世界の人びとを直接信頼し、そこから平和をつくろう
5月3日は日本国憲法が施行されてから75年です。
日本がアジアで2000万もの人々を殺し、日本人もまた340万もの犠牲者を出したアジア太平洋戦争に対する反省、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」という決意のもとに日本国憲法はつくられました。
ロシアによるウクライナ侵略が起き、日本国憲法や第9条が無力ではないかという意見もあるようです。しかし、そうではありません。これまで世界各地で戦争が起きましたが、日本は75年間、戦争をしなかった。これがなにより大きな事実です。
そうはいってもこれからは不安だ、という人もいらっしゃるかもしれません。
実は平和のつくりかたについても憲法はちゃんと書いています。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは、人と人とのつながりのなかにある理想。それは、助け合い、支え合って人間は生きてきたということではないでしょうか。
人間が支え合って生きている、という事実に裏打ちされた、人間としての理想を深く自覚し、心にきざむ。このことを前提にし、平和をどのように創るのか、憲法はとても大胆な提起をしています。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
1945年までの「平和のつくり方」は、どうだったか?
今の日本の政府の考えていることと同じ。強い武器を持ち、相手に負けないような国になって、攻められないようにする。「武力による平和」という考え方で、今なお世界に残っています。
日本国憲法はこの考え方に異議を唱えました。武力で平和は守れるのか、強い武器を持っていたら攻められないのか、戦争は起こらないのか。
日本は、富国強兵――国を豊かにして強い軍隊を持ち、強い国になることをめざした。強い国になってどうなったか。日清戦争、日露戦争、そして満州事変から15年にわたるアジア太平洋戦争と戦争の連続です。沖縄戦や全国各地で空襲があり、広島と長崎には原爆が落とされ、戦争は終わりました。
「強い国」ニッポンは人々のいのちと暮らしを守ることができなかった。「武力による平和」は大失敗。この苦い経験が新しい考えを生み出しました。
それが「平和を愛する諸国民」、世界の人びとを直接信頼し、そこから平和をつくろうという提起です。政府や政治家ではなく、それぞれの国で生きている人びとを信頼しようと決意したのです。
あの大戦で世界の多くの人びとが「もう戦争はごめんだ」と考えている。これまでの戦争で人びとは苦しめられ、命を奪われてきたからです。人びとは平和を強く望んでいる。
だから、そういう普通に暮らしている人びとを信頼し、その人たちに働きかけて平和を創ろうというのが憲法の考えなのです。
しかし、日本政府はそういう努力をせず、まったく反対の道を歩んできました。そして、いよいよ、攻撃されてもいないのに、こちらから攻撃できるようにすること、これを先制攻撃といいますが、先制攻撃の準備まで始めました。
自民党は、先制攻撃の対象に「指揮統制機能等」も含むと言います。攻撃目標が政権中枢――日本でいえば総理官邸や防衛省本省などに際限なく拡がってゆく。
安倍元総理にいたっては相手の国を殲滅(せんめつ)――皆殺しにする能力が抑止力だという。自民党のなかからはアメリカと核兵器を共有すべきとの声も出ています。
防衛予算はGDPの2%以上にしたい。そうなれば、10兆円以上となって、アメリカ、中国につぐ3番目の軍事大国となります。
まさにいつか来た道、戦争への道を走っているのが安倍、菅、そして岸田政権です。
この流れを変え、憲法9条を生かした外交で平和な国際環境をつくり出すことに力を尽くす時です。
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