原発事故「広域避難計画」の欺瞞性

2022年6月2日、島根県の丸山達也知事は、中国電力島根原発2号機の再稼働に同意すると表明し、避難計画は実効性があるとしました。

避難計画の実態について2018年12月に府中町議会で一般質問し、それをもとに『議会と自治体』2019年5月号に「原発事故『広域避難計画』の欺瞞性」を執筆しました。同誌編集部の許可をえて、下記に掲載します。


はじめに

東京電力福島第1原発事故から8年がたちましたが、いまなお、福島県では4万人を超える人が避難生活を余儀なくされています。

原発はコストもリスクも高く、「核のゴミ」の捨て場もありません。電力は足りていることも多くの人々が知っており、「原発ゼロ」は世論の多数となっています。

原発再稼働は思惑通りに進まず、「原発輸出」はすべて破綻しました。しかし、それでもなお安倍政権は原発再稼働・推進に固執しています。

国は再稼働の「条件」として、原発から半径30キロメートル圏の自治体に「広域避難計画」をつくるよう求めています。事故後、「世界で最も厳しい水準の新規制基準」を定めたけれども、予期せぬ重大事故が起きることも仮定し、その対策の一つとして「計画」をつくるというものです。

「二度と事故は起こらない。もし起きても避難先も確保しているから大丈夫」と、住民の不安を和らげるのがねらいです。

わが町府中町にも出雲市鳶巣(とびす)地区から520世帯1600人が避難してくることになっています。

府中町は周囲を広島市に囲まれ、面積10平方キロメートル、そのうち山林が4.5平方キロメートル、住宅用地はわずか2.4k平方キロメートルです。そこに5万2千人が暮らしています。

こんな狭い町で1600人もの方を受け入れることができるのだろうか。この疑問から出発し、2018年の12月議会の一般質問で取りあげることにしました。

以下は、質問原稿をもとに答弁も踏まえて執筆したものです。

1.島根原発と避難計画

島根県は、中国電力島根原発の事故を想定した「原子力災害に備えた島根県広域避難計画」(以下「広域避難計画」)を2016年3月に公表しました。

島根原発から30キロ圏内の松江、出雲、安来、雲南4市の約39万人の避難先を、島根県内と広島、岡山両県の61市町村に設定、このうち広島、岡山は49市町村に約27万人が避難する想定となっています。広島県の受け入れは松江市、出雲市、雲南市から17万1370人です。離島である大崎上島を除く22市町が受け入れます(表1)

 

「避難先となる自治体からは避難受け入れの了解をいただいた」と計画には書かれています。不幸にして事故が起きた場合、出雲市鳶巣地区から避難してくる方々に、安心して避難生活を送ってもらい、生活再建の手助けをする責任が私たちにはあります。

島根原子力発電所は、島根県松江市鹿島町にあります。かつては「日本で一番都道府県庁所在地に近い原発」と言われていましたが、2005年に鹿島町が松江市と合併し、県庁所在地に立地する唯一の原子力発電所となりました。半径10㎞内に県庁、松江市役所、島根大学、原子力防災センターなど、中枢施設を抱えています。ちなみに島根原発と府中町との距離は135㎞です。

島根原発の概要ですが、1号機は沸騰水型で出力46万kw、1974年3月に運転を開始し2015年4月に廃炉が決まり、営業運転を停止しました。

2号機も沸騰水型炉で出力約82万kw、1989年2月に運転開始しました。プルトニウムを使ったプルサーマル発電開始を予定。福島原発事故後の2012年1月に停止して約7年が経ちます。

3号機は、浜岡原発5号機などと同じ改良沸騰水型炉で出力137万3千kw、2012年3月に運転開始を予定していましたが、まだ稼働しておりません。

昨年(2018年)8月に新たに運転適合審査申請をおこないましたが、規制委員会から申請書の不備を厳しく指摘され、審査が休止しています。

したがって、現在、島根原発は1機も稼働していませんが、昨年の猛暑でも電力供給に不足はなかったのです。「原発はいらない」ということです。にもかかわらず、中国電力は2号機の再稼働と3号機運転開始を実施しようとしています。

原発事故が起きたさいの避難区域は、東京電力福島第一原子力発電所事故の前は、原子力発電所から8~10km圏でした。福島原発事故では、この範囲を超えて避難することが必要になり、さらに放射性物質の影響が広範囲におよび、住民避難が長期化するなど従来の「原子力防災」体制では十分対応できない状況となりました。そこから、原子力規制委員会は原子力災害対策指針を策定し、避難区域を30km圏に拡大。これに伴い、原発事故に係る地域防災計画や避難計画も30km圏の範囲について策定することになったわけです。

30㎞より外であっても決して安全ではありませんが、国としては避難区域を30km圏内と定め、それに従って「広域避難計画」がつくられています。

この避難計画では39万人が自家用車あるいはバスで避難することになります。渋滞を緩和させるために乗り合わせが原則とのことですが、混乱は避けられないでしょう。

出雲市鳶巣地区から府中町まで通常であれば3時間以内に着きます。果たして鳶巣地区の方が被曝することなく安全に府中町までたどり着けるのかということも大きな問題です。しかし、町に対する質問ですので、12月議会では、府中町に到着し避難したという前提で、受け入れがいつ決まり、なぜ1600人なのかということから尋ねました。

受け入れの経緯についての町の答弁は「島根県が広域避難を広島県に要請、広島県から島根県の方に本県受け入れ市町が被災しておらず、受け入れが可能であることを条件として、平成24年11月15日付で了解され、当町も広域避難の受け入れを行うこととした」というものです。

なぜ受け入れは1600人なのかということに対しての答弁は「島根県においては、東京電力福島第一発電所での原子力災害の教訓から、地域コミュニティを維持するという観点から地区単位で避難先を選定」し、府中町は「出雲市 鳶巣地区」が割り当てられ、その地域の人口が1600人だったという説明でした。

2.避難の受け入れについて

つぎに、避難の受け入れ体制について質問しました。

島根県作成の広域避難計画では「円滑な避難受け入れに当たって検討すべき事項」として次のようなものが挙げられています。

○正確な情報の伝達、食料・飲料水等の配布
○避難先に収容されている避難住民に係る情報の早期把握
○避難住民が相互に助け合う自治的な組織が主体的に運営する体制への早期移行
○良好な生活環境を確保すること(健康状態、トイレ、ごみ処理等の状況把握と対策)
○男女のニーズの違いへの配慮、特に女性や子育てに配慮した運営
○外国人への配慮
○家庭動物のためのスペースの確保 等

昨年末、医師や災害の専門家でつくる「避難所・避難生活学会」が国や自治体などに対して、避難所の環境の抜本的な改善を求める提言をまとめました。

NHKニュースは次のように伝えています。

「近年、災害時の避難生活による体調の悪化などで亡くなる《災害関連死》が問題になっていますが、提言では、関連死の主な原因は、不便で不潔なトイレや冷たい食事、床での雑魚寝などといった避難所の環境にあるとしています。こうした状況を改善するため、避難所では快適で十分な数のトイレや温かい食事、それに簡易ベッドを提供することを標準とすべきで、そのためにはトイレ・キッチン・ベッド=《TKB》の準備をふだんから進める必要がある」

トイレ…数が不足していたり汚いと、水や食事を控える人が増え、健康上のリスクを高める。快適で十分な数のトイレを導入することが必要。

キッチン…パンやお握り、弁当など、冷たくて栄養の偏った食事によって被災者が体調を崩し、精神的にも負担になる。温かく、栄養のとれる食事が必要。

ベッド…床から舞うほこりを吸い込みにくくし、衛生的な環境を保てる。床から伝わる冷たさを防いだり、腰掛けることもできる。段ボールベッドなどの簡易的なベッドが必要。

(「NHK NEWS WEB」2018年12月9日)

府中町の避難受け入れ施設は、体育館など3カ所です。とても1600人も収容できそうもありません。そこで、「一人あたり面積はいくらか。十分なトイレの数、温かい食事、簡易ベッドについては、どのような対策を考えているか」と尋ねました。

答弁は驚くべきものでした。

「1人あたり通路等共用部面積を含み2㎡換算として算定した」というのです。この「1人あたり2㎡」という基準は、島根県の方から提示されたもののようです。

通路などを含んで一人あたり畳1枚分しかありません。横になることすらままならないでしょう。簡易ベッドの標準的なサイズは1900㎜×900㎜。これを敷き詰めたら通路すら確保できず、プライバシーを守ることもできません。

要するに1600人が避難してくるとは考えはいない。避難する側の自治体も受け入れる側の自治体も「事故は実際には起きない」という想定の下に形だけの避難計画をつくっている。安全神話の上につくられた避難計画なのです。

 

3.仮設住宅の設置

自然災害、例えば熊本地震の際に避難所生活は最長で7か月も続きました。原発事故の場合は、自然災害と違い、戻ることができません。

地震・津波による避難者も含め、福島県から県外への避難者は2018年11月現在で3万3247人(復興庁調査)となっています。「自主避難者」を含めるとさらに多いでしょう。避難者数のピークは事故から1年後、4月の6万2736人です。半年を過ぎて避難者はなお増え続けています。

避難所での生活をできるだけ短期間で終わらせるために必要なのは、応急仮設住宅の建設です。

内閣府のつくった「応急仮設住宅の概要」には次のように書かれています。

「災害救助法は、非常災害に際して、応急的に必要な救助を行い災害にかかった者の保護の徹底と社会の秩序の保全を図ることを目的としている。災害のため住家が滅失した被災者は、応急的に避難所に避難することとなるが、避難所は、災害直後における混乱時に避難しなければならない者を、一時的に受け入れるためのものであるから、その期間も短期間に限定されるので、これら住家が滅失した被災者のうち、自らの資力では住宅を確保することができない者に対し、簡単な住宅を仮設し一時的な居住の安定を図るものである」。

応急仮設住宅は災害発生の日から20日以内に着工することになっています。供与期間は建築工事完了から2年以内と極めて短い。仮設住宅はプレハブが多く、音が漏れるなどさまざまな問題があります。

昨年7月の豪雨災害では、広島県は、呉市、坂町、三原市に応急仮設住宅を整備しましたが、三原市に整備する応急仮設住宅については、全国木造建設事業協会(全木協)の広島県支部である全木協広島県協会が木造で整備しました。8月2日から工事が始まり、8月31日に広島県に引き渡されました。その後、9月3日から入居が始まっているそうですので、木造でもわずか1か月でできます。

(三原市に建てられた応急仮設住宅)

 

応急仮設であっても、長期間住み続けることのできるものをつくることは、原発避難の場合は極めて重要だと思います。

東日本大震災の応急仮設住宅建設は、談話室、集会所、造成費、追加工事を含む建設コストの1戸あたりの平均で、岩手県が617万円、宮城県が713万円、福島県が689万円となっており、これだけのお金をかけるのですから、「応急仮設」とはいえども長らく住めるもの、県が三原市に作った木造応急仮設のようなものをつくるべきです。

この応急仮設住宅が鳶巣地区からの520世帯分必要になります。

府中町は広島県内で一番、公営住宅が少ない自治体です。そのうえ、冒頭に書いたように極めて町面積が狭く、どう考えても500戸を超す仮設住宅を建てるような場所はありません。そこで次のように尋ねました。

「原発事故の場合は自然災害以上に避難生活が長期化します。すみやかに仮設住宅への入居できるようにしなければなりません。仮設住宅はどこにつくるのでしょうか」
答弁を聞いて私は衝撃を受けました。

「仮設住宅についてですが、当該広域避難は、災害対策基本法第86条の9(※に基づく「広域一時滞在」とするため、避難者の受け入れ期間は最長6ヵ月を想定しております。島根県、出雲市の見解では、半年の期間で仮設住宅の建築が可能と判断されております。なお、町での仮設住宅の建築は想定しておりません」

東京電力福島第一原発と同じような事故が起きれば、島根原発から30㎞圏内のほとんどが帰宅困難地域になります。帰りたくても帰れません。

おそらく松江市の方も出雲市の方も、原発避難がわずか半年の「一時滞在」であり、半年後には、放射能が残留する松江市や出雲市へ戻り、仮設住宅に住むことになるなどとは夢にも思っていないでしょう。事故が起きても広島県や岡山県の市町村が受け入れてくれ、そこで生活再建ができると考えているはずです。

「広域避難計画」は国の指示で島根県や出雲市などが作ったものであり、避難が一時滞在であることは府中町の責任ではありません。しかし、半年過ぎたからあとは知りませんということにはならないでしょう。

(※)第86条の9 前条第一項に規定する場合(市町村長は、当該市町村の地域に係る災害が発生し、被災住民の生命若しくは身体を災害から保護し、又は居住の場所を確保することが困難な場合)において、市町村長は、都道府県知事と協議を行い、被災住民について他の都道府県の区域における一時的な滞在(以下「都道府県外広域一時滞在」という。)の必要があると認めるときは、都道府県知事に対し、当該他の都道府県の知事と当該被災住民の受入れについて協議することを求めることができる。

「福島原発と同様の過酷事故が起きても、半年後には島根県出雲市に帰ることができる、仮設住宅を造り、そこで安心して暮らすことができるとお考えですか」と2回目の質問のなかで再度尋ねましたが、この点についての答弁はありませんでした。

「福島原発と同様の過酷事故が起きても、半年後には島根県出雲市に帰ることができる」と言えば事実と異なり大問題になるし、「帰ることができない」と答えれば立場上困るわけです。原発事故から半年後に出雲市に戻るなどということは狂気の沙汰としか言いようがありません。

ここにも「安全神話」が根強く残っているのです。

「広域避難計画」には「避難住民が避難先から賃貸住宅、仮設住宅等へできるだけ早期に移転できるようにする」「国、島根県、関係4市等が連携をとりながら早期に調整を進め、避難後概ね6ヵ月以内に移転を完了させる」(16頁)と書いてありますが、賃貸住宅、仮設住宅等がどこに建てられ、どこへ移転するのかということは書いてありません。まさか6ヵ月後の移転先が放射能の残留する島根県の関係4市――松江市、出雲市、安来市、雲南市――だとは誰も思っていないでしょう。放射能に汚染されていない安全なところへ避難し、そこで賃貸住宅や仮設住宅に住むことができると、当然思っているはずです。

自然災害なら一時退避して元のところに帰ることができます。しかし、原発事故は違います。戻ることができない。それなのに半年で戻る前提で計画がつくられていることに大変驚きましました。

また、「広域避難計画」が、地震や豪雨災害など自然災害にあったときに適用される災害対策基本法に基づくものだということにも、大きな衝撃を受けたのです。

「原子力災害に備えた広域避難計画」。そもそも原発事故のことを「原子力災害」と呼び、あたかも自然災害と同じであるかのように装い、自然災害のためにつくられた災害対策基本法を原発事故に適用することは間違っています。

 

4.安全な避難は可能か

受け入れ自治体としての質問ですので、目的地までの避難については一言触れるだけでしたが、本稿ではこの点についても述べておきたいと思います。

「原子力災害に備えた島根県広域避難計画 附属資料」(2016年)には、避難ルートが避難先ごとに複数設定されていて、渋滞や道路の寸断があったとしても、いずれかのルートで目的地までたどり着けるような印象を受けます。しかし、実際にはいくつもの障害があります。

避難は、一般住民は自家用車で、それが困難な人は一時集結所からバスで避難先まで行くことになっています。

事故が起きたときが平日の日中だとします。職場まで自動車で通勤しているとは限りません。自家用車のある自宅までどうやってたどり着いたらいいのでしょう。運よく自宅にたどり着いた人は避難の準備をします。二度と戻ることができないかもしれないとなれば、荷物は増えることになるでしょう。

島根原発から半径4~7㎞の住民対象に行ったアンケート調査(2011年6月~7月実施。配布数1000票、回収率40.4%)によれば、「20㎞県外へ避難するための準備時間」は1時間以内が39%、2時間以内が28%、3時間以内が10%、半日以内が18%、それ以上5%となっています(松江高専・岩佐卓也ほか「住民意識調査を利用した島根原発事故時の避難シミュレーション」土木学会HP、2012年9月)。

学校や保育園などに子どもがいれば、迎えにいきます。避難を始める人もいます。市街地は混乱し、渋滞が起こるでしょう。事故はある日突然起きますので、ガソリンなど燃料が十分入っていない場合もあります。ガソリンスタンドでも渋滞が生じます。給油できず、自家用車での避難をあきらめる人も出るでしょう。

東京電力福島第1原発事故のとき、富岡町から隣接の川内村役場まで避難するのに、通常であれば20分ほどの道が5時間かかったといいます(上岡直見『原発避難計画の検証』合同出版)。原因は、もちろん渋滞です。自動車がいっせいに動き出せば首都圏の帰省ラッシュ時以上の混雑になり、自動車は数珠つなぎです。

避難が必要なのは健康な人ばかりではありません。高齢者や重い障害をもった人たちはどうするのか。塩川鉄也議員は衆院環境委員会で、日本原子力発電が再稼働をめざす東海第2原発(茨城県東海村)の避難計画の問題点を追及しました(2017年3月17日)。

「高齢者180人が入所をする常陸東海園というところが東海第二原発からわずか3キロのところにあるそうです。東日本大震災で特養ホームのスプリンクラーが壊れ、一棟が水浸しになる。停電でエレベーターが動かず、歩けない入所者を職員が一人ひとり抱えて階段を移動した。停電と断水が続く中で、何とか3日間を乗り切った。入所者は、104歳の3人を最高に、90歳以上が3分の1を占めている。寝たきりの人は乗用車なら一人しか乗せられない。東海第二原発で福島と同じような事故が起きれば全員の避難は不可能だ、しかし、逃げる順番を決めることはできない、こういう声があるわけです」

塩川議員は繰り返し、高齢者や障害者の避難が本当に可能なのか、現実的なのかと迫りますが、政府は検討を重ねているというだけで、答えようとしません。
渋滞を避けるために自動車は乗り合わせを原則とするということになっています。しかし、自動車にも定員があり、2家族が一緒に乗って避難することは実際には不可能でしょう。先ほど述べたように避難の準備時間もまちまちです。

自家用車で避難できない人たちに対して自治体がバス等を手配することになっています。

表2は上岡直見氏による「バス輸送能力の推定」(上岡、前掲書)です。登録されているバスの30%がただちに利用可能であり、各車両に平均15人が乗車するとして乗車可能人数を推計しています。事故が起きたからといって全てのバスが都合よく集合場所へ行き着けるわけではなく、満席になる集合場所ばかりではないからです。

島根原発の場合、登録されているバス1146台、乗車可能人数5157人に対して、それを利用する可能性がある人たち(自家用車利用困難者数)は68,000人もいます。100人のうち7人か8人しかバスに乗れません。しかも、バスはすぐには来ないのです。

全国の原発でも状況は大きく変わりません。福島県浪江町では、バス登録台数は103台でしたが、実際には数台しか手配できませんでした(上岡、前掲書)。北海道電力泊原発が事故を起こした際、原発5キロ圏の予防防護措置区域だけで延べ63台以上のバス輸送が必要ですが、道央のバス会社6社のうち2社が「できない」、4社が「難しい」と答えています(「北海道新聞」2018年7月29日)。

原発事故は単独で起こるとは限りません。

福島原発事故がそうであったように、津波や地震、噴火などと一体に起こる可能性があります。その場合、鉄道では避難できないでしょう。

降雪時の避難も困難を極めます。新潟県柏崎市は1月28日夜、夜間の降雪時に東京電力柏崎刈羽原発の事故で避難することを想定し、避難経路を点検。夜の雪道での避難を「非現実的」だと判断しました(「新潟日報」2019年1月29日付け)。

愛媛県の伊方原発は四国の北西から九州方面に延びる佐田岬半島(長さ約四十キロ、最大幅約六キロ)にあり、険しい山で囲まれています。その地理的条件から避難がとりわけ困難だと言われています。事故が起きれば原発が半島をふさぎ、陸路で東側に逃げることは事実上不可能です(「東京新聞」2015年5月21日付け)。

鹿児島県は今年3月、川内原発から5㎞県内の住民が避難完了するまでに60時間余りかかる可能性があると公表しました。

以上のように原発事故避難には幾多の障害・困難があり、放射線による住民の被曝を最小限にくい止めながら比較的安全な土地にたどり着くことすら、相当難しいのです。

 

5.わが町も安全ではない

冒頭に触れたように、島根原発と府中町の距離は135㎞です。

茨城県水戸市は福島第一原発から127㎞で、2011年3月15日の時点で、セシウム134とセシウム137は400ベクレル以上を示しています(※)。栃木県宇都宮市は距離140㎞ですが、同じく200ベクレル以上です。子どもの健康被害があらわれるのは50ベクレルと言われています。135㎞という距離は決して安全ではないのです。(みんなのデータサイト編『放射能測定マップ+読み解き集』)

※「東日本土壌ベクレルプロジェクト」が2014年から2017年までの3年をかけて採取した土壌のセシウム134+セシウム137を分析し、その合算値を事故直後(2011年3月15日)の値に補正計算したもの。

長年、瀬戸内海の環境汚染問題に取り組んできた湯浅一郎氏は、島根原発で福島のような事故が起きたらどのようなことになるのか、次のように述べています。

「事故時の気象条件に対応して、山間部などに沿って高濃度の汚染地帯ができる。一旦、落ち着いた分布も、雨に溶け、風により輸送されることで、その分布は変化する。その過程で、河川や湖沼を汚染しつつ、最終的には海に流入する。アユ、ヤマメ、イワナ、ウグイ、ウナギなど内水面漁業の出荷停止や操業自粛は、島根県、鳥取県をはじめ広島県、岡山県など中四国、関西、九州の広域に及ぶ可能性が大きい。例えば中国山脈にそって東西に高濃度の地帯ができれば、雨に溶け、風に運ばれて、結果として日本海、瀬戸内海が汚染される。水源地が汚染されれば、市民の飲み水が危機に瀕する。これらは、ひとえに事故発生時の気象条件に左右される。(湯浅一郎『原発再稼働と海』緑風出版、105ページ)

 

島根原発事故が起きれば中国山地は間違いなく放射能によって汚染されます。中国山地に降った雨は放射能を含んで太田川を流れ、私たちの飲み水となり、瀬戸内海へと注ぎ込みます。瀬戸内海は閉鎖性海域ですので、いったん汚染されれば外海へはなかなか出て行きません。瀬戸内の魚も牡蠣も食べることができなくなるでしょう。島根原発が事故を起こせば、府中町も決して安全ではない。

瀬戸内海の向こう、愛媛県の伊方町には伊方原発があり、3号機が10月27日再稼働しました。伊方原発との距離は102㎞、遮るものはありません。伊方原発で事故が起きればひとたまりもないでしょう。

自然災害は被害を小さくすることはできても、地震や豪雨をなくすことはできません。しかし、原発は違います。島根原発は2012年1月に2号機が停止して約7年が経ちますが、その間、電力供給が逼迫したことは一度もありません。しかも電力需要は年々減っています(図)。原発がなければ原発事故も起きず、避難計画も不要です。避難などしなくていいように、原発を廃炉にしなければなりません。

府中町は全国に先がけ、1982年3月25日に町と町議会が非核町宣言をしています。

「原爆によって広島市とともに世界で最初に凄惨な被害を被った府中町は、戦争放棄の日本国憲法の原理に基づき、恒久の平和を念願し、全世界の国民が平和に共存することを望むものである。全人類が絶滅の危機に立たされている現在、非核三原則の堅持とともに、あらゆる国の核兵器の使用に反対し、安全で住みよい街づくり実現のため、ここに全住民と共に府中町を《非核地域》とすることを宣言する」

この当時は、非核の「核」は核兵器を意味していたと思います。しかし今日、安全で住みよい街づくりを実現するためには、核兵器の使用とともに核発電すなわち原子力発電をなくすことが必要です。それが2011年3月11日に起きた東京電力福島第一原発事故の最大の教訓だと思います。

最後に、町長に対して次のように質問しました。

「安全で住みよい府中町にするためには、原発をなくし、廃炉にすることが必要ではないでしょうか。中国電力や国に対して島根原発第2号機の再稼働と第3号機の運転開始の中止、両機の廃炉を町として要請するおつもりはございませんか」

町長の答弁は、たった一言。

「中国電力にそういうことを求めるつもりはありません」。

               * * *

「万が一、原発事故が起こったら」という想定で作られているはずの避難計画。しかし、これまで見てきたとおり、避難の受け入れ体制、避難後の住宅、避難そのもの、いずれもが、「安全神話」を土台にした欺瞞的な偽装「避難計画」です。

本稿の元となった私の一般質問は、反原発活動家のメーリングリストなどで流され、読まれていると聞きました。あまりにもお粗末な避難受入れの実態に驚きと怒りが広がっているようです。そして、「全国各地の共産党議員にこの問題を議会でぜひ取りあげて欲しい」という声が寄せられています。本誌読者のみなさんがこの期待に応えて下さるようお願いして稿を閉じます。

 

 

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