市制移行は3億円をかけた「お祭り」「イベント」

町長は、6月29日の市制移行についての山口議員、川上議員の質問に対する答弁で5回も「令和初の市制移行となり歴史に名を残す」という発言を繰り返しました。
この発言を受け、30日の朝、急遽、一般質問「『都市再生』と府中町の未来」の最後に「何々最初…」という問答を付け加えました。
昭和最初に単独で市になった自治体はどこでしょうか?
1927年・昭和2年の鳥取県米子市です。
昭和最後に単独で市になった自治体はどこでしょうか?
1987年・昭和62年の大阪狭山市です。
平成最初に単独で市になった自治体はどこでしょうか?
1991年・平成3年の千葉県 袖ケ浦市です。
最後はスケール大きく、21世紀最初に単独で市になった自治体はどこでしょうか?
2002年・平成14年の沖縄県 豊見城市です。
みなさんご存じだったでしょうか。
正直に申し上げまして、私は今回調べるまでどれ一つとして知りませんでした。
答弁は求めていなかったのですが、町長は次のように発言をしました。
「ネガティブに全部こう一つ一つ言われたらね、明るさがない」
「この町をしっかり売っていこうと PR しようということを言っている」
「この町を明るく、皆さんがお祭りだというイメージをしっかりこの町を盛り上げていきたい」
「しっかり明るい部分、お祭りになる部分、そのイベントとしてですね、取り上げていきたいという部分もしっかり PR していきたい」
市制移行は3億円をかけた、一過性のお祭り、イベントだということを図らずも語ったわけです。
語るに落ちるとはこのこと。
以下は3回目の発言の全てです。
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今回、「『都市再生』と府中町の未来」というタイトルで質問することになったきっかけは、市制移行です。「市になることで、都市的イメージの獲得ができる」と町は説明しました。都市の「実態」ではなく「イメージ」の獲得に重点をおいているわけです。町とのやりとりを通じて、「都市とは何か」という疑問が生じました。そこで、都市について考える手がかりにしたのが「都市再生」と「アメニティ」というキーワードで、その内容については、すでに述べました。
結論としては、大都市に高いビルを建てるだけの「都市再生」政策では人口減少に歯止めがかからず、魅力ある都市づくりにはなりません。これは広島市を見ても明らかであり、中小都市にいたっては衰退を重ねています。だからこそ、この「都市再生」政策が後ろに追いやった「アメニティ」という考え方を今一度復活させ、当町でいえば「暮らし心地のよい」町づくりを総合的に進めていくことが大切です。
私は「アメニティ」という言葉にこだわるつもりはありません。「第5次総合計画」にある「暮らし心地、快適性」は「アメニティ」そのものだからです。
今回、アメニティ向上のために必要な課題を7つ指摘しました。広い空、開発限界ラインの堅持、高い下水道普及率の維持を除く、河川の親水性の向上、公園の充実と暑さ対策、街路の木陰とベンチの設置、ポケットパークの整備は、取り組みやすいものもあれば、実現が容易ではないものもあると思います。それでも様々な機会を捉えて、実現に向かってしぶとく努力していただきたいと思います。
最後になりますが、昨日の答弁で町長は「令和初の単独市制となり、歴史に名を残す」と答弁されました。大変なプロモーション効果があるという趣旨かと思います。
では、昭和最初に単独で市になった自治体はどこでしょうか?
1927年・昭和2年の鳥取県米子市です。
昭和最後に単独で市になった自治体はどこでしょうか?
1987年・昭和62年の大阪狭山市です。
平成最初に単独で市になった自治体はどこでしょうか?
1991年・平成3年の千葉県 袖ケ浦市です。
最後はスケール大きく、21世紀最初に単独で市になった自治体はどこでしょうか?
2002年・平成14年の沖縄県 豊見城市です。
みなさんご存じだったでしょうか。
正直に申し上げまして、私は今回調べるまでどれ一つとして知りませんでした。
他市町で暮らす一般の生活者にとって、どこが「何々初」であるかなどということは、なった瞬間はともかく、すぐに忘れ去られるのが現実です。町長の言うプロモーション効果というのも、極めて一時的、かつ限定的なものだと言わざるを得ません。
外向けのイメージに投資するのか。それとも、数年後、数十年後に住民から「本当に暮らしやすい町になった」と評価される「足元の現実の暮らし」、すなわちアメニティを充実させるのか。
イメージ戦略を追うのではなく、この都市としての実態、住民の暮らしの質を充実させることこそが、府中町の進むべき道であることを指摘いたしまして、私の一般質問を終わります。












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