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2026-04-14

マルクス没後100年――不破哲三さんと私 4

「科学と革命」が掲載された『経済』1983年3月号と『マルクス、エンゲルス百年』(1996年)

不破さんの講義を受ける

法政大学に入学した1982年はマルクス没後100年でもありました。

その年の暮れ、「不破さんが講師の学習会があるが参加するか」と先輩から声をかけられました。もちろん「いく!」と即答しました。

会場は当時の民主青年会館最上階にある会議室です。

講演のタイトルは「マルクスにおける革命と科学 没後100周年にさいして」(以下「科学と革命」)です。

参加者は100人ぐらいで、会議室一杯学生党員が参加。かなりぜいたくな学習会でした。私は前から2番目か3番目の席に座りました。

この講演は翌年の雑誌『経済』1983年3月号~5月号に連載され、『現代に生きるマルクス』(1984年、新日本出版社)、『マルクス、エンゲルス百年』(1996年、同。以下『百年』)に、収録されています。

科学と革命

「科学と革命」の主題は、「革命家であり同時に科学者であったマルクスにおいて、革命と科学とがどのようにむすびつけられていたのか、マルクスは革命家として科学と学問の問題にどういう態度をとったのか」*1)です。

「革命と科学」の前半は、マルクスの生涯と活動を6つの時期に区分してふり返り。理論的業績と革命的実践における業績の特徴、そしてエンゲルスの果たした役割を略述しています。

後半は、「革命家であり理論家であったマルクスにおいて、科学と革命的実践が、どういう関係にあったのか」について、3つの特徴をあげています。

理論は解放の頭脳

第一に、マルクスにとって理論は「解放の頭脳」(「ヘーゲル法哲学批判 序説」)であること。 

不破さんは、マルクスの理論と革命との関係について次のように述べます。

「マルクスは、経済学を完成して、それから革命家になり、社会主義者になったわけではなく、まず革命的な共産主義の立場に到達し、その共産主義を科学的に基礎づけられた真に強力な確固としたものにするために、そういう目的意識から経済学の完成という仕事にうちこんだのです。つまり、マルクスは革命家として『資本論』を仕上げ、社会や経済についての科学的な理論をきたえていったのであって、その理論と実践は、マルクスにおいて文字どおり不可分の関係にありました」*2)

不破さんは、マルクスのこうした立場を示す言葉を2つ紹介しています。

一つは「この解放の頭脳は哲学であり、その心臓はプロレタリアートである」という「ヘーゲル法哲学批判 序説」(1844年)にある文言です*3)。不破さんも指摘していますが、ここでの「哲学」は狭い意味でなく、理論一般、社会科学ということだと思います。

もう一つは、「これまでのあらゆる唯物論 (フォイエルバッハのをもふくめて)の主要欠陥は対象、現実、感性がただ客体の、または観照の形式のもとでのみとらえられて、感性的人間的な活動、実践として、主体的にとらえられないことである」「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることである」というフォイエルバッハテーゼです。

根本的に「事につうじる努力」

第二に、根本的に「事につうじる努力」*4)(エンゲルスからエルンストへの手紙)が大切だということ。
 
「理論が革命的実践と不可分だということは、理論を実践上の必要や都合にただあわせればよいということではありません。理論が革命的実践と不可分だというと、なにか当面の政治的利益を優先させて、真理からはなれることではないかと心配する人もいますが、これはとんでもない誤解です」*5)

「真理性を徹底的に追求して、客観的現実により正確に、より全面的にせまればせまるほど、われおれの運動はその基礎を確固としたものとするのだし、真理からはなれるならば、結局は運動も失敗に帰せざるをえないのであります」*6)

だから、「どんな理論も、徹底的に真理を追究することなしに『解放の頭脳』としての資格を持つことはできない」。
 
運動の前進・発展のためには、事実を詳細にわがものにするという理論的な「実践」が必要だと不破さんは言うのです。

不断の探求と前進 

第三に、マルクスは「自分の到達した見地に安住することはけっしてせず、その生涯を終える最後の時期までどん欲に研究を続け、理論を前進させ認識をより深くより全面的に発展させるための努力を惜しまなかった」*7)ことです。

その実例としてあげたのが『資本論』成立の歴史です。マルクスは何度も草稿を書き、新たな認識にたどり着くとまた書き改めるということを繰り返して1867年に『資本論』第1部が完成しました。その後も第2部、第3部、第4部(『剰余価値学説史』)完成のために、病に冒されながらも努力を続けたわけです。

マルクスの精神でマルクスを読む

理論と実践における3つの基本姿勢は、私たちがマルクスを読むうえでの基本姿勢に通じると不破さんは言います。

マルクスが生きた1840年代~1880年代とこの「科学と革命」の講演があった没後100年の1982年の世界は大きく違い、ましてやそこからさらに40年を経た今、2020年代中盤はさらに大きく変化しています。

マルクスの命題を金科玉条とするのではなく、事実を探求し、さらに発展させるように努力を続けることが大切なのです。

私は不破さんに質問した

以上が「科学と革命」の私なりのダイジェストです。

1982年の講演会では、質疑の時間があったので、「人民的議会主義の路線と田添鉄二*8)の議会政策論との関連はどうか」と質問しました。

不破さんの答えは、「以前の伝統というよりも、戦後の日本共産党の歴史のなかでとらえてほしい」というものであったと記憶しています。


*1)『マルクス、エンゲルス百年』130頁。
*2)『百年』162頁。
*3)『全集』1巻428頁。『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫96頁。『ヘーゲル法哲学批判序論他』国民文庫351頁。ほか
*4)『全集』37巻363頁。
*5)『百年』173頁。
*6)同174頁。
*7)同189頁。
*8)田添鉄二(1875-1908)明治時代の社会主義者。日本社会党創立に参加。直接行動論に対して議会政策論を展開した。岡本宏著『田添鉄二』(岩波新書)参照。

不破哲三さんと私 その1 科学的社会主義

不破哲三さんと私 その2 大学移転と「政策」

不破哲三さんと私 その3 暴力とのたたかいのなかで


第16回党大会(1982年)で報告する不破さん

ふたみ伸吾 ほっとらいん

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