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2020-05-12

戦争への動員 国民保護法

2020年5月12日の臨時議会において「府中町国民保護計画の変更について」報告がありました。国民保護法の基本指針の変更に伴うもので、今回新たに訓練のなかにNBC兵器(核兵器・生物兵器・化学兵器)に対する避難訓練を実践的なものにするよう努めるという規定が入り、議会では質問の形で批判しました。

2010年に『ジョーカー・安保』(かもがわ出版)を上梓し、そのなかで国民保護法について検討し、批判しました。以下、最低限の加筆訂正を加えて、掲載いたします。


2004年6月、「国民保護法」(正式名称「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」)が成立。
政府自身は、この法律について、次のように説明しています。

①武力攻撃事態等において、国民の生命、身体及び財産の保護を図ることを目的としています。
②武力攻撃事態等における国、地方公共団体、指定公共機関等の責務や役割分担を明確にし、国の方針の下で、国全体として万全の措置を講ずることができるようにしています。
③住民の避難に関する措置、避難住民等の救援に関する措置、武力攻撃災害への対処に関する措置について、その具体的な内容を定めています。
④緊急対処事態においても、武力攻撃事態等における国民保護措置に準じた措置(緊急対処保護措置)を実施することとしています。
⑤国民の保護のための措置を実施するにあたっては、国民の基本的人権の尊重に十分な配慮がなされます。

(内閣官房 国民保護ポータルサイトより)

どういう戦争を想定し、どういう保護をするのか

「国民保護法」とそれに基づく「国民の保護に関する基本指針」(2009年11月)は、どういう戦争(「武力攻撃事態」)を想定し、それから国民をどう保護しようというのでしょうか。
 以下、「指針」(11~14ページ)の記述を要約して紹介します。

1.着上陸進行の場合…戦闘が予想される地域から先行して避難

2.ゲリラや特殊部隊による攻撃の場合…「事前にその活動を予測あるいは察知でき」ない。屋内に一時避難させ、適当な避難地に移動

3.弾道ミサイル攻撃の場合…事前に察知できても、攻撃目標を特定することは極めて困難。屋内への避難や消火活動。

4.航空攻撃の場合…徴候を察知することは比較的容易だが、対応する時間が少なく、攻撃目標を特定することが困難。屋内への避難。

5.NBC攻撃の場合

Nは核兵器(Nuclear weapons)、Bは生物兵器(Biological weapons)、Cは化学兵器(Chemical weapons)をさします。

①核兵器…「非難に当たっては、風下を避け、手袋、帽子、雨ガッパ等によって放射性下降物による外部被ばくを抑制するほか、口及び鼻を汚染されていないタオル等で保護することや汚染された疑いのある水や食物の摂取を避けるとともに、安定ヨウ素剤の服用等により内部被ばくの低減に努める必要がある」。

笑止千万。ヒロシマ・ナガサキそしてビキニの教訓を何も学んでいない。このようなことで核被害が防げるはずがありません。

②生物兵器…人に知られることなく散布可能。潜伏期間があり、散布が判明したときには、「既に被害が拡大」
 
要するになすすべなし、ということです。

③化学兵器…においのあるものもあるが、無臭のものもある。安全な風上の高台に誘導。

風向きが変わったらどうするんでしょうか?

結局、5つのケースのどれをとっても、屋内と「安全」な場所に逃げる以外に手段はない。そして、戦争が起きれば「安全な場所」などあろうはずがありません。結局、「国民の保護」は看板だけということです。

国民を戦争に動員

こんなお粗末な国民保護法をなぜ作ったのでしょうか。それは、この法律の真のねらいが別のところにあるからなのです。国民を戦争にかりたて、協力させること。国民保護法とは名ばかりで、この法律の本質は「国民動員法」です。

第4条 国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。

2 前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。

この、「必要な協力をするように努める」というのがくせもの。第2項で「自発的な意志にゆだねられる」「強制にわたることがあってはならない」とわざわざ書いているのは、国民一人ひとりの意志に反することが強制的に行われる可能性がある、ということの裏返しなのです。だいたい、一人ひとりの意志を尊重し、強制をしないで戦争するということは不可能でしょう。

内閣官房の役人たちが書いた『逐条解説 国民保護法』(ぎょうせい)には、「協力を行うことについて説得を行うことは強制には含まれない」と書かれています。「これは強制でなくて説得です」と言えばすむ。あとは「協力しないやつは非国民」という伝家の宝刀を抜くわけです。

「国民の保護」を大義名分にして、戦争に国民を協力させる。ここに「国民保護法」のねらいの一つめがあります。

国民はどういう協力を求められるのか。

内閣官房のつくった説明用資料では「国民保護法では、国民に協力を要請できる場合を限定」していると強調し、以下のような内容を挙げています。

 ①避難に関する訓練への参加(42条第3項)
 ②避難住民の誘導の援助(第70条)
 ③救援の援助(第80条)
 ④消火、負傷者の搬送、被災者の救助その他の当該武力攻撃災害への対処に関する措置の援助(第115条)
 ⑤住民の健康保持又は環境衛生の確保の援助(第123条)

避難、救援、健康保持は自分たちでやりなさいということです。

政府答弁でも「自衛隊は敵を殲滅することに専念する。国民にはそのための環境をつくっていただく」(中谷防衛庁長官2002年5月16日)と述べています。

政府のつくった「国民の保護に関する基本指針」(以下、指針)はつぎの通り。

「自衛隊は、その主たる任務である我が国に対する侵略を排除するための活動に支障の生じない範囲で、可能な限り国民保護措置を実施するものとする」(6ページ)

土地や家屋のとりあげ、物資の収用や保管の強制、医療や輸送業務などへについても協力を求め、事実上の強制をすることができます。
 
わずらわしいので全ての条文は示しませんが、土地、家屋、物資の使用については、次のように述べています。

国民保護法第82条〔土地等の使用〕 都道府県知事は、避難住民等に収容施設を供与し、又は避難住民等に対する医療の提供を行うことを目的とした臨時の施設を開設するため、土地、家屋又は物資(以下この条及び第八十四条第一項において「土地等」という。)を使用する必要があると認めるときは、当該土地等の所有者及び占有者の同意を得て、当該土地等を使用することができる。

2 前項の場合において土地等の所有者若しくは占有者が正当な理由がないのに同意をしないとき、又は土地等の所有者若しくは占有者の所在が不明であるため同項の同意を求めることができないときは、都道府県知事は、避難住民等に収容施設を供与し、又は避難住民等に対する医療の提供を行うことを目的とした臨時の施設を開設するため特に必要があると認めるときに限り、同項の規定にかかわらず、同意を得ないで、当該土地等を使用することができる。

都道府県知事が「避難住民のため」という口実をつくり、「特に必要がある」と認めさえすれば、同意なしで土地も家屋も取り上げることが可能なのです。

地方自治体を戦争協力の道具にする 

第二のねらいは、地方自治体の性格を「住民の福祉の増進を図る」(「地方自治法」)ことから、「戦争推進」に変えてしまうことです。

国民保護法第3条 2 地方公共団体は、国があらかじめ定める国民の保護のための措置の実施に関する基本的な方針に基づき、武力攻撃事態等においては、自ら国民の保護のための措置を的確かつ迅速に実施し、及び当該地方公共団体の区域において関係機関が実施する国民の保護のための措置を総合的に推進する責務を有する。

警報、避難の指示、救援の実施、安否情報の収集などを自治体が担うことが想定されています。

しかし、いざ戦争になったときにこのようなことが可能でしょうか。

戦争は自然災害とは違います。国民保護法は「武力攻撃災害」という言葉を使って、地震や津波などの自然災害と戦争を混同させようとしています。

地震は余震がありますが災害は基本的に一度です。地域も限定されています。しかし、戦争はどうでしょうか。バスを用意していったいどこへ逃げるのでしょう。逃げた先もまた攻撃される。

他の自治体の要請をしても、そこもまた戦場です。避難できるところなどあるわけがないのです。
 
国民を戦争へかりたてる

第三の、そしておそらくもっとも重要なねらいは、この法律を使って国民を戦争へとかりたてることです。

国民保護法第43条はつぎのように、国民の理解を深め、啓発することを規定しているのです。

第43条 政府は、武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護するために実施する措置の重要性について国民の理解を深めるため、国民に対する啓発に努めなければならない。

「啓発」の名で危機をあおりたて、「国民の保護」を突破口にして国民を戦争へとかりたててゆく。

ここに、最大のねらいがあるのです。

「指針」には次のように述べられています。

 国は、地方公共団体の協力を得つつ、パンフレット等防災に関する啓発の手段等も活用しながら、国民保護措置の重要性について平素から教育や学習の場も含め様々な機会を通じて広く啓発に努める。
(7ページ)

 広島県の「国民保護計画」の「研修」の項目には「外部有識者等による研修」という記述があります。

職員等の研修に当たっては、国が作成するビデオ教材やe-ラーニングを活用するととともに、国の職員、危機管理に関する知見を有する自衛隊、警察、消防等の職員、学識経験者、テロ動向等危機管理の研究者等を講師に招くなど外部の人材についても積極的に活用する。

「職員等」ですから、職員限定ではない。「消防団員及び自主防災組織リーダー」についても「国民保護措置に関する研修等を行う」としています。

鳥取県のフォーラムでは、青山繁晴(※)という人が講演しています(彼はこの種のフォーラム・講演会で全国を飛び回っているようです)。

僕らの地域や家族を守ろうと思ったならばら 「私達の国は聖徳太子が現れてから1300年間、世界で最も国民を守ってきた国なのに、他の国からテロリストや敵と呼ばれるような人が来たとき、何をするか全く考えてこなかった世界の中でも例外の国。

日本国憲法は9条には第3項があり、そこに私達が新しく何をするかが、本来ならば書いてなければいけない。書いてはないがじっと見ていると、あるものが見えてくる。

私達の生命も安全も、アメリカに守ってもらうから自分でやらなくて良い。今まではアメリカに守ってもらってきたから、自分達で考えなかった。しかし、天然痘ウイルスに対してアメリカは何もできない。テロというものについて、爆弾だろうが何だろうがアメリカ軍はできない。イラク戦争を見たら分かりますね。

アメリカ軍は、テロリストについて何もできない。軍服を着ていない、どこの誰だか分からない、対処のしようがないから。アメリカに守ってもらった時代は、良くも悪くも、もうとっくに終わって、自ら守るしかない時代が来ているので、初めて国民保護法を作った時期は、正しい時期だと思う。

もう支離滅裂。「自分たちの身は自分たちで守れ」と説教し、危機を煽りたてているのです。「世界で最も国民を守ってきた国」とは、何を根拠に言うのか。広島・長崎そして沖縄の被害、全国の空襲に対してなすすべもなかったのが真実ではないでしょうか。

2004年5月に行われた岐阜県でのフォーラムでは次のように言っています。

憲法の前文は本当のことを書いていない。憲法の前文に、もし本当のことを書くとしたら、諸国民はそれぞれ自分こそが正しい、信義であると思っている世界である、その世界であってそれぞれの正義、信義がぶつからずに、ぶつかっても平和を維持するのにはどうしたらいいか書いてなければ、平和憲法とは言えないはずである。

「外交努力によって平和を守る」と言っても、59年間自分の国の考え方を主張せず、嫌われないように、攻め込まれないようにしてきたという現実があるだけであり、それを続けてもテロがないとは言えない。

鳥取県のフォーラムの冒頭で青山氏は「ひも付きじゃない」「全くの民間人」「一民間人だが、利益のためにではなく、公共の目的の為に来ている」と、さかんに言い訳をしていますが、政府がいえないことを代弁するのが、どうやら彼の役割(※)のようです。

※『ジョーカー・安保』執筆当時(2010年)、青山氏は独立総合研究所代表取締役社長・兼・主席研究員という肩書きでしたが、2016年に自民党の参議院議員になりました。安倍総理を支える右派論客の一人です。

ジョーカー・安保 もくじ

一、エース・憲法とジョーカー・安保  
二、サンフランシスコ講和条約と安保条約
三、日米軍事同盟の起源 旧安保条約を読む
四、より深くアメリカに従属 新安保条約を読む
五、海外派兵へ道をひらく 旧ガイドライン
六、新ガイドラインと周辺事態法
七、戦争への動員 国民保護法
八、「日米同盟 未来のための変革と再編」

ふたみ伸吾 ほっとらいん

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