ミンミンぜみに騙されるな (2005年)

なかなか届かない持続化給付金。ダミー法人「サービスデザイン推進協議会」を使って電通が受託し、それをさらに丸投げし、利益だけを得る。

経営と暮らしがたちゆかない事業者への給付金が民間企業に食い物にされているのです。

中曽根康弘内閣のときに、国鉄が分割民営化されJRに、電電公社はNTT、専売公社はJTと名前を変え民間企業になりました。

第二段階は小泉純一郎政権のときです。「民でできるものは民を」「民営化すれば万事バラ色」と喧伝し、「構造改革」だと言って郵政民営化をはじめ、さまざまな公務がの丸投げされました。

その行き着いた先が、持続化給付金の電通丸投げ事件なのです。全く効率的でもなく、儲けだけを持っていかれる。民営化の本質は「効率」でも「安上がり」でもなく、企業に利益をもたらす点にあるのです。

2005年の夏の終わり頃に書いた小論を以下に掲載します。


 

もう夏も終わり。セミの鳴き声もめっきり聞こえなくなった。

しかし、政界ミンミンゼミは年がら年中鳴いている。このミンミンゼミ、「官から民へ」「民でできるものは民へ」と鳴く。

「郵政も民、公務も民」だとのたまう。ミンミンというので「みん」なのものになるのかといえば、そうではない。「民」間企業にするということだ。 

郵政についていえば、国民が爪に火をともして貯めた郵貯・簡保350兆円を狙うハゲタカ(アメリカと日本の金融機関)たちにくれてやるのが目的だ。「骨太方針」にもちゃんと「民間金融機関をはじめとする民間部門の活動の場と収益機会の増大」だと書いてある。

アメリカの『ウォールストリート・ジャーナル』も「郵政民営化法案は廃案となったが、これは手取りの時期が少し延びたに過ぎない。ほんの少し待てば、われわれは3兆ドル(350兆円)を手に入れることができる」(2005年8月8日号のインターネット版)と正直だ。

自治体でも、民営化が進められようとしている。広島市が「指定管理者制度などによって民営化しようとしている事業は保育園、児童館、市民交流プラザ、市営住宅、図書館、公園、プール、火葬場、納骨堂…。まさに「ゆりかごから墓場まで」の民営化である。

広島市の広報「市民と市政」は、指定管理者制度の導入の目的をつぎのように述べている。

「この制度は、多様化する住民ニーズに、より効果的・効率的に対応するよう、公の施設の管理に民間の能力も活用しながら、住民サービスの向上・経費の節減などを図ること」。

しかし、公務の民営化も郵政民営化と本当のねらいは一緒である。

『週間東洋経済』(8/20号)は、「官業開放40兆円ビジネスチャンス」という特集を組んでいる。50兆円という説もあり、郵政350兆円とあわせて「400兆円」の儲け先をつくろうということだ(そのもくろみ通りいく保証はないが…)。

公務が民営化されたイギリスはどうなったか。

ガーディアン紙のジャーナリスト、ポリー・トインビーが書いた『ハードワーク』(キツイ仕事という意味)は、次のように書いている。

「政府が本気で「貧困という標的」を射抜きたければ、公立の学校や病院、地方自治体に目を転じるだけでいい。多数の困窮者がお膝元のそんな場所で必死に働いているのだから、彼らの給料を上げることが標的を射抜く大きな助けになるはずだ。賃金と労働条件を締めつければ、机上の計算では生産性が向上するかもしれないが、実際には困窮者がさらに苦しむと同時にサービスの質も低下する」(『ハードワーク』東洋経済)。

要するにビンボー人が増えただけのことである。

民営化すると、競争によっていい企業だけが生き残るといわれている。それはどうか。

「競争入札はうまく働いただろうか。契約を競う企業間の、真の意味の競争は少なくなりつつある。地方自治体の大型契約が扱えるのは、ひと握りの主として多国籍の大企業だけとされるため、ほんの数社が数年ごとに交替しつつ、パイを分けあう形になっている。激烈な競争ならぬ、お上品な椅子取りゲームだ」(同)。

これが民営化の真の姿なのである。それでも、ミンミン鳴かしておきますか。(広島県労学協機関誌「一粒の麦」2005年)

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