toggle
2021-10-22

「選挙に行こう!」 第1章 選挙とは何か

 

以下の原稿は、広厚労吉田支部での講義(2021年10月21日)をもとに執筆したものです。


もくじ
1.選挙とは何か PDFはこちら
2. 社会保障改悪の40年

3.社会保障改悪 3つの理由=デマ
4.政治を変えれば社会保障はよくなる

1. 選挙とは何か

「この国のかたち」  日本国憲法から 

総選挙が始まりました。19日公示、31日投開票です。今日の講演タイトルは「選挙に行こう!」です。そもそも「選挙とは何か」から話を始めたいと思います。

手がかりとなるのは日本国憲法です。読んでみましょう。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 (日本国憲法前文の一部)

 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」する。自分たちの代表を選んで、国会でものごとを決めるということですね。そして主権者は国民だと書いてある。

 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」

 国政の権威は、国民が信じて託したことが源(みなもと)となっており、国政の権力は、選挙によって選ばれた代表者=国会議員が行使します。国政による福利(幸福と利益)は国民が受け取ります。

 これを後ろから読むと、国政による福利を得ようとするならば、国民の代表者としてふさわしい者を国会議員として国政の場に送りなさい、ということではないでしょうか。

なぜ低い投票率

 日本国憲法第15条には「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とあります。ここでの公務員とは国会議員のことです*1)。選挙に行って国会議員を選ぶことは「国民固有の権利」だという。固有とは「譲り渡すことができない」という意味です*2)。しかし、選挙に行く人は有権者の半分ほど。譲り渡すことのできない大事な権利を捨ててしまっています。


*1)憲法学者、芦部信喜は、公務員は「広く・立法・行政・司法に関する国および地方公共団体の事務を担当する職員」をさすが、15条は「これらすべての公務員につき、その選定および罷免を直接に国民が行う、という趣旨ではない。選定および罷免が、直接または間接に、主権者たる国民の意思に基づくよう、手続が定められなければならないとの意である」と説明している(『憲法 第三版』岩波書店238頁)。

*2)日本国憲法の英文をみると「固有の権利」はinalienable right であり、アメリカ独立宣言(1776年)の冒頭部分を下敷きにしている。WE hold these Truths to be self-evident, that all Men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights , that among these are Life, Liberty and the Pursuit of Happiness.(われわれは、次のことを自明の真理だと確信している。すべての人は平等につくられ、造物主(神)によって一定の譲り渡すことのできない権利を与えられており、そのなかに、生命、自由および幸福の追求がふくまれている)。inalienable と unalienableはスペルが違うが同じ言葉。「生命、自由、および幸福追求」という日本国憲法13条の元ネタもここにある。

 

図表1-1を見て下さい。衆議院選挙の投票率です。

 

 

1993(平成5)年までの投票率は7割前後で推移しています。1996(平成8)年、2000(平成12)、年、2003(平成15)年と6割程度に落ち込み、2005(平成17)年と2009(平成21)年が7割近くまで投票率が上がっています。

2005年は小泉フィーバー(熱狂)によるものです。小泉進次郎のパパ・純一郎総理が、「郵政を民営化する」ことが日本をよくするかのような幻想を国民に与えて自民党は圧勝。2009年は、民主党フィーバーとなって政権交代が起きたときです。

>この二つのフィーバーが終わると投票率は再び下がり始め、2014(平成26)年は53%、2017(平成29)年は54%と5割になってしまいました。「政治を変えたい」「変わるかもしれない」という思いが熱狂的な状況になると投票率は一時的に上がるのですが、ブームが終わると一段と低くなる傾向を示しています。

①1996(平成8)年 小選挙区制の導入

投票率が低い要因の一つは小選挙区制にあります。

戦後ずっと7割前後だった投票率は、1996年に小選挙区制(小選挙区比例代表並立制)が導入されてから下がり続け、現在は5割台です。小選挙区とは小さい選挙区のことではなく、一つの選挙区で1人しか当選しない制度です*3)

その前は「中選挙区制」と言って、一つの選挙区で3人から5人が当選しました。

ここ(JA吉田総合病院のある安芸高田市)は、広島1区で定数は4人。中選挙区制最後の総選挙は1993年でしたが、当選した人の所属政党は自民、社会、公明、新生です。96年から小選挙区制になり、旧広島1区は3つの小選挙区(1区~3区)に分割されました。1区:岸田文雄氏(自民)、2区:粟屋敏信氏(新生)、3区:河井克行氏〔自民)が当選。新生党はご存じないかと思いますが、粟屋さんはもともと自民党です。中選挙区時代は4つの政党から議員がいたわけですが、小選挙区になったら、自民党と元自民しかいなくなった。

広島県全体でも同じです。

93年は県全体で定数は13人。当選者は自民党が6人、元自民党(新生党)が2人、社会党が3人、公明党、民社党がそれぞれ1人でした。

小選挙区制以後、政権交代のあった2009年を除いて7選挙区中6人が自民党で、あと一つはだいたい元自民。2007年は希望の党でした。

なぜこういうことになるのでしょうか。

自民党膨らまし粉

多くの地域で政権党である自民党の支持率が一番高い。1人しか当選できないのなら自民党の候補者が当選するのは当たり前です。2017年のときには小選挙区全議席289のうち、自民党の当選者は218人。75%の選挙区で自民が勝ったわけです。

図表1-2を見て下さい。自民党の得票率と議席占有率(全議席中のなかで何割占めているのか)を比較しています。

 

図表1-1

1986年ならば得票率が49%で議席は全議席の59%でした。その差は10%で自民党は取った票よりも1割多く議席を得ていることが分かります。

小選挙区制になり、96年は得票率が33%しかないのに議席は48%占めました。直近の2017年は33%の支持率で獲得議席は61%です。

支持している人の2倍もの議席を手にすることができる。私は、「自民党膨らまし粉」と呼んでいますが、第1党は実力(投票数)以上に議席がとれるのです。これが小選挙区制という選挙制度の正体です。

多くの人が自民党に投票しているわけではないのに、自民党の候補者ばかりが当選する。こういうことが四半世紀も続いたので、「どうせ(選挙に)行っても変わらない」という気分が蔓延し、投票率が低下したのです。

小選挙区制になって1度だけ、2009年に政権交代が起きました。

民主党にとって不幸だったのは、2011年に東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きたことです。民主党の問題もありましたが、本当は原発推進政策や地方切り捨ての政治など長年の自民党政治によって多くの困難がつくりだされたのです。

しかし、安倍元総理は自らの責任を棚に上げ、「悪魔のような民主党政権」という呪文を唱えてきました。そして自民党は今日まで存(ながら)えているわけです。


*3)小選挙区制に変えると「政策本位の選挙となる」「カネのかからない選挙となる」「政権交代の可能性が高くなる」、「国民の声が届きやすくなる」、「国民本位の政治が実現する」と宣伝し、小選挙区制の実現が「政治改革」なのだと自民党や一部の学者が主張した。今では、どれも事実ではないことは明らかである。志田なや子『小選挙区制と新国家主義 二大政党制論の虚構』こうち書房、1993年、五十嵐仁『徹底検証 政治改革神話』労働旬報社、1997年を参照のこと。

 

②政治(主権者)教育の欠如

投票率が低い要因の2つめは、日本では政治教育、主権者教育がなされていないことです。

選挙に行かない理由としてよくあげられるのが「めんどうくさい」「政治がわからない・興味がない」「自分が1票入れたところで何かが変わるとは思えない」といったものです。こういう意見が出るには理由があります。

日本では、政治や選挙について学ぶことが「全くない」とは言いませんが、ほとんどありません。

スウェーデンの投票率は高く、2002 年が80.1%、2006 年が82.0%、2010 年が84.6%、2014 年が85.8%、2018 年が87.2% と上昇傾向にあります。

なぜ、こんなにも高いのでしょうか。

ネットで調べていたら、「NHK  for School」というサイトに以下のような記事が出ていました。

なぜ、スウェーデンの投票率は高いのでしょうか。スウェーデンの小学校6年生、社会科の教科書を見てみると、投票に行くことや、自分の意見を社会に反映させるために集会やデモを行うことが大切だと書かれています。さらに、学校内では投票か行われることかたくさんあります。例えば、学校で新しい遊具を買うとき、限られた予算で、どんな遊具にすればいいのか、全校児童で投票して決めます。高校生になると、国会に集まることがあります。大臣と国の課題について議論します。その内容は、議事録にのり、実際の政策に反映されることもあります。スウェーデンの子ともたちは、自分の意見が学校や地域、そして国の政治にも反映されているという体験をしながら、政治への関心を高めています。

子どもの頃から、投票や集会、デモの大切さを教える。選挙がどういうものなのか、自分の意見と政治のつながりについても学習と体験によって理解できるようになっているわけです。

日本はどうでしょうか。教育基本法には次のように書かれています。

 教育基本法第14条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
 2.法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

「政治的教養は、教育上尊重されなければならない」とありますが、学校のなかで政治的な教養が身につくようなことがあったでしょうか。

中学生で『公民』、高校生は『政治・経済』『現代社会』などの科目がありましたが、「政治的教養」とはほど遠いものです。

さらに酷いのが第2項の扱いです。

特定の政党を支持したり、反対するような教育、政治活動をしてはならない、というのが条文の意味するところなのですが、この前半を取り除いて「政治教育その他政治的活動をしてはならない」というふうに歪めて一般化した。

そして「政治に関わるな」という教員や親がほとんどです。ずっと「関わるな」と言われて、有権者になったら「選挙に行きましょう」と言われても、基礎知識もなく戸惑うばかりです。

若者の投票率が低いことを責めるのは、お門違い。スウェーデンのような政治教育――それは教育基本法どおりの政治教育と言っていいと思いますが、実行されれば間違いなく投票率は上がります。

 

③国民を選挙から遠ざけてきた公職選挙法

投票率が低い3つめの要因は、公職選挙法です。今日も選挙期間中ですが、全く静か。選挙をやっていると分かるのは、ポスターの貼ってある掲示板、そしてテレビ番組ぐらいでしょうか。

政治学者の杣(そま)正夫さんが「選挙運動の言論表現の自由制限は自由諸国に類例を見ない独特の制度の事例を提供している」「欧米諸国の選挙制度には、選挙における言論表現手段を制限できるという発想が全く認められない」(「選挙運動の文書図画制限規定と憲法原則」)と書いています。

日本の選挙はほんとうに制限が多いのです。あれもダメこれもダメの「べからず選挙」と言われています。選挙期間中、候補者以外は拡声器が使えません。政治のありようについて訴えるときなのに訴えることができない。

選挙期間中に候補者の名前・写真の入ったビラは配れません。誰を議員にするのかを選ぶのに候補者の名前と写真が使えないんです。

だから最近はシルエットを入れたビラがあちこちで作られているようです。公選法にひっかかるのではないかという意見もありますが、そもそも写真が使えないということがおかしいのではないでしょうか。

 

 

変なのに、宣伝カーは走っているとき「連呼」しかできない、というのがあります。

「ふたみ、ふたみをよろしくお願いします」というやつですね。

政策を織り込む候補者もいますが、公選法どおりだと名前の連呼しかできないのです4)


*4)公職選挙法の第141条の3で、「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない」とした上で、2つの例外をあげている。
①自動車の上において選挙運動のための「連呼行為」をすること。②停止した自動車の上において、選挙運動のために演説すること。

お祭りのような楽しい選挙

ヨーロッパでもアメリカでも選挙はお祭りのように楽しいものです。

ハフポストにそのものずばり、「日本とは違う、なぜノルウェー選挙運動は《祭り》のように楽しい?」(鐙麻樹・あぶみあさき*5))という記事がでていました。

現在(2015年9月)、ノルウェーは14日の統一地方選挙の開票日に向けて、各政党の選挙運動が大きな盛り上がりを見せている。選挙期間中といえば、日本では選挙カーでの連呼行為や、候補者の街頭演説、張り出されているポスターや、配布されるビラの印象が強いが、ノルウェーでは異なる活動が多い。驚くことに、戸別訪問や飲食物の提供、子どもを巻き込んだ活動など、日本では禁止されているであろう選挙運動が目立つ。

 

写真もあぶみさんのハフポストの記事のものです。市民が集う場所にカラフルでかわいいデザインの選挙小屋やスタンドが並び、これが政党と市民がコミュニケーションするための効果的な場となっているのだといいます。

日本以外の国では選挙活動に制限があまりなく、自由に楽しみながらできるのです。日本の選挙は全く面白くありません。できることがほとんどないからです。

このように投票率が低い、下がるというのは自然にそうなったのではなく、小選挙区制、政治教育、公選法による「べからず選挙」という3点セットによるものなのです。

よく、「国民の意識が低い」「政治に関する関心がない」と言われますが、自民党が自分たちの政権を維持するために、国民が選挙や政治に関心を持たないよう、批判的な目で見ないように妨害していたんですね。

東京五輪・パラリンピック組織委員会会長だった森喜朗氏は「失言」で有名ですが、総理のとき(2000年)、総選挙の遊説中、記者会見で「(無党派層は)寝てしまってくれればいい」と言い放ちました。自民党政治に批判的な人は選挙に行くな、政治や選挙に関心をもつな。これが彼らの本音です。
 
しかし、この3つ妨害を乗り越えて、選挙に行かない人たちが行くようにならないと、いつまでも悪政から逃れることはできません。だから「選挙に行こう!」という呼びかけが大切です。

次は、自民党政権(自公政権)によって続いてきた社会保障・医療の改悪についてお話します。


*5)著書に『北欧の幸せな社会のつくり方』かもがわ出版、2020年、がある。

 

ふたみ伸吾 ほっとらいん

ふたみ伸吾にメッセージを送る

生活相談、町政への要望、ふたみ伸吾への激励など、メッセージをこころよりお待ちしています。

     

    関連記事

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

    PAGE TOP