西日本豪雨災害における榎川氾濫と治山・治水 2018年9月議会
もくじ
■はじめに
ふたみ伸吾議員 7月6日から西日本を中心に激しい雨が降り、土砂崩れや水害が相次ぎました。中国5県で178人、広島県は113人の方が亡くなっています。
府中町では、10日、土砂と流木が寺山橋でせき止められ、榎川が越水し本町3丁目に濁流が流れ込みました。町内の住家被害は全壊2件、半壊17件、一部損壊50件、床上浸水7件、床下浸水54件となっています。人的被害がなかったのは幸いでした。
今回の災害について湯崎英彦広島県知事は、新聞各紙のインタビューに答えていますが、話の焦点はいずれも「県民にどうすれば避難してもらえるのか」(中国新聞)、「避難せぬ理由検証を」(毎日新聞)となっています。避難も確かに重要ですが、その前に避難しなくてもよい状況をつくることができなかったのかどうかの検証が必要と思われます。
府中町でいえば榎川の越水・氾濫は防ぐことができなかったのか、ということであります。確かにものすごい雨が降った。しかし豪雨が降れば災害になるのかというと、そうとは限らない。
河川工学の専門家は「水害は異常な自然現象が誘因となって発生する社会現象」(高橋裕『川と国土の危機 水害と社会』岩波新書)と述べています。「社会現象」、すなわち、土地利用や開発状況、そして治山や河川改修が適切に行われているかといった人々の行為が深くかかわっているのです。
今日は、山の崩壊を最小限にとどめる森林整備を含む「治山」、川の越水を防ぐ河川改修という「治水」がどうであったのかについて質問いたします。
(榎川 りゅうせん幼稚園前 ガードレールの向こうが榎川。7月11日撮影)
1.なぜ土砂は崩れてきたのか
■脆弱な地質と土砂災害
まず、山の問題です。
広島県の土砂災害危険箇所数は約3万2千カ所で全国一です。広島県はその理由として、平野部が少ないことから山すそまで宅地が広がっていることとともに、脆弱な地質をあげています。
「本県の地質は、花崗岩及び流紋岩が広く分布し、県下のほぼ70%を占めている。特に花崗岩は48%を占め、断層や節理等から水が染み込むと深部まで化学的変質が進行し、いわゆる《マサ土》と呼ばれる風化花崗岩となるため、土砂災害が発生しやすく、土石流危険渓流、急傾斜地崩壊危険箇所数等が全国最多である」(「広島県地域防災計画【基本編】」14ページ)
このように、土砂災害が起きやすいことを広島県は十二分に分かっているわけです。
しかも単なる可能性の問題ではなく、実際に土砂災害が起きてきました。
近年の土砂災害だけでも、次のようなものがあります。
▼1999年6月、6.29豪雨災害。被災箇所(広島市北部~西部と呉市)は、土石流等災害で139カ所、がけ崩れ災害で186カ所に、死者31名、行方不明者1名、家屋全壊154戸。
▼2005年9月、台風14号。大雨が集中した廿日市市を中心に、被害が多発し、家屋全壊4戸、一部損壊44戸、土石流13渓流、がけ崩れ7カ所、地すべり1カ所の土砂災害が発生。
▼2006年9月、台風13号。大雨が集中した芸北地方を中心に、死者1名、行方不明者1名、家屋全壊4戸、半壊6戸の被害が発生。土砂災害は、土石流9渓流、がけ崩れ11カ所。土砂災害によ
る被害は家屋全壊3戸、半壊1戸。
▼2010年7月、7.16庄原ゲリラ豪雨。死者1名、家屋全壊14戸、半壊14戸。土砂崩落は約500カ所、うち土石流災害37カ所、がけ崩れ災害6カ所発生と、多数の斜面崩壊が起こり、川北川や西城川の支流で土石流が発生。
▼2014年8月、広島市豪雨土砂災害。死者74人、関連死3人、家屋全壊133戸、半壊122戸、土石流災害107カ所、がけ崩れ災害59カ所
5年と経たずに土砂災害が起きています。そして「100年に一度」と言われた2014年の豪雨災害からわずか4年で今回の豪雨災害が起きました。
豪雨という異常な自然現象を災害にさせないための手立ては打たれたのでしょうか。
先ほども申しましたように、広島県内の、そして府中町の地質は花崗岩とそれが風化した「まさ土」であります。この「まさ土」をできるだけ流出させず、災害にしないために必要なのは「治山」です。治山とは、荒廃山地などの復旧や森林の維持・造成を通して、水資源のかん養と土砂流出の防止を進め、国土の保全・水資源の確保を図ることです。
古くから、「治水は治山にあり」「川を治める根本は上流の森林造成にあり」といわれており、この点での努力がどうだったのかが問われています。
■「森のダム」 森の保水機能
森林には様々な機能、効用があります。災害との関係でいいますと、水を蓄える保水機能、そして山崩れを防ぐ侵食防止機能が重要です。
まず保水機能ですが、木のないところでは雨水は土とともに地表をそのまま流れていきます。森林であれば葉や枝でいったん雨水は受け止められ、枝や幹を伝わって地表に達します。地表には落ち葉の層があり、そこに吸収されたのち土の中に浸透する。それが地下水となって徐々にしみ出し、河川に流れでます。
森林の土壌は、落ち葉や落ち枝などが腐って積み重なり、そこにはミミズなどがいて、土を耕したり掘ったりするので土壌はスポンジ状になります。このスポンジ状の土壌が、雨水を蓄え、きれいでおいしい水を作り出すのです。
このような森林の働きによって河川の水量は平準化され、洪水や渇水を防いでおり、「森林は緑のダム」と言われています。
■森林による侵食防止機能
急激な水の流出を抑える森林の働きは、河川の水量を平準化し下流の洪水を防ぐだけでなく、地表を流れる雨の量を減らし速度を落とすことによって土の侵食を防ぎます。
1年間でどのくらい侵食するのか。日本で傾斜15度以上という条件ですが、森林で土の厚み0.2ミリ、農耕地はその8倍、裸地で50倍となり、荒廃地では森林の170倍、土の厚み30ミリ以上に達するといいます(川口武雄「山地土壌侵食の研究」『林業試験場集報』61号)。
浸透力の劣った土のところでは、地表を流れる水の割合が大きくなり、土も流れやすくなるのです。
森林が山崩れを防ぐのは、木の根によるものです。樹木の細い根は土に網をかけたように働き、太い根は杭を打ったように作用して土壌を縛り付け、崩れ落ちるのを防いでいるのです。斜面の下の方に立っている樹木は、上から落ちてくる土石を食い止め、それより下に勢いをつけて落ちるのを妨げています。
豪雨災害が起こったところとそうでないところを比べると、森林が良好な状態にある山地は崩壊しにくいことが明らかになっています。もちろん、良好な森林であれば絶対に崩壊しないというわけではありません。しかし、一般的には、良い森林ほど崩壊は起こりにくいのです。
■放置される森林
現在、日本の山々は「はげ山」ではなく緑に覆われています。それは第二次世界大戦後に政府のとった拡大造林政策によるものです。木材不足を解消するために、おもに広葉樹からなる天然林を伐採し、スギやヒノキ、カラマツなど成長が比較的早い針葉樹の人工林が植えられていきます。「造林ブーム」が起き、わずか15年~20年のあいだに現在の人工林の総面積約1000万haのうちの約400万haが造林されました。
しかし、木材の輸入自由化によって外材の輸入量が年々増大し、林業経営は成り立たなくなっていきました。現在では間伐を中心とした保育作業や伐採・搬出などにかかる費用も回収できず、間伐や収穫のために伐採しても採算がとれない。その結果、日本の森林は十分な手入れがなされず、荒廃が目立つようになっています。今回の西日本豪雨災害も森林放置が一つの要因となっています。
府中町内や県内外の被災現場の崩落箇所を見ると、間伐がされておらず、木々が細い。枝のように細い木は根も張っていません。
人工林は下草刈り、間伐や除伐を実施し、光と養分が行き届くようにすることが大切なのです。太い樹木を育て、根が土をしっかり縛りつけるようにすれば、土砂の崩れを押さえることができます。
(幹がひょろひょろ。府中町山田)
■府中町の森林
府中町の面積約1000haのうち森林は435haで、町有林は約半分の225ha、私有林が199ha、県有林が11haです。
天然林も必要に応じて手を入れることが必要だそうですが、なんといっても人工林は放っておくと、過密になり木々は成長することができず、森林の持つ本来の力を発揮することができない。
生活環境部からいただいた資料に「手入れせずに放置されると、藪のような状態になり、つる性植物などにより、木の成長が阻害され、日光が差し込まないため、林床植生が減少し、土石流の発生、山腹崩壊や風倒被害を受けやすくなる」とありますが、まさにその通りです。
2007(平成19)年度から町は「府中の森づくり事業」に取り組んできました。2008(20)年度から2017(29)年度までの10年間で約22haが除伐、間伐されました。整備が必要な町有林(人工林)は87haですので、進捗率は25%にすぎません。このテンポでは、あと40年以上かかってようやく一巡することになります。
森林整備は、苗木を植えてから5~7年間は下刈り、10年を過ぎると30年生近くまで5回ほど枝打ちします。8~10年頃から、育ちの悪い木、枯れかかった木などを間伐。これを5年ぐらいの間隔で繰り返し、40年~50年、あるいは70年程度で主伐、切ることになります。
こういうサイクルを考えたとき、10年間で22haというのではとても森林整備は間に合わない。
森づくり事業は、「ひろしまの森づくり県民税」を財源として進められてきましたが県からの交付金は年間わずか260万円にすぎません。
県の「森林整備加速化・林業再生基金事業」の間伐予算は2009(平成21)年から2016(28)年まで、8年間の合計が約15億円で、間伐された面積は約5400haです。これは県全体の森林面積の0.9%、県市町林の1割ほどにすぎません。これでは広島県の森林整備は遅々として進みません。
そこで伺います。
①県の森林整備予算を抜本的に引き上げる必要があると思いますが、町としてはどのように考えますか。
◆生活環境部長 ご承知のとおり当町は、平成20年度から広島の森づくり交付金を活用し森林整備に取り組んできたところでございます。
また水分峡森林公園におきましては、みくまりの森サポートクラブに、月1回以上森林整備をしていただいております。みくまりの森サポートクラブにより実施していただいている箇所は、今回の災害において、流木等が発生していません。
みくまりの森サポートクラブの皆様には、感謝いたしているところでございます。
森づくり交付金につきましては、人口割や森林面積割によって定められており、平成29年度の交付額は260万円となっています。概ね毎年度、同程度の額が交付されており、平成20年度から平成29年度までの10年間で、約22haの森林整備を行ってまいりました。里山防災林整備などの特認事業のメニューがありますが、これまでは、中山間地域が採択されやすい傾向にあり、当町が事業採択を受けるのは困難でございましたが、今回の災害を受け、事業採択の可能性も出てきたのではないかと考えています。今後、特認事業採択に向けた事業設計、森林整備の拡充が可能かどうか調査・研究してまいりたいと考えています。
また森林環境譲与税が平成31年4月から交付されることとなっています。森林環境譲与税の財源は、森林環境税となります。 2018年度の税制改革で森林環境税が創設されることとなり、2024年度から住民税に1000円が上乗せされることになっています。 2019年度から2023年度は、間伐や再造林などの森林整備事業の財源として地方譲与税である森林環境譲与税が自治体へ配分されます。町として有効活用できるよう工夫してまいります。
この制度の導入によって、森林整備に対する安定的な財源が確保され、森林の公益的機能の発揮に寄与するものと考えています。
ただ当面、森林整備の根幹である林道が崩壊しているため、可能な限り早期の復旧の完了を目ざします。
ふたみ議員 ②森林整備を進めていくに当たって予算以外にもなにか問題があるでしょうか。
◆生活環境部長 森林整備を担う従事者不足があげられると思います。間伐等の森林整備につきましては、専門知識や急峻な場所などで実施できる技術が必要でございます。そのような技術を有する業者が少ないのが現状であり、特に、森林整備の時期として適していると言われている11月・12月については、県内の各市町で間伐等が集中し、広い範囲を業者に発注することが困難な状況となっています。
今後、他の市町の事例も参考にし、森林整備を担う業者等の確保に努めてまいりたいと考えています。
今回の災害の被害調査においても、これまで森林整備を実施した箇所については、流木の被害が軽減されており、森林整備は、治山において、重要な役割を担っていることを改めて認識し、今後も継続実施してまいります。
■砂防ダム・治山ダムの限界
ふたみ議員 森林整備のテンポを上げていくことが、まずもって必要だと思いますが、整備をすれば崩れにくくなるものの、残念ながら全く崩れないということにはなりません。
崩れた土砂を受け止めるために「砂防ダム」や「治山ダム」が造られてきました。広島県内には「砂防ダム」が約2千基、「治山ダム」が約7700基あります。
「砂防ダム」は、大雨で土石流が起きたときに土砂をせき止める役割を担い、「治山ダム」は、崩れる恐れがある山の谷部分などに設置され、谷に土砂を堆積させ、森林を維持することで土石流を起きにくくするのが目的だとされています。「治山ダム」は、その周辺の森林を守ることでダムと森林の土砂流出防止機能を一体的に発揮させることを目的としているため、ダム本体のみで土砂の流出を止めることを目的とした「砂防ダム」よりは小規模なものなのだそうです。
この砂防ダムや治山ダムの、土砂を止めるという働きが渓流から海にわたって生態系を壊すといわれています。
渓流においては、①ダムが建設されることによって魚や水生昆虫、両生類や哺乳類の移動が遮断される、②ダム上流は土砂が堆積することによって瀬や淵のような動植物の生育環境が破壊される、③ダム上流の環境が変わり、そこに適していた生物は減少し、下流の環境に適している種が移動して生態系のバランスが崩れる、④工事用道路や森林伐採という工事そのものが生態系を破壊する、といったものです(太田猛彦「『生態系と調和した砂防』の基本的な考え方」『砂防学会誌』1997年7月号)。
それ以外にも、土砂が下流に流れないことによって、河床が低下し、魚の上流への遡上を妨げる、土砂が海岸まで達しないので海岸が侵食され後退する、森林からの養分が海に届かず、海藻などが死滅し磯焼けする、といった弊害もあります。
このようなデメリットに加え、肝心な砂防という点でも限界があることが今回の災害で明らかになりました。
榎川の越水・氾濫の原因の詳細な検証はこれからですが、土石流が7カ所の砂防ダムを乗り越え、たまっていた土砂などが一気に下流へ出たと言われています。
(右が豪雨前、左が豪雨後。山の地肌がえぐられており、この爪でひっかいたような崩落は「悪魔の爪痕」と呼ばれている。国土地理院ホームページより)
坂町の小屋浦地区の砂防ダムは土砂と巨石によって流出し、15人が亡くなりました。広島市安芸区矢野では今年2月に完成したばかりの治山ダムに土石流が押し寄せ、土砂がダムを越えて流出し下流の住宅地を襲いました。
榎川の氾濫について国土交通省は、砂防ダムが「泥流の勢いを弱めるなど一定程度の効果」があったとしていますが、砂防ダムはすでにかなり埋まっていて、ダムがあることでかえって土石流が激しく下流に流れたのではないかという見方もあります。
砂防ダムや治山ダムが全く役に立たないとは思いませんが、以上のような限界をよく踏まえた対応が必要だと思います。
とりわけ大切なのはダムの維持管理です。
まさ土は崩れやすいわけですから、ダムが土砂で埋まっていないかを日常的に点検し、浚渫を適宜実施することです。現在、砂防ダムの目視点検は5年に1度、これでは災害を防ぐことができません。
■減り続ける砂防予算
まさ土という大変崩れやすい脆弱な地質の上で私たちは暮らし、ひとたび豪雨が降れば、今回のような大災害が起きるわけです。
先ほども申しましたように広島県内の土砂災害危険箇所は約3万2千カ所もあります。そのうち対策が必要なのは約1万1千カ所ですが、その7割が未整備です。昨年は14カ所しか整備できず、1年の進捗率は0.1%にすぎません。
今年5月11日の広島県議会・社会基盤整備対策特別委員会で、辻つねお議員(日本共産党)が「このペースだと整備完了に何年かかるか」と問うたところ「約200年」と砂防課長は答弁しました。
広島県は、危険な急傾斜地ワースト1であるにもかかわらず砂防予算をずっと減らしています。
1995年には170億円あったものが年々減って、1999年には140億円になりました。この年の6月29日、広島市佐伯区や呉市などで豪雨土砂災害が起き、死者31名,行方不明者1名,家屋全壊154戸という被害が出ます。豪雨災害があったので、翌2000年度と2001年度は砂防予算が増え、2001年度は180億円になりました。
しかし、災害から3年が経った2002年度から再び減りはじめ、2014年度には2001年の3分の1である59億円まで落ち込んだのです。そして、その2014年に広島市安佐南区、安佐北区を襲った豪雨災害が起きます。災害の翌年、2015年度は、82億、2016年度は97億、2017年度が105億円。ようやく100億円を超えたかと思ったら3年目の今年度(2018年度)は97億円へとまた下がる。災害が起こった後2~3年は砂防予算が増えるけれども喉元過ぎれば予算を削る。
長期的には減少傾向となっているわけです。
私は、先ほども述べましたように、砂防ダムや治山ダムをやたら造ればいいとは思っていません。しかし、造った以上は、その本来の役割が果たせるように維持管理すること、また生態系をできるだけ壊さないよう砂防ダム・治山ダムの改良をはかるべきです。
そこで質問です。
③砂防予算は2001年には180億円ありました。いまは100億円を切っています。今回のような災害を起こさないために広島県の砂防予算は抜本的に引き上げるべきだと考えますが、町としてはどのように考えますか。
◆生活環境部長 広島県においては、『ひろしま砂防アクションプラン2016』に基づき平成28年度から平成32年度の5カ年における土砂災害に対するハード及びソフト対策が進められおり、この計画では、府中町内の砂防ダムの整備は計画されていませんが、この度の災害により、広島県においては今後の水害・土砂災害対策のあり方検討会が組織され、河川・ダム・砂防の分野について、被災状況の把握、被災要因の検証、それらを踏まえた対策のあり方について検討されることとなっております。
府中町においても、この度の豪雨災害により各所で土石流が発生、特に、みくまりー丁目において大きな被害が生じており、砂防の整備が必要です。現在、緊急的にみくまり一丁目の山中に砂防ダムを整備するよう、県に対し要望を行っており、協議を行っているところです。また、その他の箇所で発生した土砂災害についても、水害・土砂災害対策のあり方検討会での対策方針を踏まえ、次期砂防アクションプランに位置づけられ、対策が講じられるよう、引き続き要望していきたいと考えています。
2.榎川の越水・氾濫はなぜ起きたのか
■土砂と流木の堆積
榎川の越水・氾濫が起きたもう一つの原因は河川改修の遅れです。
今回の越水は寺山橋に土砂と流木が堆積したことが直接的な要因です。上流から流れてきた土砂が、勾配が緩やかになった「りゅうせん幼稚園」の前付近で滞留し、土砂と流木で寺山橋が塞がって越水しました。
(土砂と流木で橋が閉塞した寺山橋。ポンプでくみ上げて下流に流している。7月11日撮影)
こういう越水は特段珍しいものではありません。河川学のテキストにも「山腹崩壊や土石流で発生した土砂が河道区間に滞積すると、洪水位を上昇させ、越水被害を発生させることがある」「山腹崩壊により斜面の樹木が河道に流入して流木化すると、橋梁部を閉塞して、越水災害を発生させる」(末次忠次『実務に役立つ総合河川学』鹿島出版会)とあります。私自身も2014年の豪雨災害のときに、広島市安佐北区の水路が流木によって閉塞し越水した現場を見ました。豪雨がこういう災害を引き起こすことは十分予測できたわけです。
■河川改修の遅れ
こういうケースを具体的に検討していたかどうかは分かりませんが、豪雨災害に見舞われることは当然予想されていましたので、榎川には河川改修の計画があります。
2002年に策定された(2012年に一部改訂)「一級河川太田川水系 太田川下流ブロック整備計画」によりますと、榎川の河川改修施工区間は、最下流から新宮橋下流まで 1,400mの区間です。
府中大川との合流地点で、計画高水流量70立法メートル毎秒、山田川との合流地点で53立方メートル毎秒、総社橋付近で50立方メートル毎秒を流下させることになっています。
今回流れてきたのは土砂と流木ですので、そのことを考慮に入れなければなりませんが、計画高水流量を流下させる河道断面が改修工事によって確保されていれば、川に土砂が流れ込んできても土砂と流木は下流に流れ、越水・氾濫することはなかったのではないでしょうか。
河川改修の経過ですが、1998(平成10)年度か2001(13)年度まで、府中大川と榎川との合流点から経免橋までの約140m、護岸と橋梁改修工事を県事業として実施しました。しかし、翌年から事業は休止。都市型の集中豪雨が懸念され、町は2007(19)年度から県知事に対し、榎川河川改修の早急な事業着手を求め、提案活動を実施。そして2010(22)年度から榎川改修工事が始まり現在に至っている。このように伺いました。
これまでの実績ですが、
2010(平成22)年~2011(23)年が35m(5800万円)、
2011(平成23)年~2012(24)年が40m(3900万円)、
2012(平成24)年~2013(25)年が68m(5100万円)、
2013(平成25)年~2014(26)年が31m(3200万円)、
2014(平成26)年~2015(27)年は予算つかず、
2015(平成27)年~2016(28)年が22.9m(3348万円)、
2016(平成28)年~2017(29)年が22.6m(4460万円)、
8年かかってようやく府中大川との合流地点から約220m、役場の前まで来ました。このペースでいきますと、新宮橋まで工事が完了するのにあと50年は、かかることになります。これでは50年の間、豪雨災害が再び、三度と起きることになるでしょう。
改修工事は遅々として進みません。なぜ進まないのでしょうか。
県の予算を調べて驚きました。2000年度に378億円あった河川事業予算が、今年度(2018年度)は72億円、5分の1以下に減っています。これでは榎川改修に予算が回ってくるはずもありません。
そこで伺います。
④県の河川改修予算が1999年度の378億円から2018年度の72億円まで減らされてきたことについて、町としてどのようにお考えですか。
◆生活環境部長 広島県予算においては、財政健全化への取り組みや社会保障費の増大により、河川改修のみならず建設事業費全体でピーク時の1/4程度まで減少しつづけています。そのような状況の中、榎川の河川改修につきましては、平成10年度に工事着手し、一時期中断した時期もありましたが、平成22年度より事業が再開されました。
しかしながら、広島県の単独事業ということもあり、ここ数年は年間20~30mという進捗に留まっています。このような状況から、町としても毎年、提案活動等により榎川の河川改修の促進を広島県に対し強く要望しています。
今回の災害を教訓に、今後は、河川改修の更なる促進と、今回の災害により護岸が崩落した箇所の復旧にあたっては、河川整備計画との整合性を図り進めるよう、広島県に対し要望していきたいと考えています。
ふたみ議員 ⑤榎川の河川改修が少なくとも寺山橋より上まで進んでいれば、今回の越水・氾濫は防ぐことができたのではと思いますが、町としての見解を聞かせて下さい。
◆生活環境部長 今回の榎川の越水・氾濫は、山中より流れ出た土砂と流木が寺山橋で堰き止められ発生したものです。
降雨から遅れて土砂と流木が一気に流出した要因については、現段階で明確 にはなっていないものの、公益社団法人砂防学会の災害調査結果では、①林道盛土の崩壊が降雨から遅れて発生した。または、②渓流内の一次堆積土砂の急激な浸食・決壊が降雨から遅れて発生した。以上の2とおりが想定されています。
榎川の改修が寺山橋より上流まで進んでいれば、今回の越水・氾濫は防ぐことができたのではというご質問ですが、榎川の河川改修につきましては、広島県が河川整備計画に基づいて整備を実施しています。町としましては、今回の災害による榎川の復旧と河川整備計画との整合性を図り、早期の河川改修を実施し、本来の河川機能を構築していただくよう強く要望してまいります。
《2問目》
ふたみ議員 2点ほど質問したい。
6日未明、北海道で震度6強の地震が起き、厚真町で大規模な土砂崩れが起きました。深い層からの地滑りもありますので、一概には森林整備の問題とすることはできませんが、テレビや写真でみますと崩れたところは間伐がされておらず、木々が細い。
森林整備がされていないと豪雨の時ばかりか地震の際にも大きな被害をもたらす場合があります。
南海トラフ大地震も予想されていますので、地震による被害を軽減するためにも森林整備は重要だと言うことを付け加えておきたいと思います。
森林整備、砂防、河川改修の予算が不十分であることについて、生活環境部長は否定されませんでした。森林整備はもともと少ない。砂防予算は2001年の半分、河川改修に至っては1999年の5分の1です。
森林環境譲与税は森林環境税とセットで、目的がよくても新たな税をつくる、事実上の増税です。個人住民税の均等割の納税者から国税として一人年額1千円を上乗せして徴収する。こういうやり方には問題があるということは指摘しておきたいと思います。
また、税の規模は600億円ですが、どのくらい府中町にまわってくるのか。
日本には人工林だけでも約1,000万ヘクタールあり、府中町の人工林面積は私有林(16ha)、町有林(87ha)、県有林(11ha)をあわせて114haで、日本の森林面積の0.00114%です。
どういう基準で補助金額が決まるのか分かりませんが、仮に面積だとすると600億円の0.00114%なら68万4000円。年間100万円にもなりません。
そこで質問です。
①この程度の金額では、若干テンポが上がるだけで、大きな効果を上げることはできないと思いますが、町はどのように考えますか。
◆生活環境部長 まずは、里山防災林整備など森づくり交付金の特認事業や森林環境譲与税の活用などにより、財源の確保に努め、新規事業に取り組むとともに、治山のため、より効果的な整備箇所を県と協議しながら選定し、町の森林整備を進めてまいりたいと考えております。
ふたみ議員 「森林整備を実施した箇所については、流木の被害が軽減されており、森林整備は、治山において、重要な役割を担っていることを改めて認識し、今後も継続実施」するという答弁でした。災害を防ぐ効果があることが改めて確認、実証されたわけですので、テンポを上げて進める、そのために必要な財源の確保に努力していただきたいと思います。
湯崎英彦広島県知事は、中国新聞のインタビューで、記者の「ハード対策は重要ではありませんか」との問いに対して「整備を続けるのはもちろん大事だ。ただ、どんなに強固で丈夫なものを造っても、常に想定を超える事態は起き得る。その前提での行動が必要になる」と述べています(7月21日付)。一般論としてはそうかもしれません。しかし、先ほど紹介したように、豪雨災害は県内で頻繁に起きている。なによりわずか4年前、2014年にあれだけの災害が起きた。それを「常に想定を超える事態は起き得る」などとうそぶている。「整備を続けるのはもちろん大事」というが、予算を増やすどころか減らし続けてきたことへの反省はみじんもない。
「地元説明会、引っ越し時のハザードマップ配布など努力をしてきた。それでも多くの方が土砂災害で、しかも警戒区域内で亡くなった。/情報があっても、避難行動につながっていない可能性があるのが大きな課題」。
結局、避難の問題に矮小化し、責任を県民に転嫁している。
このような姿勢は、「自助・共助・公助」と一体のものです。
「《みんなで減災》県民総ぐるみ運動行動計画」の知事メッセージで、「県民が自らの身は自ら守る《自助》、地域の住民が互いに助け合い地域の安全を確保する《共助》、県、市町等が県民の生命、身体及び財産を守るために行う《公助》それぞれの役割分担と相互の連携の下、社会全体で減災に取り組む」(「《みんなで減災》県民総ぐるみ運動行動計画」)。
3つの「役割分担と相互の連携」といっていますが--あらゆる「自助共助公助」論に共通していますが--この3つには順序がある。まず「自助」、ついで「共助」、そして最後におずおずと「公助」が登場する。自分でやって下さい、みんなで助け合って下さい。それでもできないことは、国ないし自治体がやりましょう。こういう組み立てになっている。
災害時に自助や共助が必要なことは当然です。事実、災害時はみんな自助・共助している。そのことは前提であって、さらに自助・共助を求めるのはおかしい。国や自治体の出番なのです。災害を最小限に食い止める国や自治体の努力、施策こそ求められていると思うんです。
避難の問題、自助・共助を必要以上に強調するだけでは、被害を減らすことにならない。避難というソフトの問題を前面に出し、森林整備や砂防ダムや治山ダムの整備、河川改修といったハード整備の予算を削り続けてきたころ、この失策を覆い隠すものだと思います。
そこで質問です。
②このように、避難と自助を過度に強調した防災対策は大きな問題だと重いますが、町はどのように考えますか。
◆生活環境部長 議員ご指摘のとおり、災害時においては自助・共助が必要であり、適正なタイミングでの避難行動は、命を守る行動として重要と考えており、また、それと同様に、命を守るための防災対策においては、森林整備、砂防ダム・治山ダムの整備、河川改修などのハード整備も重要であると考えております。
町としましては、これまでも広島県に対し、河川改修等の整備要望を行っておりますが、今後もより強<要望を続けていきたいと考えております。
《3問目》
水が溢れた寺山橋のすぐ近く、えの宮公園には大正15年にあった水害の記念碑があります。碑文には災害の状況がつぎのように書かれています。
大正15〈1926年)9月11日午前0時頃、豪雨があり榎川その他の河川が氾溢して堤防が決壊。3500間(約6キロメートル)にわたって橋が流され、20あまりの家屋が流失。26軒が半壊埋没、耕地は砂に埋もれ、白い川原となり、66町歩〈0.65平方キロメートル)田畑・山林・河川などの被害は数えきれない。死者3名負傷者数名、被害総額は「百万円」を超える。
調べてみますと、比較の方法はいろいろあるようですが、当時の「百万円」はいまの約6億円に当たるそうです。90年前にも相当な被害があったわけですが、災害から20年近く経って1944年に記念碑が立てられたのは、「災害を風化させたくない」という思いだったのではないでしょうか。
また今回、水に浸かった本町地区の一部は、今も町内会がそう呼ばれているように「砂原」という字名(あざめい)でした。2006年1月の「広報ふちゅう」に「榎川上流の森林伐採を行ったことにより山肌が露出し、雨がふるたびに花崗岩が崩れ砂状となってしまい、たびたび洪水が発生し、家屋の流出が繰り返し起こり、昔の面影を失ってしまった。天保7(1836)年の洪水の際には、この集落は一面全体が砂の原となってしまったため、この頃から《砂原》と呼ばれるようになった」と紹介されています(「府中町ふるさと歴史散歩」第26回」)。このような事情で中郷という名前が砂原に変わったわけです。
『安芸府中町史』によりますと、これよりさらに130年前、宝永5年(1708)年、帳簿にすでに「砂原」という地名が記されているとあり、「後にこの水害の記憶と結びつけられ人口に膾炙されるようになったものであろう」と書かれています(第1巻、314ページ)。
これもまた災害を記憶し続けるために地名にしたのではないでしょうか。
府中大橋近く、新幹線高架下の道路の真ん中に丸い大きなオブジェがあります。サッカーボール兼用だったようですが、まん丸の「ころび石」です。土砂災害で石が転がってくることはありますが、球状の石などあるはずがないと思い込んでいました。もっぱらデザインのために球にしたのだと思っていたわけです。
しかし今回、榎川の府中北小近くで、まさにまん丸の「ころび石」が橋にひっかかっていました。「石コロヒ」という地名とともに、「ころび石」は伝承として語り伝えられてきたのだと思います。
「災害は忘れた頃にやってくる」といいます。だからこそ、府中町の地に生きた先人たちは、石碑や地名、言い伝えの形で災害の記憶をつなぎ、そのことによって後世に生きる人々、私たちに「災害に備えて欲しい」と願ったのではないでしょうか。この先人の思いを無駄にしないことが大切で、職員のみなさんは、そのことを十分踏まえて努力し奮闘されていると思います。
しかし残念ながら、これまで述べましたように広島県や国は、災害を未然に防ぐという努力が足りない、というより予算を減らし続け、逆行しています。
町民の暮らしと命を守るために、県や国の姿勢を変えるために私自身も力を尽くすことを表明して質問を終わります。
《参考文献》
高橋裕『国土の変貌と水害』岩波新書、1971年
高橋裕『川と国土の危機 水害と社会』岩波新書、2012年
大熊孝『洪水と治水の河川史』平凡社、1988年
岡本芳美『緑のダム、人工のダム』亀田ブックサービス、1995年
只木良也『新版 森と人間の文化史』NHKブックス、2010年
太田猛彦『森林飽和』NHKブックス、2012年
末次忠司『河川の減災マニュアル』山海堂、2004年
末次忠司『実務に役立つ総合河川学入門』鹿島出版会、2015年
末次忠司『水害から治水を考える』技報堂出版、2016年
中村太士・菊沢喜八郎編『森林と災害』共立出版、2018年
林野庁編『森林・林業白書〈平成30年版〉』2018年
ほか
たくさんの資料から勉強になりました。ありがとうございます。