ハタチの頃

ハタチの頃

●お尋ね者になる

法政大学には、「中核派」という暴力集団が巣くっていました。学生自治会を名のり、ストライキなどと称して授業や試験を破壊する。「革マル派」という対立するセクトと殺し合いもする正真正銘の暴力団。法政大学でも暴力を振るわれた人は数知れず。ある先輩は頭蓋骨が陥没し、障がい者となってしまいました。

先輩たちの果敢な運動によって、わたしたちの頃には直接暴力を振るわれることはなかったのですが、似顔絵入りの指名手配ビラが配られ、授業へ行くことを妨害されました。

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「中核派」は学生自治会を名乗っていましたが自治会としての実態はなく、大学7年生とか8年生、学外者もいたようです。どう見ても学生には見えない。経済学部に行けば「経済学部自治会の○○です」、法学部に行けば「法学部自治会の○○です」という。そういうデタラメをやめさせるために、「学生証を見せよう」というキャンペーンをはりました。

そして、本当の学生自治会をつくるために「クラス代表」を選び、その連絡会づくりに取り組んだのです。そんなことから、わたしはターゲットになり、校門をくぐると「中核派」の数十人に取り囲まれ、授業へ出ることを阻止される日々。ベルトを掴まれ、無意味な論争をふっかけられる。ベルトを掴まれると動けないんですね。大学へ行っても授業が受けられないことが分かっていても行く。正直しんどかったですが、大学へ行くことが「たたかい」だと思って行きました。

●仲間を信じること

忘れられないことがあります。

その日も校舎の1階で「中核派」につかまってしまいました。学生たちは遠巻きにわたしたちのことを見ています。どのくらいたった頃だったでしょうか。クラスメイトが「二見、こっちに来い」と叫んで手を差しのべてくれたのです。「中核派」はひるみ、ベルトから手が離れました。そして、わたしは彼の方に走り、手をつかんだのです。

もちろん「中核派」は逃がすまいと追いかけてこようとしました。しかし、わたしたちが通ったあと、その隙間はすっと閉じられました。見ず知らずの学生たちが人垣をつくって彼らを通さなかったのです。校門から出て、おいおいと泣きました。怖かったからではありません。学生たちの勇敢な行動に感動したのです。

彼らは一見無関心を装っているけれども、ちゃんと見ている、支えてくれる。「仲間を信じる」ということの意味がすとんと落ちた瞬間でした。

法政歴史科学研究会合宿。テニスはまったくダメ。

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