マルクスと私たち

今年はマルクス生誕200周年。11月24日、かつて事務局長をしていた広島県労働者学習協議会に招かれ、「マルクスと私たち」というタイトルで2時間しゃべり倒しました。

以下はそのイントロダクション。講演全体をいずれ原稿にする予定です。


(本当に発行された0ユーロ紙幣)

●はじめに

今年、2018年はマルクス生誕200周年です。広島でもこのようにマルクスの生誕を祝う学習会がもたれ、その講師を務めることができて光栄です。

マルクスは1818年5月5日、今のドイツ、当時はプロイセンという国のライン州トリーアで生まれました。1818年といえば、日本は江戸時代で伊能忠敬が死んだ年です。いま、官邸主導で明治150年というキャンペーンが張られていますが、明治維新まであと50年という年にマルクスは生まれ、1883(明治16年)。自由民権運動が盛りあがったあたりで亡くなっています。

西郷どん(西郷隆盛)が1828年生まれで1877年に西南戦争で敗北し自刃。ほぼ同じ頃に生きていたんですね。ですから、日本ではマルクスが生まれた1818年は資本主義以前の封建制社会で、亡くなった1883年にはまだ資本主義社会の準備中。明治維新を経て日本は資本主義社会へ突入していったわけですが、ヨーロッパでは16世紀に資本主義社会が形づくられ、200年以上にわたって発展していました。

日本で資本主義社会が成立したのは、日清戦争と日露戦争の間、すなわち20世紀のはじめです。当時のヨーロッパと日本ではそれだけ違っていたということも知っておいて下さい。

今年は、生誕200周年ですが、マルクスには他にも祝われてきた記念日があります。

一つは「没後」で私の学生時代、1983年が「マルクス没後100周年」でした。

レーニンの「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」はボルシェビキの機関誌『啓蒙』の没後30周年号(1913年)に掲載された論考です。

もう一つは今日のテーマである『資本論』(第1部)の発刊記念で、1967年に発刊100年が祝われ、2017年は150年でした。

50年刻みですと、あと25年でマルクス没後150年がやってきます。私も生きていれば80歳。『資本論』発刊200年(2067年)、生誕250年(2068年)に立ち会うことはちょっと難しいでしょうね。

『共産党宣言』(1848年)も記念されてきたのではないかと思います。こちらも今年刊行170年にあたります。「赤旗」(10月11日)に不破哲三さんの「『共産党宣言』170周年を記念する『中国社会科学報』への回答」が載りました。変わったところでは、「文春オンライン」が「ご存知ですか? 2月21日はマルクス・エンゲルス著『共産党宣言』が出版された日です」という記事があります。

生誕、没後、『資本論』、『共産党宣言』と100年を超えてなお記念日が祝されているというのもマルクスならでは。その影響力の大きさによるものだと思います。

さて、今日の演題を「『資本論』と私たち」というタイトルにしました。

「私たち」というのは、20世紀を生き、21世紀前半を引き続き生きている「私たち」を想定しています。『資本論』に限らず古典と呼ばれる著作は、読み手の置かれている状況や問題関心によって様々なことに答えてくれます。

現代を生きる私たちにとって『資本論』が何を提起しているのか。今日はいくつかのテーマを選んで、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。


1.私と「資本論」

2.戦後日本社会で役に立った「資本論」

3.労働時間の理論

4.大工業論と未来社会論

5.頭脳を研ぎ澄ます

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