中易一郎=須賀三郎先生

(2008年)8月18日、哲学の師匠、中易一郎先生が亡くなりました。79歳。たしか、1928年生まれだったと思います。中易先生との出会いは、大学一年、18歳のとき。法政大学の倫理学の授業です。先生は拓殖大学に勤めていましたが、法政にドイツ語と倫理学を教えに来ていたのです。

先生は風貌も独特でした。唐草模様の風呂敷包み、ミッキーマウスの安物の時計、たばこはゴールデンバット。

先生も執筆者の一人だった『現代の倫理』(青木書店)をテキストにした講義は抜群に面白く、いつも一番前に陣取って講義を聞いていました。大教室の授業でしたが、私語をするものがいると「こら~、うるさい!でていけ~」と一喝。教育者としての厳しさがありました。

中曽根氏との面接 

ご自宅にも何度かお邪魔し、いろんな話を聞きました。拓殖大学に就職するさい、総長だった中曽根康弘氏の面接を受けたそうです。

あらかじめ、「マルクスをやっているなどと決して言ってはならない」と就職を世話してくれた人からアドバイスされていたので、「ヘーゲルの研究をしている」と言ったところ、「ヘーゲルかあ、危険だなあ。(哲学は)カントまでだな」と中曽根さんは応えたらしい。 さすが中曽根氏。その鋭い(!!)感覚に笑ってしまいました。あっぱれ!

でも、中易先生、無事就職できたんですね。

※社会変革を促す「危険」な論理をヘーゲルが内包しているのはもちろんですが、ヘーゲルが踏まえたカントもまた「危険」な論理をもっていると最近は考えるようになりました。「永遠平和のために」「啓蒙とは何か」を読むだけでもそのことは分かります(2017年追記)

『君たちはどう生きるか』

『世界』の名編集長だった吉野源三郎さんが亡くなられた頃で、もともとの日本小国民文庫版の『君たちはどう生きるか』(1937)を見せて頂いたりもしました。

私は、吉野さんが亡くなられて、この本の存在を知り、大学の図書館でポプラ社版の『君たちはどう生きるか』を読んだのですが、「あれはオリジナルとは違うから、ぜひオリジナルのものを読むように」と勧められ、オリジナルの復刻版が岩波文庫からそのころ出たので、それを再読しました。

文庫版には丸山眞男の「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」が収録されています。

「この1930年代末の書物に展開されているのは、人生いかに生くべきか、という倫理だけでなくて、社会科学的認識とは何か、という問題であり、むしろそうした社会認識の問題ときりはなせないかたちで、人間のモラルが問われている点に、そのユニークさがある」(310ページ)と丸山さんは述べていますが、中易先生が説く倫理学もまた、そういう性格をもっていたと思います。

ファンタジーと哲学

先生は、ファンタジーも好きで、エンデの『モモ』『はてしない物語』、ル・グィンの『ゲド戦記』などについてもよく語っていました。

「『モモ』は、面白いけど、マルクスについて悪口を書いているぞ」。

今日、その箇所をやっと見つけました(怠け者の弟子をお許し下さい)。観光ガイドの若者、ジジの話に出てきます。

「〈赤い王〉とあだ名された世にも残虐な暴君、マルクスセンティウス・コムヌスのことはごぞんじでしょうが、この暴君は、とうじの世界をじぶんの考えどおりにつくり変えようとくわだてた人なのです。ところがどんな方法でやってみても、けっきょく世界はおんなじようなままでしたし、人間というものはそうかんたんには変わらないものだとわかっただけでした」(62ページ)

当時の社会主義国の実態からすれば、エンデの書いていることもわからないではない。

『はてしない物語』については、こんな話をしてくれました。

「ファンタジーエン(空想の国)に虚無の侵蝕が始まっている。それを救うために必要なのは、このファンタジーエンに、現実から少年(バスチアン)が訪れることであり、そのことがまた、現実世界の虚無を救う…。これは認識論として重要だ」

人間の認識の源泉は現実世界にあり、現実と思想の行き来が弱まると、その両方の世界が危機に陥る。「はてしない物語」とはその永遠の交互作用のことなのだということでしょう。

そして、ファンタジーエンの女王、幼ごころの君に新しい「名前」をつけることが重要な意味をもつのですが、「名前」については『ゲド戦記』について語ってくれたことを紹介しましょう。

「名づけるということは、そのもののもつ本質をつかみだすことである。怪獣が登場して、すぐさま『ゼットンだあ』なんていうのは分かるわけがない。対象についての研究があって、初めてものごとの本質はつかむことができる」と中易先生。

 「たったひとつの名まえをつきとめる。ただそれだけのために、これまで何と多くのすぐれた魔法使いがその生涯をかけてきたことじゃろう。失われたか、また、あばかれぬかするたったひとつの名まえを明らかにせんとしてな」(『影とのたたかい ゲド戦記Ⅰ』76ページ)

「そう、魔法使いの力にかなうものは、自分の身近なもの、つまり、すべてを正確に、あやまたずに、その真(まこと)の名で言い得るものにかぎられるんじゃ」(同78ページ)

中易先生には、『やさしい哲学』(ペンネーム須賀三郎・学習の友社)という著書があります。

「ぼくらがあるものを明らかにするには、まず、ほかのものから、区別する必要がある。いつもつながり(連関)とともにちがい(区別)を明らかにしないとだめだ。ーー区別と連関は弁証法的な考え方を身につけるうえで大切なことだ」(15ページ)と書いているが、まさに「真の名」をつきとめ、概念を規定することは同一と区別を明らかにすることによって可能となるのです。

対象変革が自己変革を引き起こし、自己変革が対象変革を…  

思い出はつきませんが、最後に、ボクがノートに抜き書きして、ときどき読み返しては、自分を励ましてきた文章を紹介し、結びとします。

「運動というのは、はじめから完璧なものはなにひとつとしてないのも事実だ。運動の運動たるゆえんは、いままでになかったものが生成する点にある。

ダメ男とダメ女の連合というみばえのしない運動であっても、ただ一点、未来を支える次代者を人間へと生成させようとするベクトルで結ばれ、自分自身を例外者の高みにおかない決意さえあるならば、運動そのものの論理によって、

すなわち、対象変革は自己変革をひきおこし、自己変革はまた、対象変革にはねかえるという論理によって、たとえ最初は社会の一部に限定されたささやかな運動であろうとも、この運動の過程のなかで運動者自身が自己を真に民主的、人間的に改造することができ、こうした人間たちの連帯運動は、人類の未来を背負う逞しい次代を出現させるであろう。

小さな運動の流れが各地でつぎつぎ合流しながら、相互に経験を交流して大河になってゆくとき、解決不能にみえた問題も解決可能な形態で開示されてくるだろう。

(中易一郎「社会の鏡としての非行とその克服」『唯物論研究』第5号,1981、 より)

【2008年】

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写真に写っているのが中易先生である。安野光雅さんの『会えてよかった』(朝日新聞出版)に先生のことが出ている。先生は安野さんの「起承転結」ならぬ『起笑転結』(文春文庫)の解説を書いている。実際に書いた原稿は収録されているものよりだいぶ長かったらしいが編集部の意向で大幅カットだったそうな。

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以下のエッセイにある「大学時代の恩師」とは中易先生のことである。

時が熟す

大学時代の恩師から送られてきたカンパに、つぎのようなメッセージが添えてあった。

「時が熟す。沈着冷静に礼儀正しく行為せよ。」

これを読んで、ちょっと意表をつかれ、ウーンと唸ってしまった。「時が熟す」かあ。

私たちは、変化をより早くより着実に起こすために運動をしているといってよい。労働時間の短縮・大幅賃上げをはじめ、社会保障の充実などの「変化」をどうやったらつくりだすことができるか、日々、実践を積み重ねている。人間(集団)の努力が変化を起こす(=熟す)のだ。

この恩師の助言は、そのことを否定しているわけではもちろんない。人間(集団)の努力が変化を引き起こすためには、長い時間が必要で、一度に無理をするのではなく、地道に粘り強く、ということなのだろう。

「時」の要素を考慮に入れないと、思うように進まない現状のなか、それを他人のせいにしたり、あるいは自分の力量のなさに自暴自棄になったりして(正直いって私はときどきなったりするんですが)、結局、努力を放棄するということになってしまうからである。

変化というのは、目に見えない無数の努力の積み重ねが、時間の経過のなかで、ひょっこり表面にあらわれてくるものなのである。

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