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2026-10-19

レッツビギン 映画「ファーストボイス」を観て

 

「あなたにその覚悟がありますか?」

弁護士、朝日道子(綾瀬はるか)は、事務所を訪ねてきた上原恵(ファーストサマーウイカ)に、そう問いかけます。

上原は、性別を理由に理不尽な嫌がらせを受け、職場での居場所を失い、退職を余儀なくされたセクハラ被害者です。

映画「ファーストボイス」は、1989年に日本で初めて提訴された「福岡セクシュアル・ハラスメント裁判」に着想を得た作品です。

上原は、労働基準監督署や簡易裁判所、法律相談コーナーなどを訪ねて相談しましたが、まともに相手にされません。

ようやくたどり着いた法律事務所で、朝日弁護士から「これはまぎれもなく性別による差別よ」と言われます。

朝日弁護士はさらに、憲法14条の法の下の平等に反するものだと指摘し、「その観点から、裁判を起こす事は可能です」と答えたのです。

こんなことを言ってくれる人は初めてで、上原は感激しました。

「そんな風に言ってくれたの、先生が初めてです……」

●まずたたかってみる

しかし、新人弁護士の藤野栞(松本穂香)は、勝ち目のない裁判だと異議を唱えます。

それに対し、朝日弁護士は言います。

「栞さん。これは全女性にとって大きな問題なの。まずたたかってみることが大切なんじゃないかしら?」

このセリフにしびれました。

いまの日本で見失われている大切なこと。それは諦めずに「まずたたかってみる」ことです。

たたかいに立ち上がった人は、様々な人たちから「どうせたたかってもむだ。勝てるはずがない」と言われます。

確かに、負けるたたかいも沢山あります。

「正義は必ず勝つ」わけではない。

勝利と敗北とどちらのケースが多いのかといえば、敗北の方が多いでしょう。

しかし、敗北が運命づけられているわけでもない。

たたかえば勝てるかもしれない。

●たたかう覚悟

理不尽な目にあったときに、誰もが立ち止まり、逡巡します。

よし、たたかうぞと決意を固めても、待っているのは辛くて長いたたかいです。

そのことを知っている朝日弁護士は、上原に、裁判をたたかうのはとてもつらいことだと説明します。

そして問いかけたのが、冒頭に掲げた「あなたにその覚悟がありますか?」です。

上原は「……はい。たたかう覚悟はあります」と答えるのですが、朝日弁護士はこう言います。

「では、まず支援者を集めることです。すべての女性の問題だと世に示さなければ、この裁判はたたかえません」

そして、支援者を集めたら、また来るようにと言い渡します。

上原は「わ、私が集めるんですか?」と驚きました。

藤野弁護士は、朝日が上原をあしらったのだと思ったようです。

しかし、朝日はこう説明します。

「そうね。でも、それは彼女をあしらうためじゃないわよ。彼女の本気度を試してみたかったの。こういうケースでは何より原告自身の強い意志が必要だから」

●仲間を増やす

上原は、マスコミを訪ね、ほとんどのところで取り合ってもらえませんでしたが、ようやく記事にしてくれる記者に出会いました。

その記事がきっかけとなり、読者から大きな反響が寄せられます。上原のもとには、50通ほどの手紙も届きました。

しかし、このときにはまだ、支援者はいません。

そのことを藤野弁護士は問題にするのですが、朝日弁護士は意に介さず、こう言います。

「栞さん、とりあえず一人、支援者ができたわよ」

にんまり笑って、

「わ、た、し」

そして、上原に言います。

「私が知ってる女性団体をすべて紹介しますから、あなた自身が回って、支援を要請してください」

「あなた自身が回って」というのが大事です。

たたかいは他人任せでは進まない。当事者が直接行って、支援を訴えることが最も力になるのです。

労組や団体を回って支援をお願いすることを「オルグ」と言います。

英語のオルガナイズの略です。人を組織するということですね。

支援先を訪ねると、熱心に応じてくれるところもあれば、そうでないところもあります。オルグは楽しくもあり、つらくもあるのです。

団体を回って、地道に支援を訴えること、そして支援者を増やすこと。

たくさんの団体を回って支援を訴えるシーンはありませんでしたが、きっとそうしていたことでしょう。

立ち上がったら、ともにたたかう仲間を増やすことが必要なのです。

●ウイカの熱演

上原恵を演じたファーストサマーウイカの熱演も素晴らしいものでした。

ウイカは、この映画が何を伝えようとしているのかを、深く理解して演じていたのだと思います。

映画の公開記念特番でウイカは、この作品で描かれているのは女性だけの問題ではなく、「働き、生活するすべての人の正当な権利」であり、理不尽なことや「常識」に立ち向かう大切さを伝えたいと、出演者たちで話し合ったことを明かしています。

また、「女性が権利を訴える映画なんだね」と思われて観てもらえなかったり、作品の意図を誤解されたりすることが、いちばんつらいとも語っています。

完成した作品については、どんな人にも力を与え、背中を押せる映画になっていたと喜んでいました。

さらに、松竹のホームページには、映画の着想元となった裁判の原告、晴野まゆみさんとの対談が掲載されています。

そこでウイカは、加害者側とのたたかいだけでなく、味方であるはずの支援者との間にも葛藤があること、匿名の「原告・A子」としての自分と、本来の自分との間にも苦しみが生じることなどを語っています。

上原の置かれた状況や心の動きを深く考えたうえでの熱演だったのでしょう。

映画には、怒り、悲しみ、喜び、迷いなど、さまざまな場面があります。そのどれをとっても、ウイカの表情や表現は実に的確だったと思います。

●朝日と栞――二つの気持ち

新人弁護士の藤野栞を演じた松本穂香も、いい演技を見せてくれました。

朝日弁護士が明るく前向きなのに対し、栞は慎重で、どちらかというと後ろ向きです。

朝日が裁判を引き受けようとすると、

「でも朝日先生、それって勝ち目のない、負ける裁判じゃないですか」

「せ、先生! その気にさせちゃダメですよ」

とブレーキをかけます。

映画を観ながら思ったのは、朝日と栞は、実は一人の人間の中にある二つの気持ちを、別々の人物として描いたものではないかということです。

人間は、いつも前向きでいられるわけではありません。よし、やってみようと思う一方で、失敗したらどうしよう、やっぱり無理ではないかと迷うこともあります。

朝日と栞の対話は、そんな一人の人間の心の中の対話のようにも見えました。

栞の存在によって、朝日の明るさや力強さはいっそう際立ちます。

前へ進もうとする気持ちと、立ち止まってしまう気持ち。その両方を抱える人間の姿を、松本穂香は見事に演じていたと思います。

●綾瀬はるか――最後の口頭弁論

朝日道子弁護士を演じた綾瀬はるかも、最初から最後まで魅力的な演技を見せてくれました。

映画のクライマックスは、最後の口頭弁論です。

鮮やかな赤いボディコン姿の朝日弁護士が、差別のない社会の実現を願って、力強く訴えかけます。

松竹の公式サイトによれば、この場面の撮影では、綾瀬はるかの熱のこもった長い弁論に、ファーストサマーウイカと松本穂香がボロボロと涙をこぼし、傍聴人役のエキストラにも目頭を押さえる人がいたそうです。

映画の序盤で「まずたたかってみることが大切」と語った朝日弁護士。その言葉が、最後の口頭弁論で大きな力を持って迫ってきます。

●社会派映画をエンターテインメントに

労働者のたたかいを描いた映画は、これまでにもありました。しかし、こうした作品が大手映画会社の配給で全国公開されるのは珍しいことです。

『ファーストボイス』は、松竹とワーナー・ブラザース映画の配給で全国公開され、厚生労働省もハラスメント対策の普及啓発のためにタイアップしています。

労働者のたたかいを描いた映画が、こうした形で広く観客に届けられる。これは画期的なことだと思います。

そして、この映画は、社会問題を扱いながら、エンターテインメントとしても楽しめる作品になっています。

笑いも涙もある物語を通じて、声をあげること、一歩を踏み出すことの大切さを伝えてくれるのです。

朝日弁護士は、こう呼びかけます。

「始めてみなければ、始まらない。レッツ・ビギンよ!」

*セリフについては『ファーストボイス』(講談社文庫)を参考にしました。

 

悪役がいいとドラマは面白い ――映画『ファーストボイス』の男たち

ふたみ伸吾 ほっとらいん

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