悟性のみにても何事かなしうるが… 芝田進午先生没後20周年

 

 

2023年11月12日、東京新宿区にある東京信愛教会で開かれた、芝田進午先生の没後20周年記念のつどいに参加しました。

前半は、本間照光さん(青山学院大学名誉教授)から挨拶があったのち、先生が関わってきた様々な運動にともに取り組んできた方たちの報告です。
後半は、録音した講義「ヘーゲルから学ぶ」を聞きました。
『実践的唯物論の根本問題』(青木書店)所収の「ヘーゲルと社会科学の問題」をテキストに、ヘーゲルの方法論について論じています。
線を引き、メモしながら聴講しました。
講義の最後に、「テキストにはありませんが、ヘーゲルの大切な言葉を紹介しますので書き留めて下さい。悟性のみにても何事かなしうるが、理性のみにては何事もなしえない」
ここまで来て思い出しました。この講義を私はナマで聴いている。

芝田先生の自宅で月1回開かれていた「日曜セミナー」での講義で、30年以上も前のことです。
悟性は西周によるVerstandの訳語で、意味がわかりにくい。英語だとUnderstandingだから知性と訳す方が良いという人もいます。
悟性、理性とはいかなるものか。
悟性とは分ける=分かる力のことで、理性は、悟性によって分けたものを、総合する推理する力を意味しています。
きちんと分析(分割、分類)したものは、それだけで役に立つが、それをしないで推理したってろくなものにならない、ということですね。
このヘーゲルの言葉、若き日のノートに書いてあったということでしたが、おそらくカントの『純粋理性批判』からヘーゲルが学んだことのエッセンスなのでしょう。
交流会では私も発言。
「人生を変えた出会い」の一部を話し、もし芝田先生が生きていたら「あなたはせっかく町会議員になったのだから地方自治と府中町政について研究しなさい」と言って励ましてくれたと思う。常にそのことを心がけ実践している、と締めくくりました。

 

 

 

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