古代の「非戦」をいまに生かす日本国憲法
中国のテレビドラマ「孔子春秋」(2011年、全38話)を観ていたら、老子(李耳)が孔子に次のように平和の大切さを説いていました。
軍馬は華山に放牧し、軍の食糧を運ぶ牛を野原に放す。
戦車と鎧には覆いを被せ、二度と使わぬ
矛や盾などの武器は 溶かして農具を作る
亡くなった人を慰め 生きる者に告げる
これからの世の中には戦がない。
おお、すごいではないか。非戦の思想です。日本国憲法や国連憲章の源流の一つかもしれない。しかし、「矛や盾などの武器は 溶かして農具を作る」というのはイザヤ書(旧約聖書)の「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」と酷似しています。このセリフ、史実なのかそうでないのか。
調べてみると、最初の一行は中国の古典『書経』の「武成」にありました。
乃偃武秀文 帰馬于華山之陽 放牛于桃林之陽 示天下弗服
「武器はしまって、武力ではなく理性の力で政治をおこなう。馬を崋山の南におくり、牛を桃林の野に放って、もういくさには使わないことを天下に示した」
この故事は「帰馬放牛」という四字熟語となっています。脚本家は、この「帰馬放牛」を元に、それを膨らませて老子に語らせたようです。
戦のない世の中は、いにしえの時代から人々の願いです
20世紀になって戦争の規模と被害が格段に大きくなりました。パリ不戦条約、国際連盟と戦争を防ぐ努力が始まりましたが、第一次世界大戦、第二次政界大戦と、「二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害」(「国連憲章」前文)を経験。
第2次世界大戦の最終盤、1945年8月6日、広島の上空で原爆が爆発し、9日には長崎で爆発。夥しい人が亡くなり、かろうじて生き残った人たちは75年経っても被害にさいなまれています。
この原爆の惨禍は、「非戦」を単なる理想から、理想であるとともに現実的なものとして意識させることになりました。
戦争がここまで来てしまったら、もうやめる以外にないではないか。戦争をなくすためには武器をなくすしかないではないか。
そうして生まれたのが日本国憲法第9条です。
日本国憲法はまた、「平和に生きる権利」を提唱しています。戦争のない平和のもとで、人々が自由に、豊かに生きる社会=世界。
町政は主として身近な暮らし問題を扱います。よりよい暮らしをどう実現するのか。国から持ち込まれる悪政をどうくい止めるのか。
町会議員としてその役割を引き続き担っていきたいと思います。そのためにも9月13日投票の町会議員選挙で当選しなければなりません。
また、よりよい暮らしの土台は平和です。いくさが起きれば自由も奪われ、「欲しがりません勝つまでは」と耐乏生活を強いられます。
身近な暮らしをよりよくするためにも平和を。「平和とよりよい生活」をともに追求していきたい。
日本国憲法の指し示す、平和で自由で豊かな社会をめざして、引き続き努力していきたいと思います。
2020年8月6日 米軍による原爆投下から75年の「原爆の日」
57歳の誕生日に
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