上の写真は7月21日付「中国新聞」です。
「敷地内撤去 広島市だけ」とありますが、府中町は、敷地内も住家内も町の責任で撤去します。
私は、7月15日に町に対して「住家および敷地内における泥撤去を町の責任で実施」するよう緊急申入れしました。
その場での回答は「検討中」ということでした。
’(7月12日撮影)
(7月18日撮影)
18日には、敷地内に重機が入っていましたので、敷地内は撤去することは分かりました。住家はどうなのか?
19日、被災現場で生活環境部長に会い、問いますと「民地の敷地内も家屋の中もすべてやります。ボランティアのみなさんのお力も借りますけれども」と、公的責任で泥を撤去すると明言。「どこであっても泥が残ればそれが流れてきます。だから民地だろうとなんであろうとやるんです」と心強い。
20日早朝、建設部長を訪ねると「土日は職員を総動員して被災現場に入ります」という。部長は泊まり込みです。
(7月21日撮影)
敷地内の泥撤去もかなり進んでいます。
先日、共産党の豪雨災害被災者支援の交流・対策会議がありました。
庄原市の谷口たかあき議員が「市町村合併の弊害で、災害対応ができない」と発言。
2005年、1市6町が合併し、新たな庄原市となりました。合併前の1市6町の職員数の合計は630人。
合併直後の庄原市の職員数は546人。それが今では461人にまで減らされています(2016年)。
実に3割減、170人も減っているのです。
旧西城町(72人)、旧口和町(50人)、旧高野町(55人)の職員合計が177人。3つの役場の職員がいなくなったのと同じです。
庄原市の面積は1246平方キロメートル(府中町は10平方キロメートル)。この広大な市域をかつての7割の職員で対応することは不可能です。
合併せず、それぞれの役場と職員がいれば、もっと迅速で丁寧な対応ができるはずです。
府中町は325人の職員がいます。
今回の災害でも昼夜を分かたぬ奮闘をしています。
府中町は2002年、広島市との合併を住民投票で退けました。
もし合併していたならば、今回の災害時にどんな事態になったであろうか。
合併しなくて本当によかったと思います。