憲法9条2項の生誕地としてのヒロシマ・ナガサキ
もくじ
憲法第9条と国連憲章
日本国憲法第9条は憲法前文の考えを具体化したものです。
【第9条】
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
9条は第1項で、国際平和をねがい、戦争と武力によって脅すこと、武力を使うことを永久に放棄する、と述べています。
この理想は日本国憲法だけのものではありません。
国連憲章第2条3項は「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」とあり、第4項では「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」(傍点は引用者)と述べています。
さらに国連憲章第33条では、「いかなる紛争でもその継続が国際の平和及び安全の維持を危くする虞(おそれ)のあるものについては、その当事者は、まず第一に、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関又は地域的取極の利用その他の当事者が選ぶ平和的手段による解決を求めなければならない」と、「平和的手段による解決」を要請しています。
このように9条1項は、国連憲章の平和に関する考え方のエッセンスで、第二次世界大戦後の世界標準。その国の憲法に9条1項のような条文がなくても、国連に加盟している国は全て9条1項があると言っていいのです。
パリ不戦条約
国連憲章や憲法9条1項にはルーツがあります。それは、1928年に決められたパリ不戦条約*1)です。
〔第1条〕締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えないこととし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する。
〔第2条〕締約国は、相互間に起こる一切の紛争又は紛議は、その性質や原因がどのようなものであっても、平和的手段以外にその処理又は解決を求めないことを約束する。
この不戦条約を天皇制政府は1929年7月24日に批准しました。しかし、それからわずか2年後に「満州」への侵略を開始。戦争はそれから15年続き、アジア・太平洋地域で2000万人(推計)を超す人びとを殺しました。
家を焼き払い、兵隊でない人びとをゆく先々で殺し、食べ物を奪いました。日本人の戦没者は310万人。そのうち軍人、軍属などは230万人ですが、その少なくとも半数は餓死*2)でした。
沖縄では県民の半数近くの20万人が犠牲になり、アメリカによって全国各地の都市は空襲され、広島と長崎には原爆が投下されました。
*1)パリ不戦条約(「戦争抛棄ニ関スル条約」)は、第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約。
1928年8月27日にアメリカ合州国、フランス、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアといった当時の「列強」諸国をはじめとする15カ国がパリで署名し、1938年にはソビエト連邦など63ヵ国(当時の世界の国々の9割以上)が署名した。フランスのパリで締結されたためにパリ条約あるいはパリ不戦条約と呼ぶこともあり、また最初フランスとアメリカの協議から始まり、多国間協議に広がったことから、アメリカの国務長官ケロッグと、フランスの外務大臣ブリアンの名にちなんでケロッグ=ブリアン条約ともいう。
*2)藤原彰『餓死した英霊たち』 (ちくま学芸文庫)
9条2項の必要性
アジア・太平洋地域での殺戮とおびただしい犠牲によって、憲法9条第1項に示された「戦争の放棄」という考え方をさらに先へ進ませることがどうしても必要だったのです。
だから、第2項が生みだされました。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」というとてもシンプルな条文です。戦争をなくすためには、武器と交戦権そのものを否定する。「果たし合い」はやめて「話し合い」によって紛争を解決しようという考え方を徹底させました。
9条と1条はバーター
天皇制をどうやって残すかということが当時の日本の支配層、保守政治家の最大の課題でした。
一方、占領軍の責任者であるマッカーサーは、占領を成功させるためには天皇のもつ権威を利用しようと考えていました。しかし、あの戦争の責任者が天皇であることは明白でした。
「天皇を処刑せよ」、少なくても「退位して代替わりすべきだ」というのが当時の国際的な世論だったのです。その世論をかわすために、9条が考え出されたのです。
9条、とりわけ第2項のアイデアの出所が日本だったのかアメリカからだったのかはさして重要ではありません。
幣原喜重郎が「戦争放棄の宣言を世界に向かってしたらどうか」とマッカーサーに進言し、マッカーサーが、それを憲法の条文にするようしたのではないか、と私は考えていますけれども。
大事なのは、二人がパリ不戦条約の水準、すなわち9条第1項だけでは、世界の世論は納得しないと考えたであろうということです。パリ不戦条約を批准しておきながら戦争に突入した実績があるからです。
天皇制を残すためには、天皇の実権のする剥奪(国政に関する権能を有しない。憲法第4条)とともに、世界が納得するようなかたちで「絶対に戦争をしない」と確約することがどうしても必要でした。
平和を望む世界の民衆の願いがきわめて強く、それを日本の政治家とアメリカの軍人が意識せざるをえなかった、ということです。アジア・太平洋地域の犠牲者、生存者の怨嗟の声が第9条を生み出した要因の一つであり、奥深い力だったのです。
国連憲章と日本国憲法の違い
さきほど、日本国憲法と国連憲章には同じ理想が流れている、といいました。しかし、違いもあります。
日本国憲法は、武器は持たない、戦争する権利もないという9条2項によって、あらゆる戦争を否定し、例外を認めませんでした。
これに対して国連憲章は、42条で、非軍事的措置でだめなときは、軍事的措置をとることができるとし、51条で自衛権の行使も認めています*3)。
この違いが、じつは大きな違いを生みだしている。
日本は1945年8月15日以降、80年以上にわたって戦争のない国です。
高市政権のもので、GDP比2%の防衛費増額、「安保三文書」改定の前倒し、武器輸出の解禁を進め、緊急事態条項の設置、スパイ防止法制定など、かなり危険な状況です。高市人気を背景に、一気呵成に戦争ができる国にしようとしていますが、やはり9条は高いハードルで、だからこそ改憲を叫んでいるわけです。
先ほど述べたように国連加盟国は憲法9条第1項と同じものをもっているはずなのですが、この80年戦争は絶えることがありません。いまもイランとアメリカ・イスラエルが戦争中です。アメリカという国は、この80年間ほとんど切れ目なく戦争、軍事的な干渉、武力介入を繰り返しています。
9条1項の理想は2項によって本物になるのです。
戦争を防ぐためには武器を捨てよ、交戦権を放棄せよということです。
では、共通の理想を掲げながら、武力行使のいっさいの例外を認めなかった日本国憲法と、例外を認め、戦争に道を開いてしまった国連憲章の差はどうしてできたのでしょうか。
*3) 国連憲章 第42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
*3)第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当つて加盟国がとつた措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く機能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
ヒロシマ・ナガサキと9条
先ほど、平和を望む世界の民衆の願いと怨嗟のが9条を生み出したと述べました。では9条2項は何が生み出したのか。
この問題を解くカギはヒロシマとナガサキにあります。
国連憲章ができたのは1945年6月26日。日本国憲法ができたのは1946年11月3日。この間に起きた戦争と平和をめぐる重大事件といえば1945年8月6日、9日の、広島と長崎への原爆投下以外ありません。戦争の行きつく先がこういう惨状ならば、それは戦争そのものをなくす以外にないと考えた。
日本国憲法の第9条は、広島・長崎以後の国際政治の新たな現実を示す最初の、そして最高の表現である……その時、核爆発の余韻(よいん)はいまだ消え去らず、焼け焦げた肉体の臭気がまだ立ちこめていた。新たな時代の真の性格--核戦争という途方もない不条理と、いっさいの軍事力が核戦争の防衛としてはまったく無価値であること--が初めてその姿をみせたのが、まさにこの時であり、この場所であったのである。(ダグラス・ラミス『ラディカルな日本国憲法』晶文社)
幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)国務大臣が、憲法制定議会で行った次のような答弁は、その裏づけとなるでしょう。原爆という言葉こそ使っていないものの、「次回の世界戦争は一挙にして人類を木っ端微塵に粉砕する」という表現からも広島・長崎への原爆投下を意識していることが分かります。
次回の世界戦争は一挙にして人類を木っ端微塵に粉砕するに至ることを予想せざるを得ないであろう。
これを予想しながら我々はなお躊躇逡巡いたしておる。わが足下には千仞(せんじん)の谷底を見下ろしながらなお既往の行きがかりにとらわれて、思い切った方向転換を決行することができない、今後さらに大戦争の勃発するようなことがあっても過去と同様人類は生き残ることができそうなものであるというがごとき、虫のいいことを考えている、
これこそ全く夢のような理想に子どもらしい信頼を置くものでなくてなんであろうか、おおよそ文明の最大危機は、かかる無責任な楽観から起こるものである。これがマッカーサー元帥が痛論した趣旨であります。
実際、この改正案の第9条は戦争の放棄を宣言し、わが国が全世界中もっとも徹底的な平和運動の先頭にたって指導的地位を占(し)むることを示すものであります。今日の時勢になお国際問題を律する一つの原則として、ある範囲内の武力制裁を合法化せんとするがごときは、過去における幾多の失敗をくりかえすゆえんでありまして、もはやわが国が学ぶべきことではありませぬ。
文明と戦争とは結局両立しえないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が先ず文明を全滅することになるでありましょう。 (貴族院本会議、1946年8月27日。星野安三郎『平和に生きる権利』法律文化社、43ページから。引用にあたって漢字の表記や仮名づかいを改めた。下線は二見)
枢密院では、「原子爆弾」という言葉を使っていることが分かりました。
次に第九〔条〕は何処(どこ)の憲法にも類例はないと思う。
日本が戦争を放棄して他国もこれについて来るか否(いな)かについては余(よ)(=自分)は今日ただちにそうなるとは思わぬが、戦争放棄は正義に基づく正しい道であって日本は今日この大旗を掲げて国際社会の原野をとぼとぼと歩いてゆく。
これにつき従う国があるなしにかかわらず正しい事であるからあえてこれを行うのである。
原子爆弾といい、またさらに将来より以上の武器も発明されるかも知れない。今日は残念ながら各国を武力政策が横行しているけれども、ここ20年30年の将来には必ず列国は戦争の放棄をしみじみと考えるに違いないと思う。
その時は余はすでに墓場の中に在るであろうが余は墓場の蔭から後をふり返って列国がこの大道につき従って来る姿を眺めて喜びとしたい。(1946年3月20日、枢密院ニ於ケル幣原総理大臣ノ憲法草案ニ関スル説明要旨)
「原子爆弾といい、またさらに将来より以上の武器も発明されるかも知れない」。だから、今までのようなやり方は通用せず、武力では平和はつくれない。
戦争放棄こそ最も現実的な選択なのだ、ということでしょう。
ヒロシマ・ナガサキの経験が平和憲法、その第9条、とりわけ第2項をを生みだしました。広島は長崎とともに9条2項の真の生誕地なのです。













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