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2026-10-14

民のかまどに煙は立っているのか 経済と経世済民

Illustration: Chappy

1.経済の由来は

経世済民

高市早苗総理は、2026年10月5日の所信表明演説のなかで、「経世済民」という言葉が使われ、違和感を覚えました。

「私が貫く志は、『経世済民』です」「高市内閣の最優先課題は、『経済』の力で、国民の皆様の暮らしを守り、『希望ある未来』を切り拓くことです」

「経世済民」とは、世の中を治め、人民大衆を救うという意味で、「経済」は、この言葉を略したものとされています。

私がこの言葉を知ったのは高校生のときで、一海知義著『漢語の知識』(岩波ジュニア新書)の「経済と経営」の項に書かれていました。

「経済」という言葉は三世紀を過ぎた頃から色々な書物に登場し、「経済学」という言葉も唐代の詩に出てくるのですが、今日私たちが使っているような意味ではなく、すべて経世済民です。

「明治・大正時代の経済学者のなかには、「経済」学を「世を治め民を済う」学問だと考えていた人がいました。この世から「貧乏」をなくすのが経済学の任務だ、と考えていた河上肇博士はその一人でしょう。昭和の今もそういう学者はいるのかも知れませんが、国民としては、いつも経済学に対してそのことをこそ、もとめているのではないでしょうか」
(『漢語の知識』143ページ)

河上肇[1879~1946]は山口生まれ。『資本論入門』、『貧乏物語』『自叙伝』などを著し、無産者運動の理論的指導者のゆえをもって京都帝大を追われ、5年間の牢獄生活を送りました。老衰と栄養失調のため、1946年1月30日、生涯を終えました。66歳でした。

経済学は、「世を治め民を済う」学問であり、この世から「貧乏」をなくすのが任務である。

私は、大学でマルクス経済学を学ぼうと考えていましたので、この箇所はとても印象深かったです。

 

 

家政と経済

では、英語のエコノミー(economy)の起源は何でしょうか。

ギリシャ語のオイコノミア(oikonomia)で、家の管理、すなわち「家政」を意味します。アリストテレスの『政治学』にも登場します。

共同体の基礎となるのは家(oikos)であり、その家を適切に管理する技術がオイコノミアでした。

一方、漢語の「家政」にも長い歴史があります。

孔子の言行を記した『論語』(紀元前5~3世紀頃に成立)には、家庭を治めることと国を治めることを結びつける考え方がすでにみられます。

後漢末期の字書『釈名』(2世紀末頃)には「家政を把持する」という言葉があり、北宋の『太平御覧』(10世紀)にも引用されています。南宋の王十朋は『家政集』(12世紀)を著し、『明史』(18世紀)にも一族の運営を意味する「家政」が登場します。

古代ギリシャではオイコノミア、古代中国では家政。両者の成り立ちや内容は同じではありませんが、家を管理し、暮らしを成り立たせる営みは、東西で古くから考えられてきたのです。

食料をどう蓄え、土地や家畜をどう管理し、家族や使用人に仕事をどう分担させるか。暮らしを維持するためには、古くから「家を治める知恵」が必要でした。

家は、生産と消費、労働と生活が行われる、目に見える一つのまとまりだったのです。

一方、今日いう「経済」は、一つの家ではなく、社会全体でものがつくられ、売買され、人びとに行き渡るしくみを指します。商品や貨幣の流通が広がり、各地の市場が結びついて、初めて社会全体を一つのまとまりとして捉えられるようになりました。

東西とも、家政の歴史は長く、今日いう経済の歴史はそれほど長くないのです。

限られた食料や財産で家の暮らしを成り立たせるには、無駄を省き、上手にやりくりしなければなりません。そこからエコノミーには、節約や倹約という意味が生まれました。

長い歴史をもつ「家政」という言葉は、少なくとも今日の日本では、あまり使われなくなりました。大学の家政学部も、生活科学部などへ名称を変えています。

その一方で、家政を語源とする「エコノミー」は、節約、倹約、安価といった意味の日本語として広く使われています。エコノミークラス、エコノミー料金などがその例です。

家を営むという元の意味は忘れられ、そこから派生した節約という意味の方が残ったわけです。

さらに17世紀以降、そのしくみを国家や社会の規模で考える学問が登場します。それがポリティカル・エコノミー(political economy)です。

ポリティカルとは、家を管理するエコノミーを、国家や社会を治めるための学問へ広げた言葉であり、国家や公共にかかわるという意味です。

今日「政治」という言葉から思い浮かべる政党、議会、選挙、政策決定などよりも広く、国家や社会を治めることを指していました。国の富がどのようにつくられ、社会のなかでどう分配されるかを考える学問です。

このポリティカル・エコノミーが、日本では「経済学」と訳されました。

2.「経済学」という訳語

誰がつくった言葉なのか

幕末から明治初期にかけて、西洋のポリティカル・エコノミーが日本へ入ってきました。

では、誰が、どのような理由で、これを「経済学」と訳したのでしょうか。

福澤諭吉がつくった訳語だという説もありますが、福澤以前に用例があります。

現在確認できる早い例は、1862年に刊行された堀達之助編『英和対訳袖珍辞書』です。しかし、誰が「経済学」という訳語を考案したのかは確定していません。

西周は、明治初期の講義録『百学連環』で、「近来津田氏此を訳して経済学と言へり」と述べ、津田真道の訳語だとしています。

しかし、津田がオランダで経済学を学び始める前年に刊行された『英和対訳袖珍辞書』には、すでにポリティカル・エコノミー=「経済学」が掲載されています。

西周は、「経済学」では国家の生産や生計を扱う学問という意味を十分に表せないとして、「制産学」という訳語を用いました。

ほかに広く使われたのが「理財学」です。

いくつかの訳語が競い合った末に、「経済学」が残ったのです。

福澤諭吉と「致富の学」

福澤諭吉は、「経済」という訳語を広め、定着させるうえで大きな役割を果たしました。

『西洋事情』(1866年)と『西洋事情 外篇』(1867年)で「経済」という言葉を使っています。

また、「学校の説」(1870年)では、経済学を次のように説明しました。

人間衣食住の需用を論じこれを製しこれを易(か)え、これを集め、これを散じ、人の知識礼義を進めて需用の物を饒(ゆたか)にする所以(ゆえん)を説き、これを大にすれば一国政府の出納、これを小にすれば一家日常の生計、自然の定則にしたがう者は富をいたし、これに背く者は貧をいたすの理を明らかにするの学問なり。

福澤は、経済学を、生産、交換、集積、分配を扱い、政府の財政から一家の生計までについて、富と貧困を分ける法則を明らかにする学問と捉えました。

福澤にとって経済学は、必要な物を豊かにし、国や家を富ませる「致富の学」だったのです。

もともと経世済民という言葉が示していたのは、「世を治め、民を救う」ことでした。

両者は重なる部分もありますが、同じではありません。国や家が富んでも、民が救われるとは限らないからです。

福澤は、「経済」が経世済民と致富のあいだで二つの方向へ分かれていく、その分水嶺に立っていました。

「経済」という言葉は残りました。しかし、その重心は、「民を救う」ことから「国や家を富ませる」ことへ移り始めていたのです。

3.経済学の分かれ道

マーシャルとエコノミクス

世界に目を移しましょう。

19世紀後半、経済学は一つの分かれ道にさしかかります。

国家や社会全体における富の生産と分配を考えるポリティカル・エコノミーから、個人の選択や市場における価格、資源の配分を主な研究対象とする新しい経済学が分かれていったのです。

その新しい経済学を表す言葉として、19世紀末になるとエコノミクス(economics)という呼称が広がります。

その転機となったのが、アルフレッド・マーシャルの『経済学原理』(Principles of Economics、1890年)です。

これは、単なる名称変更ではなく、経済学の考え方そのものが変わったことを示しています。

アダム・スミスやリカードなど古典派経済学は、社会の富がどのようにつくられ、地主、資本家、労働者という諸階級のあいだに、どのように分配されるのかを明らかにすることを課題としていました。

経済は、政治制度、階級関係、貧困、道徳とつながるものでした。

そのことは、アダム・スミスが『諸国民の富』(国富論)とともに『道徳感情論』や『法学講義』を著していることからも分かるでしょう。

ところが、1870年代以降に登場した新古典派経済学は、分析の出発点を階級から個人へ移します。

人は何を選ぶのか。商品からどれだけの効用を得るのか。需要と供給によって価格はどのように決まるのか。限られた資源をどのように配分するのか。

こうした新しい経済学を象徴する呼称が、エコノミクスです。

古典派経済学からマルクスへ

ポリティカル・エコノミーはどうなったのか。

富の生産と分配、階級関係、国家と経済の関係を問うポリティカル・エコノミーは、マルクスに引きつがれます。

マルクスの『経済学批判』の原題はZur Kritik der politischen Ökonomieであり、『資本論』の副題も「経済学批判」ですが、直訳すれば、いずれも「政治経済学批判」です。

マルクスは、古典派経済学(ポリティカル・エコノミー)の正当な継承者であり、かつ批判者です。

労働者が生み出した価値を資本家がどのように取得するのか。資本の蓄積が、なぜ富の集中と貧困を生むのか。資本主義という社会そのものを研究しました。

ケインズと有効需要・完全雇用

20世紀になると、エコノミクスのなかにも、国家と社会を再び正面から扱う動きが現れます。

ケインズです。

市場に任せておけば、失業は自然になくなり、経済は均衡を取り戻す。そのような考えに対して、ケインズは、需要が不足すれば大量失業が長く続くことを明らかにしました。

ケインズの積極財政は、政府が財政政策などを通じて需要をつくり出し、完全雇用を実現して、人びとの所得と消費を回復させることを目的としていました。

ケインズ経済学は、マルクスとは違った道から、再び社会全体の問題へ向かいました。個人と市場を中心とするエコノミクスに、国家、失業、所得という問題を呼び戻したのです。

その意味では、ポリティカル・エコノミーの復権という側面をもっていたといえます。

新自由主義と規制緩和

ところが、1970年代以降、新自由主義が台頭します。

規制を緩和し、国営企業を民営化し、労働市場を柔軟化する。

市場競争を広げれば、資源は効率的に配分され、経済も成長するという考え方です。

ここで再び、市場が経済の中心に据えられました。

ただし、新自由主義は、国家を小さくして市場に何もかも任せるという単純なものではありません。

国家は、企業活動を促進し、市場を拡大し、資本の利益を守るためには積極的に働きます。

その一方で、社会保障や労働者の権利、所得の再分配については、自己責任と市場原理を強調します。

経済を政治から切り離しているように見えて、実際には、国家が誰のために、何のために働くのかという、きわめて政治的な経済なのです。

経済を、社会の富を誰がつくり、誰が受け取るのかという問題として捉えるのか。それとも、限られた資源を市場で効率的に配分する問題として捉えるのか。

マルクスがポリティカル・エコノミーを受け継ぐ一方で、エコノミクスが経済学の主流となり、ケインズがそこに国家と社会の問題を呼び戻しました。

分岐した二つの見方は、それぞれに流れ続け、対立し、ときに交差しながら今日に至っています。

 

4.サナエノミクス

「責任ある積極財政」

高市総理は、「経世済民」を自らの志として掲げるとともに、「責任ある積極財政」を唱えています。

高市総理によれば、日本経済に「圧倒的に足りない」のは国内投資です。

AI、半導体、量子技術、フュージョンエネルギーなどの戦略分野を選び、政府が研究開発や設備投資を支援する。官民投資によって供給力と国際競争力を高め、「強い経済」をつくるという構想です。

官民投資によって供給力を強化すれば、雇用と所得が増え、消費マインドが改善し、企業収益が上がり、税収も増えるという「好循環」が生まれるというのが政府の説明です。

まあ、「風が吹けば桶屋が儲かる」のたぐいですね。

財政を使うという点では、ケインズと似ています。

ケインズは、失業と需要不足から出発し、雇用と所得を直接支えることによって経済を立て直そうとしました。

これに対してサナエノミクスは、投資不足と供給力の弱さから出発し、企業の投資と成長を支えることが主眼です。そして、その効果が家計へ波及することを「期待」します。

同じ積極財政でも、ケインズは雇用と所得から出発し、サナエノミクスは企業の成長から出発します。

新自由主義の一つの形

新自由主義のもとでも、国家は大きな役割を果たします。

規制緩和や民営化を進め、企業への投資を支援し、国際競争力を高めるために国家財政を使う。

その一方で、社会保障を削り、雇用規制を緩和し、国民には自己責任を求めます。

サナエノミクスも、国家が成長分野を選び、多額の公的資金を投入して、民間投資を誘発しようとしています。

企業と資本の成長を先に置き、その成果がやがて国民生活へ及ぶと考える点では、新自由主義の一つのバリエーションです。

これは、アベノミクスを引き継いだものでもあります。

アベノミクスも、企業収益が増えれば賃金や雇用が増え、その利益が全国津々浦々にまで行き渡ると説明しました。

しかし、トリクルダウンは起きませんでした。

財務省の法人企業統計によると、企業の利益剰余金、いわゆる内部留保は、2012年度の約304兆円から2025年度には654兆8228億円へ増えました。14年連続で過去最高を更新しています。

利益剰余金は、企業が毎年得た利益のうち、配当などに回さず、企業内部に残してきた利益の累積額です。

この数字は、企業部門に利益が蓄積され続けてきたことを示しています。

企業の利益を賃金、下請け単価、社会保障へ移すしくみがなければ、成長の果実は家計へ届きません。

サナエノミクスは、企業の成長を先に置き、国民生活の改善をその波及効果に委ねています。

しくみが同じなら、結果も同じです。大企業の利益が積み上がる一方で、成長の果実は家計に届きません。

経世済民と家政

何度も言いますが、「経世済民」とは、世を治め、民を済うことです。

民を済うことは、企業を成長させたあとに期待される波及効果ではありません。政治と経済の目的そのものです。

そして、英語のeconomyの原点であるオイコノミアは、一軒一軒の家を切り盛りする「家政」でした。

経世済民は、政治の側から経済の目的を問い、家政は、暮らす側から経済の実体を問うているのです。

民のかまど

「民のかまど」という古い物語があります。

仁徳天皇が高台から見渡すと、家々のかまどから煙が上がっていない。民が炊く米にも事欠いていることを知り、三年間、税を免除した。やがて煙が立つようになると、民が富んだことは自分が富んだことだと喜んだ――という物語です。

おそらく史実ではないでしょう。しかし大切なのは、この物語が示す政治の尺度です。

政治の善し悪しを、宮殿の立派さや国の強さではなく、民のかまどから煙が立っているかどうかで測る。

その政治思想が大切だと思うのです。

この物語に対し、サナエノミクスは、まず企業と産業を富ませ、その成果が民へ届くことを期待します。順序が逆です。

民が貧しければ、国も為政者も富んでいるとはいえない。まず民の暮らしを立て直すことが、国を富ませることなのです。

経世済民と、オイコノミア=家政。

東洋と西洋から生まれた「経済」という言葉の二つの原点から、サナエノミクスは大きく外れています。

高市総理が「経世済民」を掲げるのであれば、「民のかまどに煙は立っているのか」と、自らと国民に問うべきではないでしょうか。

ふたみ伸吾 ほっとらいん

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