近くの雑魚場町(今の国泰寺町)で建物疎開作業中に被爆。知らない人に助けられて自宅まで戻り、その日に亡くなったのです。原爆をめぐる話は積極的にはしてこなかった南口さんがなぜ語ったのか。

「豊かな時代しか知らない政治家が増え、勇ましい発言が飛び交う。弟たちが生き返れば、『今のままでいいのか』と、きっと言うでしょう」(「中国新聞」2014年4月7日

声なき声に耳を傾け、核も戦争もない時代、人が人として大切にされる社会をつくりだすために、歩み続けていきましょう。本日はお疲れ様でした。

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