府中町長選 出発式 ふたみ伸吾の訴え (原稿)
以下は、府中町長選初日の出発式の私の発言原稿です。実際に話した内容は動画をご覧下さい。
◆お集まりのみなさん
二三四五、ふたみしんご、府中町長候補のふたみ伸吾です。
本日はたくさんの方にお集まりいただき、ありがとうございます。これまでの様々なご支援にも篤く感謝いたします。
さて今日からいよいよ選挙本番です。
この選挙で何が問われるのか。
それはもちろん、府中町をこれから、どのように発展させていくのか、ということであります。
「ふちゅう ふるさと ふたみしんご プラン2024」が私の政策、提言で、これまでも街頭やリーフレットでみなさんに訴えてきました。
この提言は、
(1)災害に強いまち、
(2)教育と子育てを応援するまち、
(3)福祉とくらしを大切にするまち、
(4)環境にやさしいまち、
(5)文化活動とスポーツを応援し、歴史に学ぶまち、
という5つの柱からできています。
「誇り高き自治のまち 府中町をさらに前へ」進めるための計画です。
◆みなさん
府中町は、「住みよいまち」「住みたいまち」だと多くの方から評価されています。
その理由の一つは、府中町がとても便利な町だからです。広島市中心部に近く、町内のどこからでも市内に通勤、通学できます。スーパーも多く、買物にも不自由しません。どこに住んでも小学校がすぐ近くにある。
こういう利便性の高さが、府中町の発展の土台にあります。
しかし、それだけではありません。
府中町は県内で独自の歴史があります。府中町は、1972年から88年まで4期16年、新しい町をつくろうと政党では社会党と共産党が力をあわせて、山田機平氏が町長となり「民主町政」が進められました。
70年代に全国では200を超す革新自治体が誕生しましたが、広島県内では府中町が唯一でした。
非核町宣言や乳幼児の医療費無料化など「福祉の進んだ町」「住むなら府中町」と言われる町づくりが進んだのがこのときです。
2000年代初頭には市町村合併が推し進められ、全国では3250あった市町村は1700にまで減りました。広島県は全国トップで86市町村が23市町となり、実に7割の自治体が消滅したのです。
多くの自治体が「バスに乗り遅れるな」と合併へ突き進みましたが、府中町は、住民投票でも町長選挙でも合併、合併派を退けました。
この勝利は、保守的な立場の方々のグループと革新的なグループが「あうんの呼吸」で力をあわせ、つかみとったもので、きょう、私が無所属でこの場に立っている、原点、根拠なのです。
さて、合併の動きから20年が経ちました。県内はもちろん全国で合併してよかったというところは一つもありません。
あのとき、国や県のいいなりになっていたら、府中町は広島市の一部になり、今日のような発展はなかったでしょう。
国や県のいいなりにならず、自分たちで町の進路を決めてきた。だからこそ、今がある。
私はこのような歴史がある「誇り高き自治のまち」府中町をさらに前へ進めたい。
この選挙、誰がなっても同じではありません。私、ふたみ伸吾、なんとしても勝たせて下さい。よりよいまちを創ります。
頑張りますので、みなさんの引き続くご支援、よろしくお願いいたします。
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