いつか笑える日がくるさ 石川康宏(神戸女学院大学教授)

二見さんとは15年来の友人です。

はじめて会ったのは、広島で行われた「はたらく女性のつどい」(タイトルはちがったかも)で講演をさせてもらった後の、懇親会の席だったように思います。

あの頃も、やはりからだは丸かったけど、それを無理やり折り曲げて、座布団に正座して待ってくれていたのをぼんやり覚えています。

二見さんは、広島県労働者学習協議会事務局長で、ぼくが40すぎ、二見さんが30台半ばと、お互いまだ髪は真っ黒な頃でした。

その後、二見さんのお眼鏡にかなってか、何度か広島での講演に招いていただき、そのたびに飲んで、しゃべって、ああこの人は見かけによらず理論肌なんだなとか(失礼)、見かけによらず繊細なんだなとか(失礼)、勝手にいろんな発見をしていたものでした。

しかし、互いの距離が縮まったのは、むしろ、二見さんの生活が、病気で崩れてしまってからのことでしたよね。活躍の場を東京の労働者教育協会にうつしてから、二見さんは体をこわしてしまいました。

ぼくは、そのことを、しばらく知らずにいましたが、あれは松竹伸幸さん(現かもがわ出版編集長)でしたか、「はげましの会をしよう」とそんな事情を伝えてくれたのです。

それがきっかけで、ぼくの仕事が広島であったり、広島で途中下車ができる時には、そこで飲んだり、しゃべったり。

二見さんが関西に来たり、関西によることができる時には、西宮や神戸で飲んだり、しゃべったり。そんな不定期の二人飲みがはじまりました。

これといった用事は何もないけれど、飲んで、しゃべって、いっしょにいて、と。

多分、仕事や家庭、健康や気持など、ちょっと重たい話ばかりをサカナにして、年に一度くらいの割合で。

2年前には、ゼミの学生の広島学習ツアーをセッティングしてもらったこともありました。その話は、ゼミ編『21歳が見たフクシマとヒロシマ』(新日本出版社)にも書いてあります。

ちょっと重たい二人飲みの会に、転機が訪れたのは、今年(2016年)2月のことでした。

福岡からの帰りに途中下車した広島に、二見さんは大きな2つの「報告」をもって待っていました。

ひとつはプライベートでの大変化、そして、もう一つがこの府中町の町議会議員選挙に挑戦するというお話でした。

その日の飲み会は終始明るく、二見さんの人生が、ひさしぶりに前に大きく転がるようで、ぼくにも嬉しい時間となりました。

もちろん、苦労はまだまだあるでしょう。しかし「ふふふの家族」や「ふふふの仲間」の力もしっかり借りて、さらに前に、希望をもって進んでほしいと思います。

府中町のみなさん

二見伸吾は、あれこれ口が達者なだけ、理屈が達者なだけという、うわっつらだけの人間ではありません。

いろんな苦労や痛みを、自分のからだで味わってきた体験をもつ人間です。まじめで、人のつらさや苦労がわかる人間です。

「町のため」ではなく、町にくらす一人ひとりの「あなたのため」に、親身になってはたらくことのできる人間です。
議会で、大いにはたらかせてやってください。

ご支援を、よろしくお願いします。

二見さん、今後とも楽しい飲みをつづけていきましょう。

石川康宏

石川康宏(神戸女学院大学教授)

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