原爆ドームを守った府中町の少女

(楮山ヒロ子さん)

原爆の子の像と佐々木禎子さんのことはよくご存じだと思いますが、楮山(かじやま)ヒロ子さんを知っていますか。

ヒロ子さんは、府中小学校、府中中学校を卒業し、1960年、高校2年の時に急性白血病で亡くなっています。

亡くなる前の年(1959年)の8月6日の日記に「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけが、いつまでもおそる(べき)原爆を世に訴えてくれるだろう」と書いていました。

原爆ドームは終戦直後には壊した方がよいという意見も根強く、壊すのか保存するのかの結論がなかなか出ません。なんの補修もされないまま被爆から15年のときが経っていました。

「広島折鶴の会」の小中高生が、ヒロ子さんの気持ちに応えて、ドーム保存のための署名と募金を始め、粘り強い運動が変化をつくり出しました。当初、保存に否定的だった広島市長も「私の心を大きく動かしたのは、あの子たちの真剣な動きだった」と後日語ったといいます。

広島市議会も1966年、全会一致で原爆ドームの保存を決議。ようやく事態は動き出し、保存工事は行われ、いまなお私たちの前にドームは立っています。世界遺産にも1996年登録されました。

府中町で育った少女の願いに端に発し、保存された原爆ドームの姿、そして資料館の展示を世界の人びとにしっかり見て欲しいと思います。

※府中中学校の同級生だった寺田正弘さん(teramasa39@yahoo.co.jp)たちが執筆した『原爆ドームと楮山ヒロ子』に楮山さんのことが詳しく紹介されています。

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