府中町 榎川氾濫(2) 2018年7月11日(水)

11日、榎川氾濫の翌日

ニュースでは10日夜9時頃に流木の撤去が終わったと報じられていました。写真は水が溢れた寺山橋より下の埃宮(えのみや)橋から下流を撮影したもの。右側は歴史民俗資料館です。なぜかあまり流れがよくありません。

府中町水害記念碑

水が溢れた寺山橋のすぐ近く、えの宮公園には大正15年にあった水害の記念碑があります。


碑文には災害の状況がつぎのように(ふたみ訳)書かれています。

大正15〈1926年)9月11日午前0時頃、豪雨があり榎川その他の河川が氾溢して堤防が決壊。

3500間(約6キロメートル)にわたって橋が流され、20あまりの家屋が流失。26軒が半壊埋没、耕地は砂に埋もれ、白い川原となり、66町歩〈0.65平方キロメートル)田畑・山林・河川などの被害は数えきれない。死者3名負傷者数名、被害総額は「百万円」を超える

調べてみると当時の「百万円」はいまの約6億円に当たります。90年前にも相当な被害があったわけです。

寺山橋は詰まっていた

埃宮橋から寺山橋に近づけるだけ近づいてみました。寺山橋の下からは水が流れていません。おそらくポンプで汲み上げて、道路を経由して川に流しています。流木は撤去したようですが、橋の下は土砂で埋まっています。だから下流の流れが今ひとつだったのです。

県道府中・祇園線(152号)

埃宮橋から北方向を撮影。駐車場の「Pマーク」の後ろが板倉文具店


ユンボで泥の除去作業をしていました。「あっちへ歩いて行けますか?」と聞くと「止めた方がいいと思うけど、行けると思うのなら」という返事。ならいってみようと歩き始めたら、5歩ぐらいで長靴と同じ深さになり、足が抜けなくなりました。

引きかえそうとしたのですが、足が動かない。そしたら、ユンボのお兄さんが「おじさん、ここにつかまりんさい」と救出に来てくれました。長靴は諦めたのですが、長靴も救出。靴下が汚れましたが、長靴が戻ってきたので、素足で長靴を履いて続行。これが後に悲劇に。

昨日も晴天でしたが、今日もいい天気。

ボランティアのみなさん ありがとう

フルーツ広徳前

被災前の同じ場所(グーグルストリートより)

本町3丁目11付近

「側溝の泥をなんとかして欲しい」

写真には写っていませんが、ここでもボランティアのみなさんが泥かきをしていました。左手を登ってすぐが県道上宮町新地線と榎川です。


本町9丁目12付近

榎川から撮影。家の中に泥は入っていないということでした。

下から榎川側を撮影。

榎川 りゅうせん幼稚園前

道路より若干低いところを水が流れています。

水深はせいぜい20センチメートル。その下は土砂です。

9時半から12時近くまで歩き通しでした。通れるところが限られており、遠回りして帰りました。

真砂土の泥は粘り気が強く。ちょっと深いと足を取られます。

この日は最初の失敗を含め、3度足が抜けなくなりました。

手を引っ張ってもらってなんとか脱出することが出来ました。浅そうに見えて結構ズブズブッといきます。みなさんご注意を。

救出していただいた相棒。

踵(かかと)に靴擦れが出来ているとは思っていたのですが、長靴を脱ぐとマメが出来て、潰れていました。痛いです。

やはり靴下を履いていないとだめですね。

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